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連載 ロジカルコミュニケーション入門――【第3回】論点のすりかえは止めよう!

●本連載では「ロジカルコミュニケーション」を推進する哲学者・高橋昌一郎が、まったくの初心者に論理的思考の基礎から応用まで、わかりやすく明快に解説します。
 
●「ロジカルコミュニケーション」は、論理的思考に基づくスムーズなコミュニケーションを意味します。固定観念や偏見に陥らず、多彩な論点を浮かび上がらせて、双方の価値観をクールに見極めるコミュニケーション・スタイルです。
 
●なぜかコミュニケーションが苦手、他者との距離の取り方が難しいなど、コミュニケーションに問題を抱えていたら、抜群の効果があります。「ロジカルコミュニケーション」で人生が劇的に好転します!
 
●本連載はNHK文化センター講座「ロジカルコミュニケーション入門――はじめての論理的思考」と連動しています。興味をお持ちの皆様は、ぜひオンラインのライブ講座にご参加ください!
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1257038.html
 
●本連載に関するご意見やご質問にはnote「動画【ロジ研#3】ロジカルコミュニケーション入門【第3回】」のページで高橋昌一郎および情報文化研究所研究員が直接お答えします。ぜひこちらもご活用ください!
https://note.com/logician/n/n18e8982314e1

*連載第1回から読む方はこちらです。

●論理的思考の意味

 本連載【第1回】「論理的思考で視野を広げよう!」でも説明したように、「論理的思考」とは、「思考の筋道を整理して明らかにする」ことである。たとえば「男女の三角関係」のように複雑な問題であっても、思考の筋道を整理しながら明らかにしていく過程で、発想の幅が広がり、それまで気づかなかった新たな論点を浮かび上がらせる思考法である。

●ロジカルコミュニケーションのマナー

 本連載【第2回】「論理的思考で自分の価値観を見極めよう!」では、「ロジカルコミュニケーション」によって新たな論点を探し、反論にも公平に耳を傾け、最終的に自分がどの論点を重視しているのか、自分自身の価値観を見極める意義を説明した。
 この「ロジカルコミュニケーション」の対極に位置するのが、いわば「相手を黙らせるコミュニケーション」である。こちらは、双方が自己主張をぶつけ合い、場合によっては相手を嘲笑したり罵倒したりして、一方が黙り込むと、他方が「はい、論破」のように勝ち誇るというタイプのコミュニケーションである。
 しかし、そもそも賛否両論が生じるような問題の背景には複雑な論点が隠れていることが多く、どちらの立場にもメリットとデメリットがあり、安易に「論破」できるような単純なものは少ない。
 実際には「相手を黙らせるコミュニケーション」は「論点のすりかえ」によって話を逸らし、相手を煙に巻いているにすぎないことが多い。
 したがって、この種の論法に対しては「あなたは論点をすりかえていますよ」と返答すればよいことになる。それを見極めるために必要な10の代表的な論点のすりかえを解説しよう。

●論点のすりかえ1:対人論法

 「対人論法」(ラテン語 argumentum ad hominem; appealing to personality)は、ある主張に対して、その主張に具体的に反論するのではなく、主張する人の人格や個性を攻撃する論法を指す。

例1 A:私は日本の消費税増税に反対します。
   B:君は経済学を知らないから、そんなことを言うんだよ。

 例1において、Bは「日本の消費税増税」の論点を議論するのではなく、Aの「経済学」の知識に論点をすりかえている。

例2 A:私は日本の消費税増税に反対します。
   B:君は女だから、日本の消費税増税が必要なことが理解できないんだよ。

 例2において、「女だから」という部分が対人論法による論点のすりかえである。「子どもだから」「主婦だから」「老人だから」のような性質や、「日本人のくせに」「東大出のくせに」「会社を経営しているくせに」のように国籍や学歴や経歴を用いて論点をすりかえる場合もある。

例3 A:私は日本の消費税増税に反対します。
   B:おまえはバカだ。何もわかっていない。

 例3は、より直接的な人格攻撃である。とくにネットでは「バカ」「クズ」「雑魚」のような罵倒用語を見かけるが、この種の用語を発する人物は、自分がどれほど品格のない発言をしているのか、気づいていないのだろうか。
 「対人論法」は相手の尊厳を貶める最も悪質な論点のすりかえである。この論法を決して行わないことは、ロジカルコミュニケーションにおける最低限度のマナーだと覚えてほしい。

●論点のすりかえ2:トーン・ポリシング

 「トーン・ポリシング」(tone policing)は、ある主張に対して、その主張に具体的に反論するのではなく、主張する人の口調(トーン)を取り締まる(ポリシング)ことによって、相手の人格や個性を攻撃する論法を指す。

例1 A:私は性差別に反対します。女性も機会均等であるべきです。
   B:そんな強い言い方をしたら、誰も聞いてくれないよ。

 例1において、Bは「性差別」という論点を議論するのではなく、Aの「強い言い方」に論点をすりかえている。

例2 A:私は性差別に反対します。女性も機会均等であるべきです。
   B:そんな言い方をすると、君のかわいい顔が台無しだよ。

 
 例2は例1の変形である。Bは単純に論点をすりかえるばかりでなく、Aの「かわいい顔」に言及して煙に巻こうとしている。
 
 2017年2月17日、衆議院予算委員会で山尾志桜里議員が「2017年度末までに待機児童をゼロにする目標」について質問した。山尾氏が「総理、自分は何年までに待機児童ゼロを目指すのかわからないでおっしゃっていたということを自白したことになります」と言うと、安倍晋三首相は「そんなに興奮しないでください」と嘲笑しながら答えた。
 この安倍首相の「トーン・ポリシング」に限らず、国民を代表するはずの国会議員の討論において、あまりにも多くの「論点のすりかえ」が行われていることに驚愕せざるを得ない。
 そもそもトーンが変化することには理由がある。とくに少数意見を表明する場合や、自分の意見が受け入れられない場合、あるいは相手がウソをついているように思われる場面では、感情的になってトーンがアップするようなこともあるだろう。しかし、気持ちのよいロジカルコミュニケーションを行うためには、可能な限り冷静に「論点」を主張してほしい。
 一方、善意から相手のトーンを注意することもあるかもしれないが、それが火に油を注ぐ結果になることもあるだろう。ロジカルコミュニケーションで重要なのは、あくまで目前の「論点」に向き合うことである点に注意してほしい。

●論点のすりかえ3:お前だって論法

 「お前だって論法」(ラテン語 argumentum tu quoque; appealing to hypocrisy)は、ある主張に対して、その主張に具体的に反論するのではなく、主張する相手の過去にさかのぼって相手の行為を攻撃し、論点を拡散させる論法を指す。
 
例1 A:君は今日、遅刻してきたね。
   B:お前だって、昨日遅刻してきたじゃないか。

 
 例1において、Aの論点は「Bの今日の遅刻」であるにもかかわらず、Bは「Aの昨日の遅刻」に論点をすりかえている。
 いつも遅刻しているような人間に「遅刻するな」と言われると「お前だって」と言い返したくなる気持ちは心情的には理解できる。しかし、これも目前の論点をすりかえて、話を逸らしていることに変わりはない。
 このケースでは、あくまで今日遅刻したのはBなのだから、その目前の論点については「今日は遅れてごめん」のように謝罪し、次に別の論点に移るべきである。あくまで今現在、目前にある論点から片付けていかなければ建設的な議論ができない。
 
例2 A:ロシアがウクライナに侵攻したことは許されない。
   B:アメリカだってアフガニスタンに侵攻したじゃないか。

 
 例2において、Aの論点は「ロシアのウクライナ侵攻」であるにもかかわらず、Bは「アメリカのアフガニスタン侵攻」に論点をすりかえている。
 「お前だって論法」は、冷戦時代のソ連が多用したプロパガンダとしても知られる。当時のソ連外交部は、東側の主張が批判されると「西側だって」と意図的に論点をすりかえていたことが明らかにされている。
 
 「お前だって論法」を繰り返し、、いったん相手の過去にさかのぼって両者が攻撃を始めると、お互いに収拾がつかなくなり、人間関係を泥沼化させてしまう場合もある。些細なきっかけから、お互いに「お前だって論法」をエスカレートさせると、次のように大きな悲劇が生じる危険性もある。
 
例3 夫:君は今日、遅刻してきたね。
   妻:あなただって、よく遅れてくるくせに。
   夫:まず、今日遅れたことについて謝ったらどうだ?
   妻:それを言うなら、あなたが先週の金曜日、結婚記念日の夕食に遅れてきた件はどうなるの?
   夫:金曜日は、仕事が長引いたから、仕方がないじゃないか。それを言うなら、君が準備に手間取って遅刻したせいで、新婚旅行の飛行機に乗り遅れたことを忘れたのか? 高い飛行機代が、君のせいで無駄になったんだ!
   妻:お金のことばかり言って、ケチな人! こんな人と結婚しなければよかった! もう離婚する!

●論点のすりかえ4:お前だったら論法

 「お前だったら論法」(whataboutism)は、ある主張に対して、その主張に具体的に反論するのではなく、「~だったらどうなんだ」(What about……?)と論点をすりかえる論法を指す。
 
例1 A:あの選手、なんであの場面でバックパスするんだ? どう考えてもゴール前にパスする場面なのに!
   B:お前だったらできるのか?

 
 例1において、Aの論点は「ある選手のバックパス」であるにもかかわらず、Bは「お前だったらできるのか」と論点をすりかえている。
 
例2 A:どうして首相の政策は愚策ばかりなのかな?
   B:それじゃあ、お前が首相になれば?

 
 例2において、Aの論点は「首相の政策が愚策」だということであるにもかかわらず、Bは「お前が首相になれば」と論点をすりかえている。
 
例3 娘:ママ、この鮭のムニエル、少し塩辛いんだけど……。
   母:じゃあ、お前が作れば?

 
 例3において、娘の論点は母の料理が「少し塩辛い」ことであるにもかかわらず、母は「お前が作れば」と論点をすりかえている。
 せっかく作った料理を批判されると「お前が作れば」と言い返したくなる気持ちは心情的には理解できる。しかし、これも目前の論点をすりかえて、話を逸らしていることに変わりはない。

●論点のすりかえ5:衆人に訴える論法

 「衆人に訴える論法」(ラテン語 argumentum ad populum; appealing to popularity)は、ある主張に対して、その主張そのものを議論するのではなく、多数が支持しているから正しいと論点をすりかえる論法を指す。
 
例1 警察官:スピード違反です。
   運転手:他の多くの車だってスピード違反しているんだから、
構わないだろう。なぜ僕だけ捕まえるんだ!

 
 例1において、運転手は自分がスピード違反を犯したという論点を「他の多くの車」が違反しているという論点にすりかえている。
 
例2 与党議員:我々は衆議院の過半数を占めているから、この法案を投票で成立させる。
   野党議員:この法案には国民から多くの反対意見が寄せられて
いる。もっと慎重に審議すべきだ。
   与党議員:我々は国民の過半数から支持されているんだから、投票の結果は国民の判断である。

 
 例2において、与党議員は「衆議院の過半数」を「国民の過半数」と同一視しているが、実際にはその比率は成立しない。
 たとえば、2021年の衆議院総選挙では、自民党が衆議院定数465人のうち261人(56%)を占める「絶対安定多数」を獲得した。
 ところが、自民党は小選挙区で約2762万票(48.1%)を獲得したとはいえ、実際の自民党候補が獲得した票数の割合(絶対得票率)は26.2%にすぎない。というのは、もちろん投票率が低いからである。
 さらに、比例代表区における自民党の得票数は約1991万票(34.7%)だが、絶対得票率は18.9%にすぎない。つまり、比例代表区における自民党の国民全体からの支持率は、過半数どころか、20%弱しかないわけである。
 このような現象が生じる原因として、「どの政党も支持しない」と考えて選挙に行かないかなりの数の国民が存在することを理解すべきである。少なくとも「衆議院の過半数」が「国民の過半数」に直結しないことは明らかだろう。

●論点のすりかえ6:感情(恐怖・同情・嘲笑)に訴える論法

 「感情(恐怖・同情・嘲笑)に訴える論法」(appealing to emotion [fear, pity, ridicule])は、ある主張に対して、その主張そのものを議論するのではなく、感情(恐怖・同情・嘲笑)に直接訴えかけることによって論点をすりかえる論法を指す。
 
例1 A:このまま環境破壊が続くと人類は滅亡します。
   B:そんな恐ろしいことは言わないでくれ!
 
例2 A:このまま環境破壊が続くと人類は滅亡します。
   B:それでは人類が哀れすぎるじゃないか!
 
例3 A:このまま環境破壊が続くと人類は滅亡します。
   B:そんな大げさなこと言うと笑われるよ!

 
 例1・例2・例3において、Aの論点は「環境破壊」であるにもかかわらず、各々が「恐怖」・「同情」・「嘲笑」によって論点をすりかえている。

●論点のすりかえ7:信仰(神・自然・伝統)に訴える論法

 「信仰(神・自然・伝統)に訴える論法」(appealing to faith [God, nature, tradition])は、ある主張に対して、その主張そのものを議論するのではなく、信仰(神・自然・伝統)に直接訴えかけることによって論点をすりかえる論法を指す。
 
例1 A:私は同性婚に賛成します。
   B:お前は間違っている。神は異性婚のみを許されている。
 
例2 A:私は同性婚に賛成します。
   B:お前は間違っている。同性婚は自然ではない。
 
例3 A:私は同性婚に賛成します。
   B:お前は間違っている。伝統的に異性婚のみが許されている。

 
 例1・例2・例3において、Aの論点は「同性婚」であるにもかかわらず、各々が「神」・「自然」・「伝統」によって論点をすりかえている。
 あらゆる議論の前提に「神」・「自然」・「伝統」のような「信仰」を持ち出されると、その時点で論点がすりかえられてしまうことに注意してほしい。
 
例4 A:私は同性婚に賛成します。
   B:私は同性婚に反対する。なぜなら、私の尊敬する父が同性
婚に反対しているからだ。

 
 例4において、Aの論点は「同性婚」であるにもかかわらず、Bは「尊敬する父」の意見に論点をすりかえている。
 言うまでもないことだが、「神」・「自然」・「伝統」あるいは「尊敬する父」を大切にすることは個人の自由である。ただし、そのことと「同性婚」の是非に関わる議論は直結しない。
 残念ながら、たとえば「神は同性婚を許さない」という結論のみを最初から最後まで主張する論者とは、何時間話し合っても建設的な議論ができない。
 ここで建設的な議論とは「現代社会で同性婚を法制化する際のメリットとデメリット」の論点を列挙して判断することであり、ロジカルコミュニケーションで重要なのは「結論」ではなく「過程」なのである。

●論点のすりかえ8:権威に訴える論法

 「権威に訴える論法」(appealing to authority)は、ある主張に対して、その主張そのものを議論するのではなく、何らかの権威に訴えることによって論点をすりかえる論法を指す。
 
例1 A:ビタミンCを大量に摂取すると癌が治るんだよ。
   B:そんな話には医学的な根拠がない。
   A:たしかに医学的には認められていないかもしれないが、君はライナス・ポーリング博士を知っているよね。彼は、ノーベル化学賞に加えてノーベル平和賞を受賞した大天才で、人格的にもすばらしい人物だ。その彼がビタミンCで癌が治ると言っているんだから、間違いないよ。

 
 例1において、ポーリングが化学界ですばらしい業績を残し、また世界平和を追求し、学者としても人格的にも高く評価されていることは事実である。だからといって、彼の学説がすべて正しいわけではない。
 ポーリング自身が、次のように述べている。「立派な年長者の話を聞く際には、注意深く敬意を抱いて、その内容を理解することが大切です。ただし、その人の言うことを『信じて』はいけません! 相手が白髪頭であろうと禿頭であろうと、あるいはノーベル賞受賞者であろうと、間違えることがあるのです。常に疑うことを忘れてはなりません。いつでも最も大事なことは、自分の頭で『考える』ことです」
 
例2 A:なぜ君は結婚しているのに平気で浮気するのか?
   B:僕の尊敬する物理学者アルベルト・アインシュタインは結婚後に従姉と不倫して再婚し、その後も10人以上の女性と浮気しているんだ。僕も見習わなければと思ってね。

 
 例2において、Bは「物理学者」としてアインシュタインを尊敬するという意見から、アインシュタインの「不倫」を「見習わなければ」という論点に飛躍している。
 一般に、人間には、理由や根拠が曖昧であっても権威者の意見や行動を重んじて受け入れやすい「権威への隷属性」と呼ばれる心理的傾向がある。コミュニケーションの場面で何らかの「権威」が登場する際には、その「権威」が正当な意味を持つのか、論点のすりかえに使われているのか、吟味しなければならない。

●論点のすりかえ9:藁人形論法

 「藁人形論法」(straw man)は、ある主張に対して、その主張そのものを議論するのではなく、その主張を歪めた架空の解釈(藁人形)に攻撃を加えて論点をすりかえる論法を指す。
 
例1 A:子どもが屋外で遊ぶと危険なこともあるね。
   B:君は、子どもを家に閉じ込めておくべきだと言うのか。それじゃあ、子どもが可哀そうだろう。

 
 例1において、Aは「屋外では危険なこともある」と主張しているにもかかわらず、Bはそこから「家に閉じ込めておくべき」と極端な解釈を組み立て、それに対して「可哀そうだ」と結論付けている。
 いわゆるSNSの「炎上」は、誰かの主張が切り取られて極論な結論に曲解される「藁人形論法」で生じるケースが散見される。その論法を見た人々が、さらに批判を繰り返して拡散するわけだが、常に最初の「原典」を確認して「藁人形」ではないか確認する必要がある。
 
例2 顧客:リモコンが故障したんだが。
   修理部門:それはお困りですね。まずリモコンに電池が入っているか、ご確認いただけますでしょうか。
   顧客:お前は、俺がリモコンに電池を入れないバカだと思っているのか。失礼な! 上司と代われ!

 
 例2において、修理部門は「リモコンに電池が入っているか」を確認しているにもかかわらず、顧客は「リモコンに電池を入れないバカ」という極端な解釈を組み立て、それに対して「失礼な」と結論付けている。
 「慇懃無礼」という言葉があるように、丁寧すぎるために「藁人形論法」を生じさせるケースもある。この種の「藁人形論法」を回避するためには、修理部門が最初に「故障の原因を突き止めるために、ルーティーンで幾つか質問させていただきます」と断っておくのも、一つの方法かもしれない。
 2023年6月18日、豪華客船タイタニック号の残骸を見るツアーで潜水艇「タイタン」が水圧で圧し潰されて「圧壊」し、5人の乗組員全員が瞬時に死亡した。
 潜水艇の安全性を問われたツアーの責任者は、「どうしても安全でいたければ、ベッドから出なければいいし、車に乗らなければいいし、何もしなければいいだろう」と答えている。
 彼は、この「藁人形論法」を妄信して安全性を軽視し、自ら潜水艇「タイタン」を操縦して、結果的に逝去したのである。

●論点のすりかえ10:赤いニシン論法

 「赤いニシン論法」(red herring)は、ある主張に対して、その主張そのものを議論するのではなく、主張の意味を故意に逸らして論点をすりかえる論法を指す。
 この論法は、どちらかというと修辞学や文学の技法として用いられてきた。もともとは13世紀の記述「彼は魚は食べなかったが、赤いニシンは食べた」(He eteþ no ffyssh But heryng red.)に由来する。
 
例1 女:あなた結婚しているの?
   男:結婚式は挙げていないよ。
   ……(半年後)……
   女:「結婚していない」と言ったのはウソだったのね?
   男:僕は「結婚していない」とは言っていない。「結婚式は挙げていない」と言ったんだよ。

 
 例1において、男は「結婚」を「結婚式」の概念と故意に勘違いさせて、論点をすりかえている。
 
例2 記者:今朝、ご飯は食べましたか?
   政治家:いいや、ご飯は食べていない。
   記者:先生が会食されていた様子が目撃されていますが?
   政治家:今朝はレストランでトーストを食べた。君がご飯を食べたか聞いたから、僕は白米は食べていないと答えた。

 
 例2のような論点のすりかえは「ご飯論法」とも呼ばれている。
 2021年3月10日、武田良太総務大臣は、参議院予算委員会で、NTT社長との会食があったかどうかを問われて、「国民から疑念を抱かれるような会食や会合に応じたことはない」と答えた。
 いわゆる「大臣規範」では、「供応接待を受けること」は「国民の疑惑を招くような行為」とみなされ、「してはならない」と明確に定められている。
 そのため、武田氏は、NTT側との会食が「あったのか、なかったのか」の「事実」について直接答えず、「国民から疑念を抱かれるような会食や会合に応じたことはない」という定型文の答弁を繰り返した。
 野党が反発して審議は打ち切られ、その後、3月15日までに開かれた4回の予算委員会で、武田氏は、同じ趣旨の質問に対して「合計25回」も「国民から疑念を抱かれるような会食や会合に応じたことはない」という定型文を繰り返したのである!
 「会食や会合」は「あったのか、なかったのか」、どちらかしかない。結果的に週刊誌報道で追い詰められた武田氏は、NTT社長と「会食や会合」した事実を認めた。彼は言い逃れに終始して、予算委員会を6日間も無駄に空転させたのである。

●ロジカルコミュニケーションの第3歩は論点のすりかえを止めること![第1歩と第2歩は、本連載第1回第2回参照]

 さて、上記で述べた10の論点のすりかえの一つひとつについて、読者も具体例を探してみてほしい。もしかすると、読者自身が自分でも気がつかない内に論点のすりかえを行ってきたかもしれない。
 これらの論点のすりかえは、ロジカルコミュニケーションの大きな障害である。可能な限り論点のすりかえを止めて、スムーズで建設的なコミュニケーションを心掛けたいものである。

参考文献
高橋昌一郎『哲学ディベート』NHK出版(NHKブックス)2007年
高橋昌一郎『自己分析論』光文社(光文社新書)2020年
高橋昌一郎『実践・哲学ディベート』NHK出版(NHK出版新書)2022年
高橋昌一郎「天才の光と影――異端のノーベル賞受賞者たち【第8回】「アルベルト・アインシュタイン」『Voice』2022年10月号、pp. 192-199.
高橋昌一郎「天才の光と影――異端のノーベル賞受賞者たち【第9回】「アルベルト・アインシュタイン(続)」『Voice』2022年11月号、pp. 190-197.
高橋昌一郎「天才の光と影――異端のノーベル賞受賞者たち【第15回】「ライナス・ポーリング」Web Voice, 2023年7月、https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/10225

イラスト・題字:平尾直子

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高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授・情報文化研究所所長。専門は論理学・科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。

動画【ロジ研#2】ロジカルコミュニケーション入門【第2回】のご案内
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