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自分の「傷つき」にどう対処するか――「不安を味方にして生きる」清水研 #20 [承認欲求の正体②]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
第1回からお読みになる方はこちらです



#20  承認欲求の正体②

 自分や周囲に対する信頼感はどのように生まれるのでしょうか。今回は人生の第一ステージと第二ステージのなかで作られる価値観や感覚を通して承認欲求の正体について考えていきます。

人生の第一ステージの課題

 ユング心理学には、中年期は人生の正午であり、成長を感じる人生の午前から老いや死を強く意識する人生の午後に移行するとき、危機を迎えたのちに価値観が大きく変わるという考え方があります。
 人生の午前と午後では見える景色がまったく異なります。攻略法が違うゲームのステージみたいに感じるので、老いや死を強く意識するまでを第一ステージ、その後を第二ステージと私は呼んでいます。

 連載のなかで、これまでも人生のふたつのステージについてお話ししてきましたが、ここでもう一度、第一ステージを概観します。第一ステージの課題とは何か。それは社会と折り合いをつけて自分の人生を歩めるようになることだと私は考えます。
 幼いころは社会でのふるまい方を知らないので、親や教師、そのほかの大人から世の中を渡るための「型」を学び、実践しようとします。学びとる型は人それぞれですが、例をあげると、人に迷惑をかけてはいけない、お金を稼がなければならない、他人を信用しすぎてはならない、学歴は高くなければならない、大企業に就職しなければならない、結婚しなければならない、などです。第13回などで述べてきた「must(~しなくてはならない)思考」にあたるものです。
 成長するにつれ、最初に身につけた型(must思考)が「want(~したい)思考」と合わないと感じる部分が出てきます。そして、もとの型を壊したり改良したりしながら、だんだん自分なりの型を作っていきます。それほど窮屈さや理不尽さを感じず、社会のなかで自分の人生を歩めるようになったと感じられれば、第一ステージの課題はクリアされたのです。

 第一ステージの課題を比較的容易にクリアできる人と、傷ついてボロボロになりながら課題と向き合わざるをえない人がいます。自分や周囲を信頼することができる人は、最初に身についた型をうのみにせず、変えていけます。そのような信頼感、安心感がないと、型を壊す勇気をもてないからです。
 第19回でエピソードを紹介した横山医師もこころの底に無力感が居座り、父親からの「優秀な外科医にならなければならない」という強いmustにずっと縛られていました。

基本的信頼感の大切さ

 子供のころの対人関係の経験が、大人になったあとも世界のとらえ方に大きく影響を与えることはよく知られています。周囲の大人が「あなたはあなたのままでいい」との態度で接すれば自己肯定の傾向が強まり、他者に対する信頼感をもつことができます。このような「他人や世界は安全であり、自分は自分のままでいい」との感覚が「基本的信頼感」なのです。
 逆に、「おまえはダメだ」といった否定的な言葉をかけられる機会が多ければ、自分はダメだとの認識が強まり、自己肯定感が低くなります。そして、他人は自分を傷つける存在だと思うようになり、ひいては「社会はこわい場所だ」との潜在意識が生まれます。
 否定的な言葉を投げかけられなくても、食事をきちんと与えられなかったり、世話をされずに放置されたりすると、「自分はいつ見捨てられるかわからない存在だ」と感じます。私の子供時代には、いたずらをして家から閉めだされた子供も少なくなかったように記憶していますが、これも「自分は見捨てられるんじゃないだろうか」という潜在的な不安を引き起こし、基本的信頼感を脅かします。

 基本的信頼感は、人生を歩むうえで重要な意味をもちます。基本的信頼感があると、他人を信頼して積極的にコミュニケーションを図れるので、健全な人間関係を築きやすくなります。
 基本的信頼感が欠如していると他人に拒絶されることを恐れ、人の輪のなかに入るのがこわくなります。また、その自信のなさを見抜き、利用しようと近づいてくる人もいます。一方的に利用される関係に陥っても、自分を否定されるのに慣れていると大きな違和感をもたず、見捨てられることへの不安もあり、関係を絶つのが難しくなります。

 基本的信頼感がある人は、十分な資金や装備とともに冒険に出かけるようなものです。一方で、基本的信頼感が欠如している状態とは資金も装備もなく、素手で怪物が潜む森に出かけるようなもので、道のりは困難を極めます。
 基本的信頼感が高ければ、最初に教えられ、身につけた型(must思考)が「こうしたい(want思考)」と合わなければ、比較的容易にその型を壊すことができます。
 たとえば、大企業に就職すれば比較的安定した収入を得られるが、より自由な生き方を選ぶほうが自分に合っていると思えば、人生の方向性を変えるなどといったことです。

 基本的信頼感が低い場合は、自分の感覚を信頼できません。そうすると、must思考を自分なりにアップデートできないまま、がんじがらめになってしまうのです。
 「大きな組織の一員にならないと生きていけない」というmustがあれば、そこがどんなに自分には窮屈で苦しかったとしても、wantはmustに押さえつけられてしまいます。ともすればwantの声が聞こえなくなり、「自分は何をしたいのだろう」と当惑します。

 みなさんもさまざまな悩みを抱えていると思います。会社での評価が低い、給与が安い、結婚相手が見つからない、いろいろ助けているのに感謝されない……。悩みの対象は異なっていても、その根源には基本的信頼感の欠如と、強いmust思考があることが多いのではないかと思います。その場合、顕在化している悩みが解決しても、本質的な問題が解決されていないため新たな悩みが生まれるでしょう。
 一方で、横山医師が変わったように、自分自身の傷つきの問題に対処できれば、そうした悩みがなくなる場合も多いのです。簡単な道のりではないかもしれませんが、私は精神科医としての経験から、人は自分自身の悩みの根源に気づけば問題解決の端緒に立ち、解放に向かって歩めると信じています。
 自分も周囲も大切にしながら社会のなかで生きていけるようになれば、第一ステージの課題はクリアです。

承認欲求

 最後に、承認欲求について付け加えておきます。私自身も承認欲求が強く、ずっと人の目を気にしながら生きていました。自分の欲求に向かい合おうとせず、他人の評価を得るための行動ばかりとるうちに、何をしたいのかがわからなくなり、こころの底に虚しさを抱えていました。
 承認欲求も、「私ってすごいでしょう!」とあけっぴろげに自慢できたら、そこまでこじらせずにすみます。批判を浴びそうでそうもできず、表向きは謙虚にふるまっていました。横山医師のように仕事に邁進し、誰が見ても正しい行動によって認められようとしていたのです。
 このように自分を抑圧して承認欲求をこじらせていたので他人の承認欲求にも敏感で、認めてもらおうとする人のこころの動きを読み取り、苛立つこともありました。

 周囲からは愛想のよい人と思われることもあったでしょう。けれどその愛想のよさは思いやりからではなく、評価を受けるためのものでした。なんて自分本位な人間なんだろう、評価ばかり気にする利己的な人間だと思い、そのことが見透かされているのではないかと内心びくびくしていました。
 元来目立ちたがり屋の人もいるでしょうが、横山医師や過去の私のように、基本的信頼感の欠如のために見捨てられることへの不安が根底にあり、その反動で承認欲求が強く発動する人も多いのではないかと、いまは思います。承認されたい人は、傷ついている人なのだと。SNSで他人の承認欲求にふれるときも、その人のインナーチャイルド(内なる子供)の「私を見てほしい」という叫びが聞こえてきます。
 みなさんのなかにも承認欲求の強さに悩んでいる方がいたら、自分のこころの声に耳を傾け、こころが傷ついていないか考えてみてください。もし傷つきがあったら、自分を責めるのではなく、そこに至るまでがんばってきた自分をいたわることができれば、何かが変わるスタートになるかもしれません。


第19回を読む 第21回に続く

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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