「日記の本番」 4月 くどうれいん
小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。くどうさんの4月の「日記の練習」をもとにしたエッセイ、「日記の本番」です。
新連載が3本始まり、日々はどばどば過ぎる。作家の仕事には(と大きな主語で言っていいのかわからない、わたしはエッセイや絵本を書いたりロケや取材の仕事もしたりするので、小説のみを書く作家の皆さんとはもしかしたらずいぶん違う生活をしているのかもしれない)ここが山場!ということはあまりなく、おわ~!と言っていたらまたさらにもっと高い山頂がくる。お山がひとつあって、うんしょと登ってよいせと下りるのではなく、てっぺんのわからない山脈が右にも左にも前にもずっと続いているようなそんな感覚である。そのため3か月後よりも来週末のほうが空いている(予定が入らないことが確定している)という状況もままあり、そのような隙間にヤーと新幹線のチケットを差し込んで突然鎌倉へ行った。鎌倉は夏のように暑く、上半身裸のひげサングラスお兄さんが大きなハンバーガーを食べていて、都会の海の街!と思った。わたしはそういう、よっ!いかにも!という光景に遭遇すると興奮する癖がある。秋田の大曲でも、そこかしこに花火のモチーフがあってあれはよかった。〇〇と言えば!の「と言えば!」で表すことのできるわかりやすさに憧れているのかもしれない。わたしはたいへんミーハーな母に育てられた。母は昔から有名人を見るとすぐ目をハートにする一方でたくさんテレビに出ている有名人には「この人出すぎじゃない?」と文句を言う面倒くささも持ち合わせており、わたしは有名になりたいというきもちと、有名な人みんなきらいというきもちどちらにも水をやってすくすく育てた。その結果常に(こんなんじゃだめだ、わたしは偉人になって死ぬのに)という無知な野心と(わたしは本当に愚かで調子に乗っていていつかすべて失う)という懺悔が同居しており、その懺悔のほうをSNSに書かないようにして2年半ほど経つ。へこんでいる他人はめんどうだから。それだけの理由である。
そのままでもあらららと言っていたら終わりそうな4月になぜ鎌倉へ行ったかと言うと、3月に絵本作家の大御所である長野ヒデ子さんと文通をはじめる事態となり、その手紙の中でヒデ子さんが「鎌倉に来るなら4月のうちがいい、5月にはもう暑いから」と言うので、そんならもう行くしかなかろうと行ったのだ。ただでさえ大好きだった絵本「せとうちたいこさんシリーズ」の作者がわたし宛に手紙を書いてくれて、そこにビールを持った「たいこさん」とわたしが乾杯している絵が書いてあって夢のようなのに、ご本人に会いに行っていいだなんて。アトリエを見せていただけるなんて。我に返って緊張する前に行ってしまえ!と思い切って鎌倉行きを決めたが、鎌倉へ着くとすっかり我に返ってド緊張してしまい、着いて30分足らずで白磁のうつわを衝動買いした。わたしは極限まで緊張すると白磁器を買うんだなと思った。会う直前まで(夢?)と思いすぎて(罠?)とすら思っていた。ヒデ子さんはインタビュー記事で拝見した通り、とてもお洒落でお転婆でキュートな人で、生きる伝説のようだった。アトリエも、ヒデ子さんが教えてくれるお話もぜんぶ、ひとつひとつ記録して額装したいようなものすごいものばかり。23時すぎまでバーでふたりで過ごしながら、わたしは50年後ヒデ子さんのようにこの時間までバーにいることができるだろうか、と自分の健康に対して漠然とした不安に駆られた。ヒデ子さんはわたしが田んぼだらけの田舎育ちだと知ると「わたしとおんなじ!」と喜んでくれて「じゃあやっぱり虫とかたべた?」ときらきらした瞳で言った。こんなにも昔の自分が虫を食べていれば良かったと思ったことはない。ヒデ子さんとの時間のことをいつかどこかでちゃんと書くことが出来ればいいなと思っている。
鎌倉から帰ってくると、竜宮城から帰ってきたようなきもちでぽかんとしていた。玉手箱を開けずとも人はたのしすぎるとそのあと老ける。月の初めに行った秋田の取材旅行もとてもたのしいものだったので、今月はぽかんとしている時間がとても長い。
会社を辞めてちょうど1年経った。きゃっほいと声が出るようなうれしいこともあれば、いやいやする作業もあり、とても捗る日もあれば、呆れるほどなにも進まない日もある。会社員となにも変わっていないなと思う日と、でもやはり孤独だなと弱々しいきもちになる日とあるが、4月は前者のほうが多かった。
くどうれいんと言えば!という作品をいつか遺したいものだ。自分の名前なんかよりも作品名だけが遠くに遠くにいくような、そういう作品を。「くどうさんもご多忙でしょうから落ち着いたあたりで」と締め切りを随分先に設定しようとしてくれた担当さんに「いーやわたしは一生落ち着かないよ、いちばん忙しくないのがいまかもしれないんだからいま頼んだほうがいいです」と脅して豪快に笑った。
書籍はこちら
タイトルデザイン:ナカムラグラフ
「日記の練習」序文
プロフィール
くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。