「日記の本番」9月 くどうれいん
小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。くどうさんの9月の「日記の練習」をもとにしたエッセイ、「日記の本番」です。
ゆきちゃんのガラケーを借りて、10年前書いた日記を読んだ。高校生の時にわたしが日記を書いていた「ホムペ」は、サービスが終了してしまったのでもう二度と見ることができない。もう一文字も読み返すことがないと思っていた日記を大事に保存してくれていた人がいて、その人が、仙台のサイン会でそのことを教えてくれなければ、わたしはもう一生高校生の時の自分が書いていた日記を読み返すことはできなかったと思う。ほとんど毎日のように日記を書いていた。おそらく、賞をとれなかった文芸部時代のぼやきや、可愛いクラスメイトをひがむようなことばかり書いていたと思う。それなのに、10年前のゆきちゃんが読み返したいと思って画面メモをしてくれていた日記しか読み返すことができなかったから、わたしの日記の中でも、とてもよく書けたものだけを読めたのは幸いだったと思う。わたしの日記は思ったよりもずっと読みやすく、思ったよりもずっとうっとりとしていて、思ったよりもずっとかっこつけで、思ったよりもずっと、いまと同じようなことを言っていると思った。白い背景に、濃い目の灰色の文字。そうだった。あのとき、フリック入力なんてないガラケーで、どうやって文字を打っていたのかまで思い出すことができた。ゆきちゃんがわたしの日記を見せるために電源を入れてくれたガラケーはドコモのSHのやつで、起動されると側面がグラデーションで青く光った。
もう15年前くらいからずっと日記を続けている。「ずっと続けている」というわりには、正確にはファーストシーズン、セカンドシーズン、のように、ブログを変えて、消しては新しいものを建てて、という形で、1年~2年、早ければ3か月ほどでつぎつぎ乗り換えているから、わたしももう連続してそれを読み返すことができない。毎日書いていたわけでもなく、更新頻度には本当にむらがある。ノートに直筆で日記を書こうと試みたこともあったが、本当にまったく続かなかった。わたしはとにかく、静かなインターネットに日記を放ち、誰かが読んでくれるという前提で日記を書くのが好きだったのだと思う。Twitterというものが現れてからはそれで言いたいことが事足りたように思われる時期もあったけれど、なんか違う、と思うのだった。こんなに簡単にリアクションがもらえてしまうのは、うれしいけれど、なんか、ぜんぜんぺらっぺらのシールのようで不服だった。だからTwitterをたくさんしながら、日記は続けていた。わたしは指先ひとつのウインクみたいな好意ではなく、日記を通してもっともっと、悔しいに似た好意を寄せてもらえるようになりたい、というような気持ちだったのだと思う。バズりたいのではなくて、誰かひとりの人生がどうしようもなくなるような日記を書きたかった。それは紛れもなくわたしが、あるひとのブログを読んで人生がおかしくなったって思っているからだと思う。
高校生の時は文芸部でのことと、きらいな高校生のこと。大学生の時は短歌サークルでのことと、きらいな大学生のことを書いていた。働くようになってからは、働く自分のことを俯瞰するような日記に変わった。そのすべてで恋をしていて、恋をするともう、恋の日記しか書かなくなってしまって、その恋がすこし冷めたあたりで、ブログをさっと変えるのだった。ここまで書いてみて、考えてみて、わたしはもしかして日記を続けていたわけではなくて、恋をし続けていたのかもしれないな、と思いぞっとした。けれどたぶん、結構そうだ。「どうしたら書き続けることができますか」「原動力は何ですか」と必ずと言っていいほどトークイベントでは訊かれるけれど、わたしの場合、何か書こうと思うときはわたしがわたしにうっとりしているときでなければうまくいかない。だから、恋しているか、恋に準じた何かをし続けているからこそ、わたしはこうして書き続けているのだと思う。うっとりしていなくても、うっとりしすぎていても、日記はうまく書けない。そして日記のことを考えるときは、たいてい、その日記があまりうまくいかなくなってくるときなのだ。
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タイトルデザイン:ナカムラグラフ
「日記の練習」序文
プロフィール
くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。2作目の食エッセイ集『桃を煮るひと』が発売中。