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日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔肉じゃがと文化〕 新井見枝香

※当記事は1話読み切りのエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第23回です。第1回から読む方はこちらです。

 肉じゃがの肉は「豚」である。それはすき焼きの肉が「牛」で、ジンギスカンの肉が「羊」であることと同じくらい、当たり前のことだ。近所のスーパーでは豚肉売場がいちばん大きい。それは、豚の生姜焼き、肉野菜炒め、豚汁と、食卓に登場する頻度が高いからに違いない。しかし先日、肉じゃがを作って皆に振る舞う機会があり、私の常識が崩壊した。食卓を囲んだ中に島根出身と京都出身の人がいて、新井家伝統の肉じゃがを口にした途端、怪訝な顔をしたからだ。甘辛く煮えた薄切りの豚肉、やや煮崩れたじゃがいも、醤油色に染まった糸こんにゃくに玉ねぎと人参、どこからどう見ても、王道の家庭料理だ。しかし彼らは口を揃えて言った。「これは肉じゃがではない」と。
 生まれも育ちも東京の私は、肉じゃがもカレーも、豚肉を使う。牛肉といえば高級品で、ステーキや焼き肉など、肉そのものを味わう調理でないともったいないという思いがある。牛肉を甘辛く煮るなら、ご馳走としてすき焼きにしたほうがいいし、ビーフカレーは洋食レストランで食べるものだ。しかし肉じゃがに牛肉を使う家では、カレーにも牛肉を使うという。なんと贅沢な!
 そこから話は、市販のカップ麺が一見同じ商品でも、地域によって汁の味が違うという話題に派生した。島根から東京に出てきて、コンビニで馴染みのカップそばを食べた人は、ポットの湯をもらったコンビニの店員に「水が腐っている」とクレームを付けてしまったそうだ。確かに島根の水より都心の水は美味しくなかろうが、とんだ濡れ衣である。
 後日、カップに小さく(W)と記された、西日本バージョンのカップそばを手に入れ、いつもの東日本バージョン(E)と同時に同じ湯を入れ、食べ比べてみた。
 まず汁の色が薄くだしの香りが違う。一口啜ってみれば、初めて食べたはずの(W)のほうが、旨味が豊かで味が優しく、どう考えても好みだった。得意気な島根人と京都人が癪に触るものの、汁を飲み干すまで、カップから口が離れない。彼らの実家のレシピで、肉じゃがを作ってみたくなった。
『お椀ひとつで一汁一菜 雑煮365日』は、全国お雑煮文化研究家であり、日本の伝承・伝統食文化の普及に勤める松本栄文さんの、お雑煮本だ。
 年の瀬が近付くと、それぞれの実家のお雑煮が話題に上る。味付けは醤油なのか味噌なのか、餅は丸か角か、焼くのか煮るのか……。しかし著書の冒頭で、「雑煮は正月のものだけではないです」とあるように、春夏秋冬それぞれの季節に楽しめる雑煮レシピが収録されていた。春は若竹、夏は鰻、秋は丸なす、冬は鰤。つまり、なんでもお雑煮にできる。
 しかし最も私の興味を引いたのは、地域の伝統的な雑煮だ。お節が豪華な石川県の加賀では、煮餅と白葱だけのシンプルな雑煮。海がない長野では、正月こそ贅沢にと、具に海の魚を使う。それなら、地域によって肉じゃがの肉が違うことにも、理由があるのではないか。
 調べてみると、それぞれの土地に合った農耕用家畜が違ったことが、今の食文化に影響しているようだ。関東は馬を使い、関西は牛を使った。身近な牛を食べる習慣が生まれた関西に対し、養豚が盛んになった関東には、豚を食べる文化が定着したらしい。
 ちなみに私の実家では、鶏肉、大根、人参、ごぼう、ねぎ、ほうれん草、さつまいも、かまぼこなどを醤油味で煮て、焼いた角餅3個に焼き海苔を乗せたお雑煮を、正月のお節とともに戴く。これだけ具だくさんなのは、母親が栄養士の免許を持っているからで、餅が3個入っているのは、娘がくいしんぼうだからである。それぞれの家庭に伝わる料理にも、理由はあるのだ。

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プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)

書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
*新井見枝香さんのTwitterはこちら
*HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEのHPはこちら

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