日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔終わりとシンプルさ〕 新井見枝香
※当記事は1話読み切りのエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第24回です。どの回からもお読みいただけますが、第1回から読む方はこちらです。
その町には、同じ店名のケーキ屋とパン屋とカフェがあった。どれも昔からあって、地元の人に愛されている人気店だ。私はそのケーキ屋の四角いスイートポテトが大のお気に入りだった。しかし数か月ぶりに立ち寄ると、ケーキ屋だけでなく、同じ名前の店の全てがシャッターを下ろしている。地元の人に訊ねると、それらを経営する会社の社長が大きな負債を抱えたまま失踪し、突如倒産してしまったらしい。ウインドウの隙間からはクリスマス飾りが見えていた。ここで働く人たちが閉店を予期していたとは思えない。ある日突然、仕事を失ったのだ。退職金はおろか、給料だって支払われないかもしれない。そうなれば、社長に対して恨みを抱き、ここで働いたことを後悔してもおかしくはないだろう。
全ての人が、今就いている仕事を、いつかは離れる。それは転職かもしれないし、定年退職かもしれない。自分の意志ではなく、全く予想外の終わりを迎えることだってある。地震やコロナ、病気や怪我、どうにもならないことなんて、いくらでも起こりうるのだ。
そんなことをぐるぐると考えていたら、あと10日で今の職を離れる人と、最後の仕事をご一緒することになった。彼女が20年近く続けた仕事では、何百人、何千人という人と関わったことだろう。その中には、激しく衝突した人や、心ない言葉を言う人もいたそうだ。しかし退職を決め、ひとつずつやり残したことを片付け、切り離していく中で、そういう人たちに対する見方が変わり、相手の言葉や態度の真意に気付けなかった自分を恥じるようになったと言う。私はその言葉を、もう辞めるからこそのきれい事とは思わなかった。
ちょうどその頃、私が通勤電車で読んでいたのが『エレガント・シンプリシティ』という本なのである。著者はイギリスのエコロジスト、サティシュ・クマール。自分自身と地球のために、簡素で美しく生きることを提唱する、思想家であり平和運動活動家だ。自分で抱えきれないほどの物質や人間関係をいったんシンプルにすると、手元に残ったものの大切さが見えてくる。仕事を辞めることには金銭的な不安や挫折感が伴うし、終わりが見えている状態でモチベーションを保ちながら仕事に打ち込むのは、難しそうに思える。もうどう思われてもいいやと、投げやりになってもおかしくない。しかし、仕事を辞めることが、人生をひとまずシンプルにすると捉えたらどうだろう。その時一緒に仕事をしていた彼女は、自分の内側にあった他者への感謝の気持ちに驚きつつ、日に日に表情が和らぎ、透明になっていくようだった。終わりを決意し、表明してからの僅かな時間は、相手を許し、許されるために必要なのかもしれない。
つい最近も、私の好きなミュージシャンのグループが、2年後の解散を発表した。最初は衝撃と悲しみで矛先のわからない恨みすら感じた。なぜそんな先のことを知らされるのかも、理解できなかった。しかしYouTubeで配信された、解散を自分たちで決め、受け入れた上で、全力で走り抜けると語ったメンバーたちの言葉は、お金を持たず、僧侶として世界を巡礼したクマールの言葉と通じるものがあった。どんな状況でも、どう生きたいかというシンプルな問いを自分自身に投げかけ続ければ、シンプルでエレガントな人生を歩んでいける気がするのだ。
プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)
書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
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