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中野京子「異形のものたち――絵画のなかの怪を読む 《善悪と美醜、不思議な悪魔と天使たち(1)》」

 画家のイマジネーションの飛翔から生まれ、鑑賞者に長く熱く支持されてきた、名画の中の「異形のものたち」。
 大人気「怖い絵」シリーズの作家が、そこに秘められた真実を読む。
 ※当記事は連載第7回です。第1回から読む方はこちらです。

 ギリシャ神話と違ってキリスト教絵画に異形のものは登場しないのではないか、と思えばそんなことはない。旧約・新約聖書、外典や聖人伝をも含む宗教画には、唯一神、神の子イエス、天使、悪魔、聖人、人間が織りなすダイナミックな世界が展開されており、異形や残酷を描く画家の絵筆も生き生きしている。
 とはいえ、これまで見てきたように多神教の世界における異形のものたちは多士済々(?)だが、絶対的善と絶対的悪の対立する聖書世界で異形を担うのは、もっぱら悪魔とその仲間たちということになる。
 悪魔とは何か――サタン、ルシファー、ベルゼブブ、ベリアルなど呼び名や使い分けが多岐にわたる上級(?)悪魔とその手下たちというのは、(悪魔論を始めると収拾がつかなくなるので)ざっくり言えば、人間にとっての最大の敵。
 人間は原罪を帯びて生まれたため悪に引きずられやすく、罪を犯せば悪魔の奴隷となる。その弱さにつけこんで悪魔は絶えず多方面から誘惑してくるので、神を信じ、聖書の教えに従って、信仰心を揺るぎないものにすること、それがキリスト教の教えだ。
 ではいったい神はなぜ悪魔を放置しているのか――。それに関しては人間ごときの理解を超越しているとしか言いようがない。「全能の神」と「悪の存在」という矛盾をどう解決するか、古来、数多の高名な宗教家や思想家が挑んで、なお万人を納得させる答えが見いだせていないのだから。

初期の悪魔の姿

 中世の修道士たちが空想の限りを尽くし、またギリシャ神話などの影響も受けながら生みだした悪魔の姿は、ともかく非人間的であることを主眼とした。
 ミヒャエル・パッヒャー(1435頃~1498)の『聖アウグスティヌスと悪魔』を見るとよくわかる。

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(ミヒャエル・パッヒャー『聖アウグスティヌスと悪魔』、1490年、アルテ・ピナコテーク バイエルン州立絵画コレクション蔵)

 全身が緑色(人間の場合、緑がかった肌は死を想起させる)。葉脈模様のペラペラの翼。細すぎる四肢。飛び出た眼球と、ソラマメのように割れた口内は真っ赤だ。牙と角をもち、足は二つに割れた山羊の蹄(悪魔の印)。ごつごつ飛び出た背骨の先(つまり臀部)には、ふっくらほっぺのもう一つ別の顔(どうやって座るのか?)。
 かくも人間離れしていれば、遠くに見えただけで誰もが逃げ出すはずだが、画面後景の人々は平然たる様子。凡俗の肉眼には、目の前で繰り広げられる聖と悪の戦が見えないということか。
 実はこれ、物語画。言い伝えによれば、紀元前四世紀、聖アウグスティヌスの前に悪魔が現れて人間の堕落を列挙した書(画中の大判本)を開き、「ここにおまえの名もあるぞ。祈りを忘れた日があったな」と詰め寄った。すると聖人、少しも騒がず、二本指をたてて祈りを唱え直し、あっさり文面を消し去ってしまう(文書改竄?)。
 悪魔の円い耳に注目。怒りの火炎が噴き出ている。
 それにしても、人間と悪魔がこうやって正面きって対峙すると、前者の裸体は後者のそれに迫力においてとうてい敵わないのは明らかだ。だからこそ聖人はミトラを頭に被り、ぎらぎらの宝石と豪奢なマントを身にまとう。これでようやく対等の存在感となる。
 パッヒャー版悪魔にホラー味を加えると、サルヴァトール・ローザ(1615~1673)版になる。

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(サルヴァトール・ローザ『聖アントニウスの誘惑』)

 こちらは聖アントニウスの修行を邪魔しにきた悪魔だ。
 胸部にのみ人間らしさを残すものの、パッヒャー版同様、眼球の突出、及び四肢の極端な細さと長さが異様さを感じさせる。牙と尻尾があり、両手の先は刃ないし鎌。頭は牛(むしろバク、あるいは牡山羊?)の頭蓋骨めいている。珍しいのは首で、完全に蛇腹のホース状。ろくろ首なみに可動性がありそうだ。
 聖人は十字架を突き付けて応戦中だが、状況は不利に見える。なにしろ悪魔の背後には、猪八戒にそっくりな化け物や、顎から腕が生えた魔物など、応援団まで控えている。

オセロゲームのように

 中世後期からルネサンス初期には、神に背いた天使が落下しながら徐々に鉤爪や角や尻尾などが生えて悪魔化してゆく過程が、堕天使(=反逆天使)の図像としてよく取り上げられた。
 オセロゲームで白が黒にひっくり返るように、善が悪へ変わるドラマを突きつけられ、信心深い当時の人々はどれほど恐懼したか、またどれほど戒めとして心に刻んだか、異教徒たる現代日本人にはなかなか想像しにくい。
 フランス・フロリス(1516~1570)作『反逆天使の墜落』を見てみよう。

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(フランス・フロリス『反逆天使の墜落』、1554年頃、アントワープ王立美術館蔵)

 画面が狭苦しく感じられるほど、天使と悪魔で過密状態だ。堕天使は神に逆らったがゆえに、その当然の帰結として天から「落ちた」というイメージがあるが、ここでは神に忠実な天使と血みどろの闘いをくりひろげた末、敗れて蹴落とされている。
 白い肌と明るい髪の善天使たちは、怒りの表情もあらわに翼を広げ、華やかな甲冑と盾で身を守り、さまざまな武器で裏切り者を成敗中だ。画面左上に、それぞれ槍とレイピア(貴族用の片手剣)を振るう二人の天使がいる。彼らから攻撃され、槍を突き刺されているのは、同じ白い肌と明るい髪の天使。ここはまだ雲上なので、姿では善悪の見分けはつかない。
 ところがいったん落下し始めるやいなや、美しい天使は醜悪で異形の悪魔へと変貌する。画面中央でのたうちまわる赤い竜、メドゥーサと同じ蛇髪男、さらには性器が猛禽の頭部という変わり種もいる。どれも手足の鉤爪は長い。悪魔の化身たる蠅もとまる。筋肉質の若い男性の肉体に動物の頭。イノシシ風、ゾウ風、ライオン風、山羊風、ドラゴン風。落ちるとはつまり獣性が剝き出しになることだと、絵は語る。
 とはいえフロリスの悪魔は、パッヒャーやローザのような突拍子もない形状にはなっていない。頭部こそ違え、基本的な胴体と四肢は人間とそう変わらない。
 非人間的すぎる悪魔は、時代が下るにつれ好まれなくなった。あまりに人間とかけ離れた形姿は驚愕と恐怖は与えても、罪へ誘い込むようには思えないからではないか。抗いながらも罪を犯すのは実に人間的な弱さであるから、そこに付け入る邪悪なものにも人間らしさがないと説得力に欠ける。
 前回登場した蛇女にしても顔は美女だった。もし顔が蛇だったら、肉体がいくらグラマラスでも魅入られる人間はほとんどいないだろう。画中の登場人物ばかりでなく、絵の発注者や鑑賞者にとってもそれは当てはまり、悪の魅力を知る人々は悪魔の姿にも、たとえ片鱗であれ、どこかに煌めく魅力を求めたのだ。
 かくして異様に細長い四肢はだんだん影をひそめ、角や翼はあっても本体は筋肉質の逞しい人間の男(時には悩める美青年)へと変わってゆく。

ミケランジェロのように

 ウジェ-ヌ・ドラクロワ(1798~1863)のリトグラフ『空飛ぶメフィストフェレス』は、ドイツの作家ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲『ファウスト』の挿絵として制作されたもの。

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 悪魔メフィストフェレスは老ファウスト博士を若返らせ、これまで知らなかった人生の快楽を与える代わり、死後の魂をもらう契約を交わす。
 ドラクロワのメフィストはミケランジェロ作品の登場人物なみに筋骨隆々なので、この程度の翼で空など飛べるのだろうかと疑わしくなるほどの重量感だ。鋭く長い手足の爪。見開きすぎて三白眼ならぬ四白眼になった目。つぶれた鼻。しかし翼がなければ人間とそう変わらない。悪魔の存在を信じる者が激減し、ふつうの人間でも時に悪魔のごとき挙に出ることがあると広く知られるようになった時代、外見で悪魔と人間の区別がつきにくいのも致し方あるまい。
 ミケランジェロに心酔していたウィリアム・ブレイク(1757~1827)は、ヨハネ黙示録を元に『巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女』を描いた(本作に関しては拙著『怖い絵 泣く女篇』に詳述)。

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(ウィリアム・ブレイク『巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女』、1803年、ブルックリン美術館蔵)

 フロリス作品のレッド・ドラゴンが文字どおり赤い色をした四つ足の竜だったのに対し、ブレイクの竜は――多頭で長い尾とコウモリの翼を持つにもかかわらず――両足を大きく拡げて立つその下半身によって、明らかに人間の男、それも己の男性性を誇示する男であることが誰の目にもわかるように表現されている。
 このシーンを黙示録はこう記す。
 ――日(=太陽)をまとう女が足を月の上にのせ、出産しようとしていた。そこへ七つの頭に十の角をもつレッド・ドラゴンが現れ、生まれた子を喰おうと待ちかまえた……。
 このドラゴンのインパクトがあまりに強いので、足元の女性を見過ごしてしまうほどだ。彼女はドラゴンに両手を合わせて子の命乞いをするが、無益だろう。画面左下の三日月まで踏みつけられている。ドラゴンの顔は見えない。見えるのは、くるりと巻いた後頭部の角と王冠のみ。
 画面から発散されるのは強烈な性的エネルギーだ。子供を喰おうとする竜の食欲などではなく、か弱い美女の怯えをエクスタシーとする悪魔的性欲だ。だからこそ、トーマス・ハリスのサスペンス小説『レッド・ドラゴン』の連続殺人鬼が、背中いっぱいにこの絵のレッド・ドラゴンを模したタトゥーを刻んだのだ。

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プロフィール
中野京子(なかの・きょうこ)

作家、独文学者。著書に『「怖い絵」で人間を読む』『印象派で「近代」を読む』『「絶筆」で人間を読む』『美術品でたどる マリー・アントワネットの生涯』、「怖い絵」シリーズ、「名画の謎」シリーズ、『ヴァレンヌ逃亡』、『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』『(同)ハプスブルク家12の物語』『(同)ブルボン王朝12の物語』、最新刊に『画家とモデル――宿命の出会い』など多数。2017年に特別監修を務めた「怖い絵」展は、全国で約68万人を動員した。 ※著者ブログ「花つむひとの部屋」はこちら

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