中野京子「異形のものたち――絵画のなかの怪を読む 《善悪と美醜、不思議な悪魔と天使たち(2)》」
画家のイマジネーションの飛翔から生まれ、鑑賞者に長く熱く支持されてきた、名画の中の「異形のものたち」。
大人気「怖い絵」シリーズの作家が、そこに秘められた真実を読む。
※当記事は連載第8回です。第1回から読む方はこちらです。
地獄と天国
洋の東西を問わず、地獄の描写は芸術家たちの創作欲を著しく刺激し、個性あふれる世界が構築されている。一方、天国。そこは常に花咲き乱れ、芳香が漂い、誰もが満ち足りて幸せ、というのだから独自色は出しにくい。
昔のフランス映画にこういうのがあった、女優を目指したが街娼になり、ようやく愛を感じた相手と暮らし始めるが、「幸福は楽しくない」と知る。そしてまた刺激的な地獄の生活へもどり、殺される。
もちろん天国の住人たる天使たちは、楽しくないとか退屈だなどと思ってはいないだろう。それとも思っているのか……?
天使とは「神より下、人間より上の霊的存在」ということになっているが、どこかしら何かしら謎めいている。ジャン・ジュネも言う、「天使たちはいったい歯や性器を備えているのであろうか。彼らはあんな重い翼、羽のはえた翼、神秘な翼で飛ぶのだろうか」(堀口大學訳『花のノートルダム』)
天使たちは飛ぶ(目撃者がいる)。そして彼らに性はない(目撃者はいないが)。性はないので、その器官も備えてはいないだろう。歯はあるはずだ。なぜなら天使は歌をうたい、笛も吹くから、歯がないと調子が狂う。
そんな天使たちに対し、多くの画家たちが――天国の描写にはさほど意欲がわかないのに――悪魔に対してと同じくらいのエネルギーを注いで表現し続けてきた、特に仕事中の彼らの姿を(天使は仕事をするのだ)。
身体を持たない天使
旧約聖書によれば、唯一神は「我らに似せて人を作ろう」と述べて人間を作った。「我ら」とは天使も含むと考えられている。であれば、天使は人間とほぼ同じ姿だし、自在に空を飛ぶための翼が必要だろう。そう画家が考えたとして、不思議はない。
その翼の生え方だが、イタリア・ルネサンスに先鞭をつけたジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃~1337)が『聖フランチェスコの聖痕』に、奇妙な天使を描いている。
(ジョット・ディ・ボンドーネ『聖フランチェスコの聖痕』、1296-99年頃、サン・フランシスコ聖堂上院(アッシジ)蔵)
十二世紀末にアッシジで生まれたフランチェスコは、後のフランシスコ会の創始者。晩年、天使から聖痕を受けたという。聖痕とは、イエスと同じ傷が生身の体にあらわれることで、ジョット作品はまさにそのシーン。
天使は羽毛の籠に乗っているようにも、また山登り用シュラーフにくるまれているようにも見えるが、両足が出ているところを見ると、何枚もの己の翼で身をおおっているだけらしい。ちなみにその足からはビームが発せられ、フランチェスコに命中している。
ちょっと笑えるこの天使が、へんてこ度ナンバーワンというわけではない。エル・グレコ(1541~1614)作『オルガス伯の埋葬』を見てみよう。
(エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』、1586-88年頃、サント・トメ教会蔵)
舞台はスペインの古都トレド。画面は上下に二分割されている。天上界と現世。しかし現世もまた時間軸でさらに二分割され、最下段は十四世紀前半、篤志家オルガス伯の葬儀に二人の聖人(金ピカの衣装を着ている)が降臨して埋葬を手伝った、という伝説シーンだ。その周りをアリーナのように取り囲むのは、グレコの同時代人、即ち、十六世紀トレドの有力者たち。肖像画の名手グレコによって、祭壇画にイエスといっしょに描き加えてもらい、さぞかし栄誉であったろう(本作はその意味でも評判をとった)。
画面上半分、天上界の一番上に白い衣をまとったイエス、すぐ下には三角を形成して左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネが控える。他にも雲海の隙間を埋めるように、十二使徒やら殉教者、聖人、猛禽類の翼をもつ天使や幼児体型の天使たちがひしめく。
へんてこ天使はすぐ見つかったろうか?
ずいぶんたくさん飛んでいる。くりくり頭で、目鼻ははっきりしない。胴体も手足もなく、丸い顔に直接小さな羽をつけた「顔だけ天使」だ。特にいっぱいかたまっているのは、画面左上のイエスのそば。たとえ可愛らしい赤ちゃんみたいな顔をしていたとしても、こんな無気味なものが羽をぶんぶんいわせて飛んできたらギョッとするに違いない。
だが心配無用。この天使が人間界に近づくことはない。
なぜなら「顔だけ天使」は、その威厳のない姿にもかかわらず、天使階級(世知辛いことに、天使も厳然たる階級制)の中でもっとも格が高く、神を取り巻き、神と直接関わっており、人間など眼中にないからだ。
それにしても、古の人々はどうしてこのような異形の天使を想像しえたのか?
まだ高い建物などほとんどなく、心ゆくまで空の広さを味わえたころ、美しい青空に浮かぶ無数の白い丸い可愛いポンポン雲が、いつしか神を寿ぐ「顔だけ天使」に見えてきたのだろうか……。
人間化の過程
悪魔が醜悪で獣めいた姿からだんだん人間っぽくなったのだから、天使も似たような過程をたどることは想像がつく。もともと翼がある以外は、人間に似ているのだし(「顔だけ天使」は除く)。
ところがここにサイズの問題が出てくる。たとえばギリシャ神話をもとにした『アルゴ探検隊の大冒険』(ドン・チャフィー監督、1963年公開)という映画がある(かなり古いがDVD化されているので観た人も多いだろう)。
この中で海神トリトーン出現シーンがあった。海峡を帆船が通っていると、突然嵐のように海面が波立ち、まさにザッバーンという感じでトリトーンが海中から半身をあらわす。人間となんら変わらぬ顔と上半身。だがその大きさは船をはるかに凌ぎ、両側の岸をも超え、人間をリリパット化してしまう。神の圧倒的迫力を前にした人間の非力を、一瞬で知らしめる強烈なインパクトだった。
同じことは、ギュスターヴ・モロー(1826~1898)作『ソドムの天使』にも言える。
(ギュスターヴ・モロー『ソドムの天使』、1885年頃、ギュスターヴ・モロー美術館)
この作品は2017年開催の「怖い絵展」出品作。二つの点で、入場者からの反響が大きかった。
一つは、見てのとおり、二人の天使の圧倒的巨大さ。もう一つは、彼らが「神の御使い(みつかい)」であり、神の命令を実行するのが仕事なので、必ずしも人間に味方するとは限らず、場合によっては救うどころかジェノサイドも辞さない、という点が驚かれたのだ。
旧約聖書によれば、町の消滅はこのように起こった。
――神は堕落した町ソドムを、罰として焼き尽くすことにする。どのような堕落かといえば、町の名がソドミー(古代ユダヤ教徒が異常性愛とした行為)の語源であることから察しがつこう。二人の天使は町に火の雨を降らせ、ミッションを完了。
モローは、山の斜面に広がるソドムの町に火砕流が走り、それを天使二人が宙に浮きながら冷然と見下ろす様子を描いた。天使が握る長剣は正義のしるしだ。住民を死滅させるこの行為は正義であり、人間は天使の目からは蟻のごときものでしかないと教える。そのためにも天使はこのサイズで描かれねばならなかった。たとえ姿が人間と変わらなくともサイズが極端に違えば、それは異形だという良き例。
では、ティントレット(1518~1594)の『受胎告知』はどうだろうか。
(ティントレット『受胎告知』、1583年~1587年頃、サン・ロッコ大信徒会蔵)
こちらは新約聖書。ガリラヤの乙女マリアのもとへ大天使ガブリエルが突然あらわれ、「アヴェ・マリア(=おめでとう、マリア)」と呼びかけ、神の子を受胎(=妊娠)したので、生まれたらイエスと名付けなさい、と告げる。
絵画化には三段階あり、ガブリエルの出現に驚く場、妊娠しているはずはないと抵抗する場(なにしろマリアは大工ヨセフと婚約したばかり)、説得されて「お受けいたします」と覚悟のほどを示す場だ。
ティントレットはもちろん第一段階。ガブリエルはいつの間にかひっそり部屋に現われるのではなく、小さな天使の群れを引き連れ、旋風を巻き起こしながらの登場だ。マリアは椅子からひっくり返りそうなほど仰天している。後景のヨセフは、歴史的大事件が眼前で勃発していても何も気づかず、大工仕事に余念がない。
ガブリエルのサイズに問題はなく、問題は男っぽさだ。先述したように、天使は無性である。ところがティントレットのガブリエルは、両腕や背中の逞しい筋肉の付き方からして、明らかに青年をイメージしている。ダ・ヴィンチの天使が代表していた、男でもなく女でもなく、この世のものとも思えぬ高貴さが天使というものであったが、このようにマリアの女性性と対比させる形で、ガブリエルに男性的イメージが付与される例が増えてきた。
傷つけられた天使と少年たち
最後はフィンランドの画家フーゴ・ジンベリ(1873~1917)作『傷ついた天使』。
(フーゴ・ジンベリ『傷ついた天使』、1903年、アテネウム美術館蔵)
貧しげな田舎の少年たちが、ありあわせの枝で作った担架に天使を載せて運んでいる。か弱い少女のような天使は、目を伏せ、かすかに口をあけている。息も絶え絶えだ。傷ついた額は布で覆われ、真っ白な翼に少し血がついている。
天使は空から落ちてきたのだろう。では堕天使なのか。悪魔に変じたのか。そうは思えない。無垢な白ずくめのままだし、右手には白い花を握っている。
科学技術が進歩し、信仰が薄れゆく近代は、天使や悪魔の実在を信じる者は激減した。けれど素朴な子どもにはまだ天使が見えるのだ。彼らは傷ついた天使を放っておくことができず、子どもなりの知恵をめぐらせ、医者のところへ、あるいは教会へ運ぶつもりだろう。
右の少年は鑑賞者に目を向け、こう言っているようだ、「人間ではありません。天使です。傷つけられた天使なんです」と。
プロフィール
中野京子(なかの・きょうこ)
作家、独文学者。著書に『「怖い絵」で人間を読む』『印象派で「近代」を読む』『「絶筆」で人間を読む』『美術品でたどる マリー・アントワネットの生涯』、「怖い絵」シリーズ、「名画の謎」シリーズ、『ヴァレンヌ逃亡』、『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』『(同)ハプスブルク家12の物語』『(同)ブルボン王朝12の物語』、最新刊に『画家とモデル――宿命の出会い』など多数。2017年に特別監修を務めた「怖い絵」展は、全国で約68万人を動員した。 ※著者ブログ「花つむひとの部屋」はこちら
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