「NHK出版新書を探せ!」第20回 街の洋食屋さんのような学者になりたい――磯野真穂さん(医療人類学者)の場合【後編】
見出し画像

「NHK出版新書を探せ!」第20回 街の洋食屋さんのような学者になりたい――磯野真穂さん(医療人類学者)の場合【後編】

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

〈今回はこの人!〉
磯野真穂(いその・まほ)

独立人類学者。専門は文化人類学・医療人類学。博士(文学)。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。身体と社会のつながりを考えるメディア「からだのシューレ」にてワークショップ、読書会、新しい学びの可能性を探るメディア「FILTR」にて人類学のオンライン講座を開講。著書に『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)などがある。(オフィシャルサイト:www.mahoisono.com / Blog: http://blog.mahoisono.com)

不確実性というテーマ

――前編でお話いただいた『ダイエット幻想』と、哲学者の宮野真生子さんとの往復書簡『急に具合が悪くなる』(晶文社)は同じ2019年に刊行されています。しかも、『急に具合が悪くなる』が9月で、『ダイエット幻想』が10月。さぞや執筆が大変だったんじゃないかと想像するんですが。

磯野 2冊を同時並行で書いていたんです。2019年はちょっとおかしかったですね。

――『急に具合が悪くなる』が、実質3カ月の往復書簡だったことにも驚きました。

磯野 宮野さんが、がんという大変な状況のなかで書いていることはわかっていたから、元気な私が無理なんて言えないですよ。宮野さんの言葉に応えたいという気持もありましたし。

――2冊の本いずれもティム・インゴルドの『ラインズ』(左右社)を参照して、不確実性や偶然性の問題について語っています。他の著作やメディアでの発言を見ても、不確実性や偶然性は、磯野さんの研究の大きなテーマになっていると思うんですが、こうしたテーマを意識するようになったきっかけは何だったんでしょうか。

磯野 「不確実性」という言葉を使いだしたのは、不整脈の一つである心房細動の治療現場を調査したあたりからですが、それ以前に摂食障害の研究をしているときにも、正しさを無邪気に掲げる人たちへの反抗心のようなものがありました。毎年のように摂食障害の克服や治療を謳う本が出て、そこには「正しい」理解が書かれている。でも、「正しい」理解を持ったら治るかというとそうでもないし、「正しい」理解を掲げているお医者さんが主治医になったら治るかというとそうでもない。医者に行かずに治した人もたくさん知っています。

 今回のコロナでも、正しく理解するとか正しく怖がるとか、あたかも唯一の正しさみたいなものがあって、それさえわかっていれば適切に生きられるかのようなメッセージに出くわすことがあります。そうした正しさを強調する声に対する気持ち悪さや居心地の悪さはずっとあります。だから正しいという声が上がれば上がるほど、なんかおかしいんじゃないの、という疑問が自分の中に生まれてくるんです。そういうことが、不確実性というテーマに向かう原動力になっている感じがしますね。

――『医療者が語る答えなき世界』(ちくま新書)でも、医療者の立場が直面する不確実性がテーマになっていますね。

磯野 医療現場は不確実性にあふれています。だけど医療者は、不確かさのなかで何かを決めなければいけないという状況に常に立たされている。しかも問題が深刻になればなるほど、不確かさの範囲が増えるという難しさもあります。そうした、答えがない中で答えを探さなければいけない人が、答えとは言えないまでも、なんとか何かにたどり着いていく。その過程を書きたかったんです。

大学を出て独立した理由

――磯野さんは、からだと食べ物について考えるイベントを開催する「からだのシューレ」という活動をしたり、2020年にフリーになってからは、働く人に向けた人類学の講座を始めたりと、人類学的な見方や考え方を大学の外へ広げていく活動を積極的にしています。

磯野 人類学の講座は、独立したときは、とりあえず3年間生きられればいいぐらいの気持ちで始めたんです。いま2年目ですから、来年まで続けられていればよくやったという感じです。そこまで行ったら次の目標は、5年生きられるように、ですかね(笑)。

 ただ、今までの私の人生を振り返ったときに、長期的なビジョンを持って、その通りになったことがないんですよ。そういうビジョンの立て方が向いていないんでしょうね。ときどき、人からビジョンを立てろと言われて、大学にいたころは立てたこともあるんですが、そのとおりにはならない。だから、長期的なプランを立てて、目標に向かって何かをするようなやり方は自分には向いてないと思っているんです。

 イメージとしては、町のおいしい洋食屋さんみたいな人類学者がいいなと。今のアカデミアって本当に凄惨な状況になっていて、格差がありすぎだと思うんですよ。常勤になれるかなれないかで、天国と地獄に分かれてしまう。
 大学にいたときに、講義やゼミを一生懸命やっても、次の就職先を決めるという点においては何のプラスにもならないことを感じました。メディアに出たり、外からお金を引っ張ってきたり、学内政治を頑張ったりする人のほうが生き残れる状況をしばしば目撃し、「それでいいの?」という疑問がありました。楽単という言葉に代表されるように単位さえ取れればいい、という学生も珍しくありませんでしたし。

 一方で、「からだのシューレ」やオンラインの人類学講座を始めてみて、たとえ初歩的な内容であっても、人類学的な知をすごく面白がってくれる、もっと知りたいと思ってくれている人がたくさんいることがよくわかりました。

 別に、私の講座を受けたからって、単位も資格も取れない。それでもなお来てくれて、面白いと言ってくれるのって、町においしい洋食屋さんがあるような感じだなと思っていて。やっぱり気軽に来てほしいんですよ。別に毎回来なくていい。でも来たくなったらいつでも来られる。そういう学問の場所を作りたいし、それが続けられればいいと思っています。

――大学の外側に向けた人文系のイベントは増えていますが、単発のものが多いですよね。磯野さんの講座は、きちんと回数を設けてプログラムを組んでいて、こういう取り組みがもっと増えるといいなと思いました。

磯野 ありがとうございます。単発の人文系イベントって、賢い人のお話を拝聴するみたいな雰囲気があるじゃないですか。「この人たち、すごい」って。私はどちらかというと、「私はこういうふうに見ますけれど、皆さんはどう思いますか」と問いかけて、誰が何を言い出すかわからないような状況の中で言葉が生まれてきたり、そこで受講生の方が自ら発見することを大事にしたいんです。だからディスカッションの時間は必ず設けるし、チャットの書き込みも大歓迎なんです。たまに大喜利みたいになっちゃうけど(笑)。

 洋食屋さんの例で言えば、ミシュランの三つ星レストランにいて、超有名なシェフの料理を食べるというより、カウンターでマスターとも隣の客とも話せてしまうくらいの距離感の場所を作ることを心がけています。いまのところ、それは成功しているという手応えもあります。

『愛と性と存在のはなし』の魅力

――最後に、この連載恒例で、磯野さんオススメのNHK出版新書を教えていただけますか。

磯野 赤坂真理さんの『愛と性と存在のはなし』です。この本のオビにある「生まれた性にくつろげる人は本当にいるだろうか」という問いがまず強烈ですよね。自分の性にくつろいでいますかと聞かれたら、なかなかうまく答えられない。冒頭の「セクシャル・マイノリティは存在しない。/なぜなら、マジョリティなど存在しないから」という言葉も響きました。

 昨今の多様性をめぐって、マジョリティやマイノリティといったわかりやすいフレームワークで括ることで見えなくなる苦しみってすごくあると思うんですが、そこを赤坂さんの丸ごとの人生経験から、丁寧にすくい取っている点に感銘を受けました。

 この本では「異性愛者こそが最も自分の性や性愛をわかっていないのでは」と綴っていますが、本当にそうだと思うんです。
 あまりにもわかりやすくできているから、問わずに生きてしまう。彼氏ができました。次はセックスするのかな。その次は結婚するのかな、子どもを産むのかなという、単純でわかりやすい流れで考えてしまうがゆえに、自分の性やジェンダーを問うことなく生きてしまっている。異性愛者が一番、愛や性をわかっていないというのは、それゆえまっとうな指摘だなと感じます。この本は、そういうカテゴリー化することで見えなくなるところを丁寧に汲み取っている、とても繊細な本です。

――次の著作はもう用意されているんですか。

磯野 はい。今までの私が書いてきたものの集大成のような内容になる予定です。『なぜふつうに食べられないのか』から始まって、『急に具合が悪くなる』『ダイエット幻想』で問題意識としては出ていたけれども、明瞭に言語化し尽くせなかったことをちゃんと言語化して説明する。この本を書くうえで、書簡のやりとりを通じて宮野さんの哲学に触れた経験はすごく大きかったと思っています。彼女が持っていた言葉や視座からたくさんのことを学びました。

――どうもありがとうございます。新著、楽しみにしています。

*取材・構成:斎藤哲也/2021年7月1日、代々木にて取材

〔連載第21回を読む〕

〔連載第19回へ戻る〕

プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
*斎藤哲也さんのTwitterはこちら
*NHK出版新書編集部のTwitterはこちら

関連書籍

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信中です。ぜひこちらもチェックしてみてください!

嬉嬉嬉嬉嬉!!
NHK出版の書籍編集部が、多彩な執筆陣による連載小説・エッセイ、教養・ノンフィクション読み物や、朝ドラ・大河ドラマの出演者や著者インタビューなどをお届けします。新刊情報も随時更新。ときどき編集部裏話も!