エッセイ「日比谷で本を売っている。」 〔ナマケモノと私〕新井見枝香
日比谷で働く書店員のリアルな日常、日比谷の情景、そして、本の話(第6回)。※最初から読む方はこちらです。
最近、私の部屋にはナマケモノがいる。手足がひょろ長くて、目がぱっちりとしたぬいぐるみだ。それは書店員の傍ら、踊り子としてデビューした際に、お客さんからもらったものである。どうせパチンコかなんかの景品だとは思うが、あげたくなった理由は「似ているから」と言っていた。確かに私の髪は獣のような金色だし、客観的に見て、キツネには似ていない。おまけに、この世界にはめんどくさいことばかりだと、常々感じている。だが、自分と似たぬいぐるみを愛でる趣味はない。何らかの理由で、等身大の新井を模した抱き枕を発売することになったとしても、見本は送らなくて結構だ。
ところがこのナマケモノ、妙に澄んだ目をしていて、捨てるには忍びない。正直に言えば、かさばるから捨てるのも面倒で、劇場の楽屋に10日間ほど転がしておいた。公演の最終日、スーツケースに荷物をまとめると、ナマケモノだけが入らなかった。当たり前だ。来るときだって、もうパンツ1枚だって入らないほど、衣装を詰め込んできたのだから。結局、長い手足をマフラーのように巻き付けて、首をちくちくさせながら、連れて帰った。
ぬいぐるみを長いこと所持していなかったので、どのように扱えばいいかわからない。気が向けば、ワシワシと撫でてみる。ベッドの端へグイと押しやり、足を乗せてしまう。そうかと思えば、3日間ほど存在を忘れることもあった。彼に意識があるのかないのか、自分の中での設定が曖昧なのだ。そして今やっと気付いたが、私はすんなり「彼」と書いたので、ナマケモノを雄だと認識しているらしい。しかし、まるで友達のように話しかけたかと思えば、背中を叩いて赤子のようにあやしたりもするので、年齢は不詳だ。混乱している。
イギリスの絵本『ぼくのしましまテッド』は、「ぼく」とぬいぐるみのテッドの物語だ。夢の中で一緒に冒険をしては、ハラハラしたり、大笑いしたり、こわいもの知らずのテッドが「ぼく」を助けてくれたりもする。さすがに私の夢にナマケモノは出てこないが、彼と手を絡ませて、ベッドの上で空想することは愉快だった。怪獣が現れても、ナマケモノだけに、木にぶらさがってほんのり笑っているだけだろうし、私も別段、闘おうとはしないだろう。めんどくさいから、とっとと焼くなり食うなりしてくれと、寝っ転がっているにちがいない。綱引きをして遊んでいたテッドは、片方の腕が取れてしまったが、《しんぱいしないで。もうひとつあるからだいじょうぶ!》と「ぼく」を安心させる。ナマケモノが片腕を失ったら、足だけでぶらさがるのだろうか。片足も取れたら「ぶらさがるのもめんどくさかったんだよね」と草の上に転がるような気がする。
ぬいぐるみは、正しく言えば、ぬいぐるみの内面の設定は、自分と似る。だからきっと「ぼく」はテッドみたいに、ともだち想いで勇敢で、ユーモアがあってポジティブな男の子なのだ。「ぼく」がそういう人が好きだから、そういう風になっていくのだろう。
ナマケモノは見た目だけではなく、その性質も私にそっくりだ。くったりとベッドに転がる怠惰な彼に、嫌気が差してくるのだろうか。しかし私はもう大人で、ナマケモノではないぬいぐるみを買うことができるし、彼をゴミ箱に捨てても、誰にも怒られない。なんだかんだ言って、なりたい自分になれたのかもしれない。
もしテッドみたいにボロボロになっても、残念ながら持ち主もナマケモノだから、私はそのままにしておくのだろう。彼もそれでいいと、言ってくれる気がする。
プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)
書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
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