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未来の自分に憧れていた「手紙 〜拝啓 十四の君へ〜」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」

動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第22回は篠原さんが30歳の誕生日に、14歳の自分を振り返ったお話です。
第1回から読む方はこちらです。


#23 手紙 〜拝啓 十四の君へ〜

 30歳になりました!
 
 今回のエッセイのもう一つのタイトル案は『30歳。かなりめでたい』でした。
 まだ「肉体的な老い」とか、「死」とかは恐ろしいけれど、年を取ることに対しては、完全なるノーダメージで、誕生日を素直にうれしいと思える30歳になれたことがかなりめでたい。
 ここ数年、年下の人に年齢を聞かれて、「え、若いですね!」と言われる機会が増え、「若い」というフォローが必要な年齢になったのかと感じていたので、30代という響き自体も据わりがよく感じている。
 
 今思えば、14歳が15歳になるのなんてなんてことなかったし、19歳が20歳になるのも全然変わらなかったのだけれど、10代の頃の私にとって、年を取ることは、今よりもずっと怖かった。
 大人として必要な成長を遂げ、不足のない常識や教養を身に付けているかと問われると、歯切れよく答えることはできないのだが、年を取ることが怖くなくなったというのは、ちゃんと大人になったと言える一つの要素だと思う。
 
 0歳の赤ちゃんを見ていると、まだほとんど丸ごと人生が残っていることに、新鮮な驚きを覚えることがある。生まれて最初の1年間で赤ちゃんが理解することの多さを考えると、とても同じ長さの1年間を30回も繰り返した末にいるのが今の私とは思えない。
 たくさん回り道をした30年だったので、「もうちょっとうまくできたような……」と考えることもある。
 
 それでも私は、この30年に大いに満足している。満足したうえで、まだやりたいことがたくさんある。これから先、もっと頑張れると思う。
 それだけで十分、私のなりたかった30歳だ。
 
 この機会に、昔の私が書いた手紙、具体的には、2009年11月26日木曜日の14歳の私が、大人になった私へ書き残した手紙を読み返してみようと思う。

今は2時間目の代数の時間で10時くらいです。
突然、思い立って手紙を書く事にしました。
私はきっともうすぐ大人になるでしょう。
早ければ、1年。遅くとも、5年くらいの間には。
そこで、子どもである今が生き続けるために未来の私である
あなたに手紙という形で残すことにしました。

2009年11月26日木曜日からの手紙

 記憶には残っているのだけれど、授業を聞いていないという事実が記録にも残っていた。
 「授業なんか聞いていられるかよ!」みたいな積極的反抗的態度ではなく、まだ当時の私には、授業を聞くというコマンドがインストールされていなかったのである。意識がバッタのように跳ね回り、悪気はないのに気が付くと、やるべきこととは別のことをしていた。まさに、突然思い立って未来の自分への手紙を書くような子どもだった。この手紙は、私の知っている14歳の私そのものである。
 
 14歳のとき、いつも何をしていたか、今でも鮮明に覚えている。
 イヤフォンを耳に差し込んで周りの音が聞こえなくなるくらいの爆音で音楽を聴きながら、家の中を走り回っていた。1日1時間、14歳から4年間ほぼ毎日走っていた。
 走ることが目的ではなかった。走りながら、ずっと未来の自分の姿を空想するのが趣味だった。大人になることを怖がっていながら、同時に希望も持っていたのである。
 
 何度も繰り返していた空想の一つが、母校で講演をすることだ。
 大人になった私は、よく知った講堂を訪れる。たくさんの子どもたちの中にいる、かつての私のように、人生がうまくいかないと感じている子に向けて、「大丈夫だよ。私もそうだったよ」と話すのだ。それが、子どものときの私の、一番好きな慰めだった。
 
 「まだ」というか、恐らく「未来永劫えいごう」だと思うのだけれど、母校には呼ばれていない。けれど、いろんな場所で講演をする大人になった。
 初めて講演をした日の帰り道、雑貨屋で、本物の花を使ったピアスを買った。その日の誕生花で、花言葉は「まだ見ぬ君へ」「願いを叶えて」だった。過去の私から送られたような気がした。
 
 空想の中の私が、子どもの頃の私にとってはロールモデルだった。
だから、時々、今の私の人生が、全て幼い私の夢だったという夢を見る。起きてちゃんと大人だと安心する。
 夢を完全に叶えたようで、実際には、14歳の私が思うよりだいぶダサい瞬間もある。
 いまだに堂々とは話せなくて、講演をしていると、私だけが話しているという状況に違和感を覚え、めちゃくちゃ早口になってしまったりする。
ポジティブに捉えるならば、これは夢ではなく、私自身がやっている証拠であると言える。ほっぺをつねるより、ずっと痛い(心が)。
 人前で堂々と話すという夢は、これから先の私が叶えてくれるだろう。
 
 14歳の頃、15歳になるのすら怯えていたのは、大人というまるきり別の生き物になって、自分自身まで14歳の自分を理解してくれない存在に変わってしまうのが怖かったのだと思う。
 成長を完全変態的に捉えていて、地を這い、葉をんでいたことをすっかり忘れて、飛び回り、蜜を吸う生き物になってしまうような気がして怖かった。

14歳の私へ
 私は無事、大人になって、同じ教室にいた14歳たちも、すごくすてきな大人になっているよ。
 私は確かに大人になったと言えるけれど、「大人」という種類の人間になったわけじゃなくて、14歳の私の、30歳バージョンになっただけだよ。
 でも、全く何も変わっていないわけじゃなくて、絶対にできないと思い込んでいたことができるようになったよ。
 例えば、締め切りを守るとか。小学校から今まで一度も夏休みの宿題を出したことがなくて、なんとか学期末まで逃げきって有耶無耶うやむやにならないかなと願いながら、授業が終わると隠れて過ごしていたよね。
 私は、この前、夫と子どもがそれぞれ別の感染症に感染して、W看病の中、仕事と研究合わせて8つの締め切りを守ったよ。忙しすぎて、記憶がなくて、どうやって守りきったのかは全く覚えていないけどね。
 どこの大学に行ったか気になっているでしょ? 第一志望の大学に行ったよ!
 本当に良いところで、7年半通って、その後、また別の大学の大学院に行って、今もまだ学生だよ。表情一つ変えずに学割を使っているよ。

2025年2月の手紙

 30歳になっても、まだ分からないことだらけである。
 しょうもないことでいうならば、この原稿を書いている今日、初めてペットボトルの正しい開け方を知った。この日まで、ずっと小指と薬指で開けていたから、薬指の付け根のタコが痛くて、ペットボトルという容器がうっすら嫌いだった。
 今は、毎日何かをうっすら嫌わなくて済むことの心地よさを嚙み締めている。
 こういう驚きがまだたくさん隠れていると思うと、日常はこれからも新鮮で、飽きることがない。
 
 30歳の私と14歳の私が直接出会うことはないけれど、例えば、40歳や75歳の私は、どちらの私のことも知っているから、これから先の私自身の記憶の中で出会うのだと思う。 
 40代や50代の私は、きっと、今の私を見て、30代が丸ごと残っているなんて! と思うだろう。すっかり大人になった気でいるけれど、80代の私は、まだまだ子どもだった頃の思い出として、今の私を振り返るかもしれない。
 
 30代も力の限り、楽しんでいきたい。
 もちろん、苦しむこともたくさんあるはずだ。初詣に行ったとき、神社の看板を読んでいたら、30代に含まれる年のほとんど全てが厄年かそれに準ずるもので怯えた。
 それでも、全て乗り越えて前に進めると信じている。
 私は、過去の自分の憧れでありたいと思う。
 まだ見ぬ君へ、夢を叶えて!

2009年11月26日木曜日からの手紙:篠原さん提供

第23回へ続く(2025年3月12日更新予定)
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プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)

1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。

バナーイラスト 平泉春奈

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