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それは好かれたくもなる!「目に見える笑い声」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」

動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第22回は篠原さんが愛してやまない、一緒に暮らす生き物たちについてのお話です。
第1回から読む方はこちらです。


#22 目に見える笑い声

 昨年末から、再び、ネズミと暮らし始めた。
 人生にネズミが増えても大丈夫なくらいに生活の見通しが立ったら絶対にまたネズミと暮らすと決めて、3年半ほど待って迎えた念願のネズミである。あまりに飼いたくて私の心の中では、既にイマジナリーネズミを飼っているくらいの熱意で過ごし、出会う前から名前まで決めていた。「すやすや」と「ねむねむ」である。

 種類でいうとドブネズミ、ペットショップでは、「ファンシーラット」という名前で呼ばれていることも多い。ドブネズミという名前の印象の悪さを払拭ふっしょくするべく、実際には、ドブネズミでしかないのだが、「ファンシー」という言葉が冠せられている。
 ぜひ、手持ちの悪口や、受ける印象が今ひとつの言葉に「ファンシー」を付けてみてほしい。印象がグッと柔らかくなったり、魅力的になったりするのを感じるだろう。
 社会不適合者と言われたら、嫌な感じがするけれど、ファンシー社会不適合者と言われたら、その通りですと思う。多分、健康診断でファンシー再検査を命じられたら、正直まだ大丈夫かなと油断してしまうだろう。楽しい仕事だとしても、労働と呼ぶと、億劫おっくうに感じるから、自分が勤しんでいるのはファンシー労働だと思うと気分が良い。

 さらに、パプアキンイロクワガタという小さなクワガタと「ホロホロシュリンプ」または「ピクシーシュリンプ」と呼ばれる小さなエビも家に来た。

 パプアキンイロクワガタは、メタリックカラーの美しいクワガタだが、金色だけではない。緑に青、紫にオレンジと様々な体色の個体がいる。
 どんなクワガタが羽化してくるのかワクワク待つのが楽しくて、一人暮らしの頃に趣味にしていたクワガタの累代飼育(何世代にもわたって繁殖を継続すること)を再開したいと思い、幼虫を10匹飼っている。現在、サナギの寸前の状態である前蛹ぜんようまできたのだが、どうやら、ほとんどオスであるらしいことが判明した。これから『バチェロレッテ・クワガタ』が始まってしまいそうである。

 ホロホロは、瓶のアクアリウムの中で生きている。ホロホロとは、ハワイの言葉で「散歩する」「ぶらぶらする」という意味らしい。ピクシーシュリンプの方が、名前としては分かりやすいのだが、意味が好きなのでホロホロと呼んでいる。滑舌が悪いせいで、大抵、「ほどほど?」と聞き返されるが、「ほどほど」も割と意味が好きなのでよしとしている。
 彼らは、瓶の中に自然に生えたこけを食べる。つまり、私がすることはほとんどない。野生では、主にハワイの潮溜まりに住んでいるエビなので、寒さは苦手で、水温だけ気を付ける必要があるが、人間が快適に過ごせる室温であれば、それで十分だ。

 パプアキンイロクワガタとホロホロに関しては、ただ家に居るだけである。やってあげることも少ないし、昨年まで生活を共にしていたタランチュラと同様、心を通わせることはなく、同じ敷地の中で、私が、ただ、好きだなと思っているだけだ。たまにどこからか湧いてくるチョウバエとほとんど変わらない。違うのは、私から見たときの好ましさだけである。どちらにしても、彼らにしてみれば私の存在など知ったことではない。私は、物言わぬ植物から、気の合う人間まで幅広く、生き物が好きなので、このような、やや距離のある関係も好きなのだ。

 しかし、ネズミからは、好かれたいなと思っている。
 私は、ネズミで一冊本を出すくらいのネズミ好きである。だからネズミに好かれたいというわけではない。以前は、ネズミに対しても、パプアキンイロクワガタやホロホロと同じように、あくまで、私が一方的に好きであるだけだと思っていたし、ネズミは私のことを餌やりトイレ掃除機だと思っていてくれて構わないとも考えていた。

 私がネズミに好かれたいと思うようになったのは、修士時代のことである。ラット(実験動物としてのドブネズミ)が笑い声を上げるという先行研究を基に、ラットの笑い声をラットに聞かせて健康に与える影響を確認する研究のグループに所属していたときのことである。

 そう、ラットは、彼らにとって好ましい状況にあるときに笑うのだ。ただ残念ながら、その笑い声を聞くことはできない。私もできることなら、ぴょんぴょんと跳ね回る子ネズミがケラケラと笑うのを聞きたいが、彼らの笑い声は人間の可聴域を超えている。つまり、音が高すぎて人間の耳では聞き取ることができないのだ。

 では、どうやって笑っていることを確かめるのかというと、超音波を採取する装置で周波数を測定するのだ。
 先行研究の論文では、人の手でラットをくすぐって笑い声を上げさせていた。しかし、誰にどんなときにくすぐられても笑ってくれるわけではなく、まずは、信頼関係の構築が必要になる。実験場のラットは、誰にくすぐられても、うんともすんとも言わなかった。どうやっても、笑い声が採取できなかった結果、当時、私の飼っていた2匹のネズミに白羽の矢が立った。
 1匹は「フウ」という名前の、毛がほとんど生えていない求肥ぎゅうひのようなもちもちのスキニーラットで、もう1匹が「さとり」という名前で、猫でいうハチワレのような模様(大人になるとほとんど真っ白になる)のハスキーラットだった。この「スキニーラット」、「ハスキーラット」というのも毛の生え方や柄を表す言葉なので、実際はただのドブネズミである。フウは温厚な懐っこい性格で、さとりはクールで神経質な性格だった。

 先述の通り、私が一方的にネズミを愛しているだけと思って飼育していたので、駄目元の挑戦であまり期待はしていなかった。私がネズミを両手で抱えて、たぷたぷした脇腹を揉むと、今までまっさらだった装置の画面に、波線が現れた。私には聞こえないけれど、その空間には、ネズミの笑い声とされる50kHzの鳴き声が絶え間なく響いていたのだった。そして、私以外の人間に揉まれても笑うことはなかった。
 私に揉み込まれているネズミは、いつもと変わらないポーカーフェイスではあるけれど、大爆笑しているらしい。しかも、2匹ともである。なんなら、さとりには若干嫌われているとすら思っていたので、衝撃だった。
 ただうれしかった。私と共に居ることがネズミにとって笑えることであるという事実がすごくうれしかった。

 この時から、私は、ネズミに好かれようと明確に思っている。今は、ネズミの笑い声の研究から離れてしまったので、笑い声を目で見ることができないのだけれど、新しいネズミとも、今きっと笑っているに違いないと思えるように過ごしていけたらいいなと思う。

 世界には、きっと他にも私に聞こえない音がたくさんあるのだと思う。見えない色だとか、感じない匂いもたくさんあるのだろう。もしかしたら、ホロホロは歌っているかもしれないし、パプアキンイロクワガタから見える色は全く違うかもしれないし、チョウバエも私に会うために無限湧きしてくるのかもしれない。
 私が感じられないということは、存在しないことと全然違う。目に見えるよりもっと鮮やかで、聞こえるよりもずっと騒々しい世界の中で、私が知ることのできるものは、自分が思うよりも僅かなのだろう。それでも、感じようと手を伸ばし、世界の輪郭に少しでも触れてみたいのだ。

いつでもくっついてるすやすや(上)とねむねむ(下):篠原さん提供

第23回へ続く(2025年2月26日更新予定)
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プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)

1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。

バナーイラスト 平泉春奈

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