連載 ロジカルコミュニケーション入門――【第7回】明確に「論証」してみよう!
●論理的思考の意味
本連載【第1回】「論理的思考で視野を広げよう!」では、「論理的思考」が「思考の筋道を整理して明らかにする」ことであると解説した。たとえば「男女の三角関係」のように複雑な問題であっても、思考の筋道を整理して明らかにしていく過程で、発想の幅が広がり、それまで気づかなかった新たな論点が見えてくる思考法である。
【第2回】「論理的思考で自分の価値観を見極めよう!」では、「ロジカルコミュニケーション」によって新たな論点を探し、反論にも公平に耳を傾け、最終的に自分がどの論点を重視しているのか、自分自身の価値観を見極めることの意義を説明した。
【第3回】「論点のすりかえは止めよう!」では、「ロジカルコミュニケーション」の大きな障害になる10の代表的な「論点のすりかえ」について具体的に紹介した。日常的にできる限り論点のすりかえを止めるだけでも、コミュニケーションはかなりスムーズで建設的になるはずである。
【第4回】「白黒論法に注意しよう!」では、とくに詐欺師がよく使う「白」か「黒」しか選択の余地がないと思わせる「白黒論法」を解説した。相手が「白黒論法」のような「二分法」を押し付けてきた場合、命題を整理すると実際の組み合わせは2通りではなく4通りであることが多いのに注意してほしい。
【第5回】「『かつ』と『または』の用法に注意しよう!」では、日常言語では曖昧になりがちな「~ではない(否定)」と「かつ(連言)」と「または(選言)」の組み合わせについて、「論理的結合子」を用いて記号で処理すると、論理的に厳密に表現できることを解説した。
【第6回】「『ならば』の用法に注意しよう!」では、日常言語では曖昧になりがちな「ならば(条件)」および「逆・裏・対偶」について「論理的結合子」を用いて記号で処理すると、論理的に厳密に表現できることを解説した。
●モダス・ポネンス
一般に、命題は幾つかの「前提(premise)」から一つの「結論(conclusion)」を導くような形式に並べることができる。このような形式で命題が並んだものを「論証(argument)」と呼ぶ。この論証が今回のテーマである。
古代ギリシャ時代、最初に「論理学」を完成させた哲学者アリストテレスは、このような形式を256種類の「三段論法(syllogism)」に分類したが、これらもすべて論証に含まれる。
次の論証形式は、「モダス・ポネンス(modus ponens)MP」(仮言三段論法肯定式)と呼ばれる。
記号では、次のように表せる。
●妥当性
論証の研究で重要になるのは、前提が結論を論理的に導いているか否かの問題である。論理学では、ある論証において、「すべての前提が真ならば、結論も必ず真である」とき、その論証を「妥当(valid)」と呼ぶ。したがって、妥当な論証においては、すべての前提が真であるにもかかわらず、結論が偽になることは不可能である。
ここで、モダス・ポネンスが妥当であることを証明しよう。まず、前提1 「P⇒Q」が真なので、次の真理表の第1行・第3行・第4行が相当する。次に、前提2「P」が真なので、真理表の第1行・第2行が相当する。その両方を満たすのは真理表の第1行だけであり、そこで結論「Q」は真になっている。したがって、すべての前提が真ならば、結論も必ず真になっているので、モダス・ポネンスは妥当な論証である。
すぐにはイメージが浮かばないかもしれないが、モダス・ポネンスは、ごく日常的なコミュニケーションに登場する論証である。
ここで、命題Pに「彼が犯人である」を、命題Qに「彼は犯行現場にいた」を代入してみよう。モダス・ポネンスが、当然の筋道を表していることがわかるだろう。
前提1と前提2が真であれば、結論も真でなければならないことは明らかだろう。
●モダス・トレンス
次の論証形式は、「モダス・トレンス(modus tollens)MT」(仮言三段論法否定式)と呼ばれる。
記号では、次のように表せる。
ここで、命題Pに「彼が犯人である」を、命題Qに「彼は犯行現場にいた」を代入してみよう。モダス・トレンスが、いわゆる「アリバイ」の論証として用いられていることがわかるだろう。
モダス・トレンスは、妥当な論証である。したがって、前提1と前提2がともに真であれば、結論も真でなければならない。つまり、「もし彼が犯人ならば、彼は犯行現場にいた」ことが事実であり、「彼は犯行現場にいなかった」ことが事実であれば、「彼は犯人ではない」という結論も、事実でなければならない。
ここで読者には、モダス・トレンスの論証が妥当であることを証明してほしい。この事実は、真理表から簡単に証明できる。
ここでは、真理表を用いない方法でモダス・トレンスの妥当性を証明してみよう。前提1と前提2を真と仮定し、結論を偽と仮定し、それが不可能であることを示せばよい。つまり、「背理法」を用いるわけである。
「もしPならばQである」を真、「Qではない」を真、「Pではない」を偽と仮定する。すると、「Pではない」が偽なので、Pは真である。「Qではない」が真なので、Qは偽である。Pが真であると同時にQが偽なので、「もしPならばQである」は偽でなければならない。しかし、この結果は、「もしPならばQである」を真と仮定したことに矛盾する。ゆえに、前提1と前提2を真と仮定し、結論を偽と仮定することは、不可能である。したがって、モダス・トレンスは、妥当な論証である。
●妥当性と虚偽
なぜアリストテレスは、論証の妥当性にこだわったのだろうか。古代ギリシャ時代には、さまざまな人生の問題から法律の制定にいたるまで、あらゆる実践的・哲学的問題が議論された。
アリストテレスは、それでなくとも込み入った議論の中から、「詭弁」や「言い逃れ」や「屁理屈」を排除したかった、と考えればわかりやすいだろう。要するに、彼は「正しい思考の道筋」としての「論証」を明確にしたかったのである。
モダス・ポネンスやモダス・トレンスのように妥当な論証を組み立てれば、逆に、意図する結論を導くために、どのような前提を立案すればよいのかが見えてくる。アリストテレスは、このような論証の組み立てによって、思考そのものが整理されると考えたのである。
●後件肯定虚偽
次の論証は、モダス・ポネンスに似ているが、妥当な論証ではない。この論証は「後件肯定虚偽(fallacy of affirming the consequent)」と呼ばれる。
記号では、次のように表せる。
ここで、命題Pに「彼が犯人である」を、命題Qに「彼は犯行現場にいた」を代入してみよう。
ここで読者には、この論証が妥当でないことを証明してほしい。前提1と前提2が共に真であるにもかかわらず、結論が必ずしも真ではないことを示せばよいのである。
まず、前提1 「P⇒Q」が真なので、真理表の第1行・第3行・第4行が相当する。次に、前提2「Q」が真なので、真理表の第1行・第3行が相当する。その両方を満たすのは真理表の第1行・第3行であり、結論「P」は真の場合も偽の場合もある。したがって、すべての前提が真であっても、結論は必ずしも真ではないので、この論証は妥当ではない。
実際に、「もし彼が犯人ならば、彼は犯行現場にいた」ことが事実であり、「彼は犯行現場にいた」ことも事実だが、実は彼は犯人ではなかったという事例は、多くの推理小説に描かれている。
●前件否定虚偽
次の論証は、モダス・トレンスに似ているが、妥当な論証ではない。この論証は「前件否定虚偽(fallacy of denying the antecedent)」と呼ばれる。
記号では、次のように表せる。
ここで、命題Pに「彼が犯人である」を、命題Qに「彼は犯行現場にいた」を代入してみよう。
ここで読者には、この論証が妥当でないことを証明してほしい。前提1と前提2が共に真であるにもかかわらず、結論が必ずしも真ではないことを示せばよいのである。
まず、前提1 「P⇒Q」が真なので、真理表の第1行・第3行・第4行が相当する。次に、前提2「¬P」が真なので、真理表の第3行・第4行が相当する。その両方を満たすのは真理表の第3行・第4行であり、結論「¬Q」は真の場合も偽の場合もある。したがって、すべての前提が真であっても、結論は必ずしも真ではないので、この論証は妥当ではない。
実際に、「もし彼が犯人ならば、彼は犯行現場にいた」ことが事実であり、「彼は犯人ではない」ことも事実だが、実は彼は犯行現場にいたという事例は、いくらでも起こりうる。
●論証とコミュニケーション
子どもが高熱を出したとしよう。すると「これほどの高熱が出るのはインフルエンザに違いない」と考えてしまうかもしれないが、この論証は妥当だろうか?
記号では、次のように表せる。
つまり、この母親の論証は「後件肯定虚偽」に相当し、妥当な論証ではないことがわかる。単にわかるだけではなく、それを真理表で「証明」できることが重要である。
最初から面倒な記号で考えなくても、「高熱が出るのは、必ずしもインフルエンザが原因とは限らないじゃないか」と思われるかもしれない。しかし、論理学では、その事実を明確に「論証」することを重視している点に注意してほしい。
●ロジカルコミュニケーションの第7歩は明確に「論証」すること![第1歩~第6歩は、本連載第1回~第6回参照]
日常言語では曖昧になりがちな「話の正しい筋道」が、アリストテレス以来の「論証」という概念で論理的に厳密に表現できることをご理解いただけたと思う。
論証には、モダス・ポネンスやモダス・トレンスのように「妥当」なものと、後件肯定虚偽や前件否定虚偽のように「妥当ではない」ものがある。読者には、ぜひ日常会話に登場するさまざまな論証を記号化して、それが妥当か否かを明らかにしてほしい!
参考文献
高橋昌一郎(著)『東大生の論理』筑摩書房(ちくま新書)、2010年
高橋昌一郎(著)『20世紀論争史』光文社(光文社新書)、2021年
高橋昌一郎(監修・著)/山﨑紗紀子(著)『楽しみながら身につく論理的思考』ニュートンプレス、2022年
スマリヤン(著)/高橋昌一郎(監訳)/川辺治之(訳)『記号論理学』丸善、2013年
イラスト・題字:平尾直子
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授・情報文化研究所所長
専門は論理学・科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。
動画【ロジ研#6】ロジカルコミュニケーション入門【第6回】のご案内
本連載の内容について情報文化研究所の研究員たちがディスカッションしています。ぜひご視聴ください!
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