どんなに身近な家族でも本人を代弁することはできない――マイナーノートで ♯07〔認知症当事者のもたらしたパラダイム・シフト〕上野千鶴子
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どんなに身近な家族でも本人を代弁することはできない――マイナーノートで ♯07〔認知症当事者のもたらしたパラダイム・シフト〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。

認知症当事者のもたらしたパラダイム・シフト

 若年性認知症を39歳で発症して8年、認知症当事者として『丹野智文 笑顔で生きる』(文藝春秋)などの情報発信を続けている丹野智文さんが、新刊を出した。その発刊を記念して、認知症当事者勉強会(なんともう22回も実施している!)が「丹野智文著「認知症の私から見える社会」(講談社、2021年)を読む」というオンラインイベントを実施した。コロナ禍で進んだオンライン化、参加者は全国各地から300人に上った。リアル会場で300人を集めるのはひと苦労だが、これもオンラインのおかげである。
 参加したいろんなひとたちが口々にコメントを述べた。多くのひとが指摘したのは、この本がパラダイム・シフトの書だということである。

 これまで認知症について書いたり論じたりしてきたのは、主として専門家と家族。認知症当事者は、発言の能力がないか、あってもとりあってもらえなかった。それが「社会が認知症当事者をどう見ているか」ではなく、180度がらりと視点を変えて、「認知症当事者に社会がどう見えているか」を論じたものだからである。

 社会はひとの集合である。そのなかでも、当事者にいちばん近い位置にいるひととは、家族だ。この本には、家族が認知症当事者にどう対処しているかではなく、認知症当事者が家族の対応をどう見ているかが詳細に書かれている。
 たとえばこうだ。
「忘れたの?」「さっきも言ったでしょ」「また」。「これらの言葉がいちばん嫌な言葉」。
 そして「やることなすこと危ないと言われる」ようになり、「やめたらいいのにとあきらめさせられる言葉がけが多くなった」。気のせいか「認知症になってから言われ方がきつくなったと感じる」。

 周囲の専門職や支援者もそうだ。
「診察室で先生は、私にではなく家族に体調とかを訊くけれど、私がいちばんわかるのになぜ家族に訊くのだろうと思う」
「自分は薬を飲みたくないのに、家族が増やして欲しいと先生に言っているのを聞いたことがある。そして自分は困っていないのに、家族が困っていると先生に言っているのを聞くとつらい」

 こうしたことばは、丹野さんが全国300人の認知症当事者とのやりとりのなかでメモしたものだ。本が書けるぐらいなら認知症じゃない、取材して記憶できるなら認知症とは思えない……という声に対して、丹野さんは、当事者のことばを聞く度にそのつどIT機器に入力して保存したものだと言う。丹野さんの本には、日本中の認知症当事者300人分のホンネが詰まっている。

 そしてこの本を出すのが「怖い」「怖かった」と、丹野さんはくりかえした。
 たとえそれが当事者のリアリティであっても、いちばん身近にいて苦労をかけている家族に対する不満をこんなに書きつらねれば、「ひとの苦労も知らないで」「あなたのために言ってるのに」と家族から猛反発が来るのを怖れたのだという。

 ケアを受けるひとたちは、ケアを与える側のひとたちと圧倒的な非対称関係に置かれている。ケアを与えてくれるひとを怒らせたら、それこそ死活問題だ。認知症者の家族の苦しみは知りぬいている。それでももっとも身近なケアするひととのあいだで、ケアされるひとの利害は対立する。
 当事者ということばは、もともとほんらいの「ニーズが帰属するひと」と、それ以外のひとたちとを区別するために生まれた。どんなに身近な家族でも、本人を代弁することはできない。そのうえ場合によっては利害が対立することすらある。

 本書のパラダイム・シフトを指して、当日コメンテーターを務めた認知症専門医の山崎英樹医師は、1970年代の「青い芝の会」を思い出した、と感慨深げに語った。脳性麻痺の当事者団体としてスタートした「青い芝の会」は、施設をつくりたいのは当事者の要求ではなく家族の要求、施設から出て自立生活をしたいという当事者ののぞみの前にたちはだかるのは家族だと指摘して、こんな主張をした。
「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならないのが我々の宿命である」(橫塚晃一『母よ!殺すな』すずさわ書店、1975年/生活書院、2007年)
 認知症当事者も半世紀近くを経て、ここまでたどりついたのだ。

 こんなやりとりをしているあいだにも、チャットに「認知症者の家族も当事者でしょ」とか「家族と本人が当事者です」といった書き込みがはいる。家族というものが、どんなに重いものか、そして認知症当事者がどれほど家族に感謝しつづけ、肩身の狭い思いをしつづけなければならないかが伝わってくる。

 わたしは中西正司さんとの共著『当事者主権』(岩波新書、2003年)の著者である。家族と当事者を切り分ける必要は、いくら強調してもしたりない。当事者を「問題を抱えたひと」というより、「問題状況から立ち去れないひと」と言い換えたほうがよいと思うが、その定義にしたがえば、家族はその気になれば「問題から立ち去れるひと」と言ってもよい。こう言えば、「そんなことできないから家族でしょ」という反発の声が聞こえてくるが、たとえばケアされる当事者が目の前から消えたり、亡くなったりすれば、非当事者は、問題から解放される。どんな罪悪感を伴っても、その状況から逃げだそうとすれば逃げることもできる。

 丹野さんの著書を読んで爆笑したのが、次の一節である。
 認知症の当事者が入院させられたことを、「家族が鬱になってしまい大変なので一時的に入院することになった」と聞いた丹野さんは、こう感じる。
「家族が鬱になったら、なぜ、鬱になった人が病院に入らないのでしょうか? 当たり前のように認知症の当事者のほうが入院させられてしまうのが疑問です」と。

 樋口恵子さんとわたしの共著『人生のやめどき』(マガジンハウス、2020年)でも同じようなやりとりがあった。103歳の老女が70代の息子夫婦との確執から施設入居するに至った、というエピソードを聞いたときのことだ。長年姑に仕えてきた息子の妻は「能面のような顔」をしていたと。息子夫婦は老いた母親の介護が招く葛藤から、自分たちの夫婦関係を救ったのだろう。その選択は正しいが、それならなぜ103歳の老女に生活環境の激変を強いるより、息子夫婦のほうが家を出て行かないのか、と素朴な疑問を抱いた。持ち家はおそらく老女の名義で、息子夫婦はレイトカマーだ。遅れて同居した者が、先に出て行けばいい。なぜ自分の家で最期をまっとうさせてあげられないのか、と。
「置き去りにするのと、施設に入れるのと、どっちがむごいのか」と樋口さんは言う。施設入居は「追い出し」ではないのか。「追い出し」より「置き去り」のほうがまだましだろう。樋口さんは「老人ホームには、行きたくなるような場所になってほしい」と言うが、わたしの知る限り、施設が好きで入る年寄りはいない。

 ケアする者は、その気になれば逃げられる。イヤなことからは逃げたらいい。いや見捨てるなんてできない、という「よき家族」でも、適度な距離を置いたほうがよい。そのほうが「やさしくなれる」からだ。当事者と家族の利害を切り分ける必要は、なんどでも強調しなければならない。

 丹野さんはこうも言う。
「いままで私は、『認知症の症状から逃げ出すことができない人』『認知症と診断された人』のことを当事者だと考えてきました。しかしそれだけではなく、診断された本人が、暮らしていく中で、自分の意思によって自由に行動をしたり、要求することが当たり前としてできるのだということを社会に発信していく、『認知症に関係して発信していく人』だと思うようになりました」

 そういえばわたしは『当事者主権』のなかでこう書いた。当事者「である」ではなく、「になる」ものだ、と。
「当事者とは、『問題をかかえた人々』と同義ではない。(……)私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて(……)人は当事者になる」

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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