「NHK出版新書を探せ!」第14回 臨床心理学はつらいよ――東畑開人さん(臨床心理学者)〔前編〕
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「NHK出版新書を探せ!」第14回 臨床心理学はつらいよ――東畑開人さん(臨床心理学者)〔前編〕

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

<今回はこの人!>
東畑開人(とうはた・かいと)

1983年生まれ。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、現在十文字学園女子大学准教授。2017年に白金高輪カウンセリングルームを開業。専門は臨床心理学、関心は精神分析・医療人類学。著書に『美と深層心理学』(京都大学学術出版会)、『野の医者は笑う』(誠信書房)、『日本のありふれた心理療法』(誠信書房)、『居るのはつらいよ』(医学書院、大佛次郎論壇賞受賞)、監訳書に『心理療法家の人類学』(J.デイビス著、誠信書房)がある。

倫理の授業でユングに魅了された

――最初に、東畑さんが臨床心理士になるまでの経緯をうかがおうと思いますが、ご著書の『日本のありふれた心理療法』(誠信書房)にも少し説明されているので、それを参照しながらお聞きします。
 この本によれば、「高校生のころは漠然と人類学者になりたいと思っていた」とありますが、人類学に関心をもつきっかけが何かあったんでしょうか。

東畑 異文化への関心は強かったと思います。今でも覚えているんですけど、通学途中の電車の中で、なぜか『世界のビール』という本を読んでいたんですよ。そこに、ドイツには緑のビールがあると書いてあったんです。それを知って、妙に興奮したんですね。「緑のビールがあるのか!」って。

――ビールを飲んでいたわけでは……

東畑 全然、飲んでないですよ(笑)でも、ビールが緑であり得ることに興奮したんですね。ここではない場所では物事が違ったふうにあり得ることに、自由な気持ちになったんだと思います。

――そこから、高校倫理の授業でユングの話を聞き、がぜんユングに興味を持ったと書かれています。

東畑 カトリック系の高校だったので、修道士が倫理の授業を担当していたんです。デカルトやカントの話を聞いても興味を持てなかったんですが、心の中の異文化について語るユングには魅了されてしまったんです。そこから、人類学よりも、心理学へと関心が移っていきました。

――それがきっかけで、臨床心理のほうに行こうという気持ちが強くなったわけですか。

東畑 はい。進路をずっと迷っていたんですけど、絶対、心理学をやるぞと思いました。ただ、心理学といってもいろんな心理学があるんですよね。

――実験心理学もあるし。

東畑 そうそう。最初は、心理学のコースがある京大の文学部を目指していたんです。ところが検索してみたら、ネズミの眼球運動に関することが書いてあって、仰天しましたね。こんなに苦しい受験勉強をして、俺は大学入ってからネズミの眼球を調べるのかと思ったら絶望しました。それでまた調べてみると、教育学部に臨床心理学のコースがあり、河合隼雄がいたところだとわかりました。それを見て「ここだ!」と。

学部時代は臨床心理学に興味を持てなかった

――本には、学部時代のことも書かれていましたね。河合隼雄や山中康裕の本は夢中になって読んだけれど、臨床心理学じたいにはあまり心が惹かれなかったとあります。

東畑 学部の段階では、臨床の面白さがまったくわかってなかったですね。河合隼雄とか山中康裕を読むと、きらめくファンタジーの世界が描かれているわけです。一方で、クライエントの話というのは日常的な話で普通なんです。
 日常的な話の奥に響いている心の深層を、河合隼雄や山中康裕は引っ張ってきたんですけど、当時の僕にはその感受性がなかったので、事例研究の本を読んでもまったく面白くなかったんです。

――そういう中で、大学院に入る前ぐらいに皆藤章さんの『生きる心理療法と教育』(誠信書房)を読んで衝撃を受けられた。

東畑 そうそう。皆藤先生の本はすごかったですね。皆藤先生は河合隼雄の弟子で、河合隼雄の考えをよりラディカルに研ぎ澄ませようとしていました。
 時代もありました。僕が学部生だったのは二〇〇〇年代前半ですが、当時、日本の臨床心理学では、認知行動療法が存在感を増していて、河合隼雄がやってきたような深層心理学への批判が高まっていました。
 認知行動療法の人は、深層心理学は効果があいまいだからダメだと批判するわけです。これは確かに一理あるのですが、皆藤先生の本では「効果とは何か」ということそのものが心理療法では問題になるというロジックがたてられていました。たとえば、認知行動療法だったら「不安が減じること」に向かって治療を行い、その効果を実証的に測ろうとします。でも、はたして不安が減ることが心理療法のゴールなのか。もちろんそういう場合もあるし、医学的にはそういうケースが多いかもしれませんが、カウンセラーのところにやって来るクライエントからすると、それだけがゴールではないことも多い。というか、そもそもゴールが分からないことが多い。ですから、正解のない世界を「いかに生きるか」に取り組む営みとして心理療法を捉えようというアイディアでした。これは今でも僕の第一原理になっています。
 僕は、その議論にすごく説得力を感じたんですね。じつは、そのころ、認知行動療法をやっている東大の大学院に行こうかなとも思っていました。でも、皆藤先生の本を読んで、そのまま京大の院に進む決心が固まったんです。その船でよかったのかどうかは、ちょっとわからないのですが(笑)

「これ、子守りとどこが違うんですか」

――大学院時代では、ケース・カンファレンスがさっぱりわからなかったと書いてあったのが印象的でした。

東畑 わからなかったですねぇ。

――先輩がプレイセラピーのケースをプレゼンした後に、「すいません、これ子守りとどこが違うんですか」と発言して、場が凍りついたんですよね。

東畑 本当に子守にしか見えなかったんですよ(笑)。今思えば浅はかな発言なのですが、これは今に至るまでの問題意識の根幹でもあります。つまり、何がセラピーで、何がセラピーじゃないかという問いですね。カウンセリングとは話を聞くことだとよく言われますけど、これは嘘というかかなり不十分な説明です。話を聞くなんて誰でもやっているんだから、それならわざわざカウンセラーのところへ行く必要はないんじゃないか、という話になりますよね。当時、いろんな人がそれは「深く聞く」から違うと答えていましたけど、全然、説得力が感じられなかったんです。それが、普通の兄ちゃんが子守してるのと、心理士が子どもと遊んでプレイ・セラピーだと言っているのと何が違うんだという問いだったわけです。ただまあ、なんというか、黙っておけばいいのに、というのはありますね(笑)

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東畑 これもあと付けに話になってしまうかもしれませんが、そういう反発心は小学校のころからありました。僕はカトリックの家に生まれているので、小さいころは教会に行っていました。行くと、神父さんが権威的なんですよ。神の権威を背負っているから、当然といえば当然なんですけど。でも聖書を読むと、イエスって反権威じゃないですか。イエスが権威的なパリサイ人をギャフンと言わせるようなストーリーもあるし。
 それなのに、神父さんやシスターが権威的だから、なんかこう反発したいわけですよ。それで、教会でラジコンとかやっちゃう。当然、怒られるんですが、「イエス・キリストだったら怒りますかね?」みたいなことを言って抵抗を試みるんです。子守り発言も同じ構造ですよね。だから、完全に僕の個人的な問題だと思います(笑)

――そういう大学院時代に衝撃を受けた本として、松木邦裕さんの『分析空間での出会い』(人文書院)を挙げておられます。

東畑 本もそうですが、博士課程の最後の年に、松木先生が京都大学に着任されて、直接指導を受けることができたんです。感動しましたね。ずっと現場で臨床をされてきた先生だったので、「本当に臨床をやってる人ってこんなに違うんだ」って思いました。

――そんなに違ったわけですか。

東畑 レベルが違いましたね。ケース・カンファレンスのコメントが非常に現実的で地に足がついているんですね。それでいて、心の深いところを鮮明にしてくれる。カッコよかったですよ。大学院を出た後、臨床の仕事をしたいと思って沖縄に行く決心をしたのも、松木先生の影響を抜きにはありえませんでした。

医療人類学との出会い

――博士論文のテーマは「心理臨床における美の問題」ですよね。のちに『美と深層心理学』(京都大学学術出版会)として刊行されますが、これはどういう問題意識から出会ったテーマだったんでしょうか。

東畑 僕は表面的なもの、表層的なものに興味を惹かれるんです。本を読んでいても、中身より文体や言葉遣いが気になる。ビールの緑に興奮するのも同じです(笑) ビールの本質より、それが緑でもあり得るが素晴らしいと思う。それに対して、深層心理学は表面の奥にある見えないものをつかみ取ろうとするわけです。だから、美はほとんど深層心理学のテーマになっていなかったんですね。

――方向が逆ですね。

東畑 たぶんその違和感が直感的にあったんだと思うんです。だから、深層心理学はなぜ美を考えることができないのか、という問いを立てました。これはその後、深層心理学とは何かとか、心の表面はいったい何のためにあるのかという問題意識になっていきましたね。
 それから後もずっと、深層心理学や心理療法は、どういう枠組みで行われているんだろうかという問題に関心を持ち続けています。それはなぜかと言えば、自分がうまくそこに乗れないからです。表面的なものに惹かれるから、深層心理学に対して疎外感を感じてしまう。そういうものだと思うんです。ピタッとはまっていたら、問いは出てこない。居るのがつらいときにこそ、人は自分が居る場所について考え始めるのだと思います。ですから、この美の問題は、僕の原動力になっていると思います。

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研究室では著書が独特の飾られ方をしていた

――博士号を取られて、職を求めて沖縄に行き、そこでの経験や研究が『野の医者は笑う』(誠信書房)や『日本のありふれた心理療法』、『居るのはつらいよ』(医学書院)といった著作にまとまっていきます。
『野の医者は笑う』や『日本のありふれた心理療法』では、「医療人類学」が重要な参照軸になっていますが、これは沖縄で出会われたんでしょうか。

東畑 そうです。博士論文もそうですが、心理療法や臨床心理学をメタ的に見直していきたいという問題意識はずっとあったんですけど、参照するものが見つからず、孤独に考えていました。というか、ちゃんと考えられずにいました。何かを考えるためには、誰かの助力が必要です。
 沖縄に行って2年目に、週末に沖縄国際大学の非常勤講師をすることになったので、図書館を使えるようになった。この図書館は、本当に素晴らしかった。古い本も新刊も充実していましたね。ここで出会ったのが、医療人類学者アーサー・クラインマンの『臨床人類学』(弘文堂)でした。これは天啓でしたね。
 沖縄には「ユタ」というシャーマンがいて、病院にもユタがふつうに来ていたし、患者さんが憑かれたりという話もいっぱい聞いていました。それで、霊的な文化に関心を持つようになり、その流れで図書館でシャーマニズム関連の本を漁っているうちに、クラインマンに出会ったわけです。これが本当に夜を徹して読むぐらい感動した一作で、大変な影響を受けました。

――『野の医者は笑う』では、まさに人類学的なアプローチで、沖縄のヒーラーに次々に会ったり、講習会に参加したりしていきます。スピリチュアルな場に飛び込んでいくときに、怖さみたいなものはなかったんですか。

東畑 僕、飛び込みが好きなんですよ。大学生のときも、新宗教の集会にいっぱい行ってたんです(笑)。行けそうなところがあったら行って帰ってくる。ちょっとした冒険の気分だったのかもしれません。で、行ってみたら案外ふつうなんですよ。普通の人が普通に生きていた。それに心を打たれたという経験があったので、とくに怖さはなかったですね。ただ、あの頃は失業していましたから、ちょっとおかしくなってた可能性はありますね(笑)

*取材・構成:斎藤哲也/2021年2月4日、十文字学園女子大学にて取材

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プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
*斎藤哲也さんのTwitterはこちら
*NHK出版新書編集部のTwitterはこちら

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