「日記の本番」11月 くどうれいん
小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。くどうさんの11月の「日記の練習」をもとにしたエッセイ、「日記の本番」です。
8歳から成人するまでの間、わたしは同じ夢を見ることがあった。それは決まって高熱のときで、わたしは大きな風邪やインフルエンザになるたびに同じ夢を見た。
黒い球にひたすら追いかけられる夢。言葉にするとあまりにも単純な悪夢だが、それは映像としても本当にシンプルなものだった。わたしの目の前に、真っ暗闇が果てしなく広がっている。そこに、わたしのからだの幅とちょうど同じくらいの白い道ができていて、道も果てしなく続いていて終わりが見えない。その道をわたしは歩き出す。だって、歩く以外に仕方がない。夢の中の視界は現実世界のそれによく似ている。両手を出せば両手が見えて、歩きながら下を向けば左右の膝が交互に出るのが見える。自分の顔を見ることはできない。つまるところ俯瞰の夢ではない。白い道を歩いているうちに、わたしは退屈になる。これ、いつまで続くんだろう、と思っていると、背後からごりごりとすり鉢の底を擦るような音がする。振り返ると、鉄球のようにつやつやの黒い球が、わたしに向かって転がっている。わたしはそれを見た途端(まずい!)と走り出す。黒い球はわたしを追いかけてくる。追いかけながら雪だるまのように徐々に大きくなり、スピードも増す。ああ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、押しつぶされる。必死に走るわたしの踵をとっつかまえようとするかのように黒い球が迫ってくる。どうしよう、もうだめだ、潰される! とぎゅっと目を瞑ったところで目が覚める。足先が、びんっ、と伸びて攣りそうになっている。(ああ、いつものね)と思って、それで安心してもう一度寝入る。そして大抵、その夢を見終えると峠を越えていて、その夢以降は体調がぐんぐん回復するのだった。
高校生くらいになると、黒い球の夢を見ながらその最中に(ああ、いつものね)と思うようになった。夢の中にいてもこれは夢なのだと自覚できているのであれば、あえて潰されてみる、とか、白い道以外の場所を歩いてみる、とか、いつもと違う結末を試みることはできたのかもしれないが、(ああ、いつものね)と思いながら、結局は黒い球が追いかけてくると白い道をまっすぐに逃げてしまうのだった。
大学生になってから友人にその話をしたら、精神的な不調を本気で心配されたことがある。何か大きなストレスがあなたを追い詰めているのではないか、わたしでよければ何でも話は聞くよ、と。わたしとしては高熱のときにしか乗ることのできないアトラクション、というくらいのつもりで話したのが、あまりに心配そうな顔をされてしまったので「ああ、ええと、その時はお願いね」と曖昧に笑った。それからというもの、どういうわけかその夢を見ることはなくなってしまった。
それからほぼ十年経ち、久々に高熱らしい高熱を出しながら、またあの夢を見るのではないかと内心そわそわしていた。次に黒い球がごりごり言いながらわたしを追いかけてきたらどうしよう。大人しくぺたんこに踏みつぶされてみようか、まだ球が小さいうちに掴み取ってぽーんと遠くへ投げてみようか、はたまた、がばっと振り返って押し返してみようか。痛む関節をさすりながら寝入ると、それは豪華客船の夢だった。わたしは豪華客船の中でそこにいる気のよさそうな人たちとシャンパンを飲んだりプールで泳ぐ人を眺めたりした。そのすべての時間、どうしてか(黒い球来い)と祈り続けていた。
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タイトルデザイン:ナカムラグラフ
「日記の練習」序文
プロフィール
くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。東直子さんとの歌物語『水歌通信』が発売中。