「日記の練習」11月 くどうれいん
小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの11月の「日記の練習」です。
11月1日
何もかもが手遅れな一日。忙しさに追い詰められたら、むくむくとどこかへ行きたくなって咄嗟に11月中の京都行きを決めた。格安航空が格安でびっくり。はじめて飛行機にひとりで乗るんだと思ったらもう緊張してきた。わたしは生活に過度な負荷が掛かりはじめると、忙しさの中を飛び出すように、スケジュールを無理やり突き破って突拍子もない遠出を試みようと思うところがあるから、おそらくこれは疲れているんだな、と自覚する。からだを守る。けれど、勢いでしかできないこともたくさんある。だから京都に行く。
11月2日
5時に起きて仕事。3本原稿書く。11時過ぎ、ゆりちゃんの個展にはどうしてもチューリップを送りたくていつもの花屋へ。黄色二本と白一本。白はもうくたっとしているから、と値引きしてもらう。花瓶も一緒に買って、水入れてもらってそのままBOOKNERDへ。ゆりちゃんに、迷惑でなければ花瓶も一緒にどうぞ、と言うと「すご」と笑っていた。
仙台へ。仙台駅には「SENDAI」と型どられたオレンジ色の大きな看板があり、女の子たちがでかいSやでかいDに思い思い抱きついたりして写真を撮っている。そんなフォトスポット、わたしの頃はなかったぞ。学生時代に住んでいたのはもう6.7年前のことで、さすがに街並みも変わっており、こんなんあったっけ、と、これなくなってんのか、の連続である。着たかったニットとコートを持っていったのに夏のように暑く、完全に見誤った。目的のライブはとても良かった。最後の一曲が特に。でもだれにもそのことを教えたくないようなきもちになった。なんでも書くと思うなよ。
11月3日
その古着屋さんは店内でオンライン販売用の商品を撮影しているようで、わたしが入店したがっていると気がつくと、すぐに店内の明かりをつけてくれた。店内ではスピッツが流れていて、かわいいニットと、かわいいサロペットと、かわいいナイキのジャンパーがあった。たるたるしていてかわいいニットのカーディガンを買うか悩んではじめて店員さんを見ると、おじさんだと思っていた店員さんは同い年くらいか下手したら年下かもしれず、けれどよく見ると全然年上のかわいいおじさんかも知れない可能性もあった。(おじ……おに……おじ……)と思っていたら悩むことに集中できなくなってしまい、また来ますと言って退店した。もう来ないだろうと思いながらやんわりと接客を断って退店したいとき、わたしはいつも「また来ます」と言う。うそついたなあ、と思いながら。
11月4日
パァクでホットケーキを食べ、よ市では牡蠣とつぶ貝と焼き団子と納豆巻きと焼き鳥と燻製ナッツを買って、それから冷麺を食べに行った。そうしてともだちが出来た。ともだちになってください、とだれかに伝えるのは、本当に本当に、何年ぶりのことだろう。とても緊張してそう伝えると、彼女は両手を前に出して、れいんさんとそれまで呼んでいたのを「れいんちゃん」と言った。びっくりして両耳がぱちぱちした。ともだちができるのはとてもうれしいことだと思った。
11月5日
上白石萌音さんのコンサートのために仙台へ。こんなに大きな会場でのコンサートは久しぶり。パワフルで繊細でかわいくてかっこよくてやさしくていじわるで、なんて素敵な人なんだろうとすっかりメロメロになってしまった。歌がとても上手い。歌が、本当に上手い。メロメロのまま会場を出ると野球が盛り上がっていたので、帰りの新幹線に乗る直前までHUBで阪神が優勝するところを見ていた。阪神に何か思い入れがあるわけではなかったけれど、がんばった誰かがでっかく勝つのを見たいという欲求があった。萌音さんの歌声のことばかり思い返しながら、蓄光のようにぽうっとひかりつつ就寝。
11月6日
朝から夕方まで某撮影の立ち合い。きらびやかな業界というものは本当にあって、それが日常になる生活もあるんだよなあ、とぼんやり思う。編集長の連れて行ってくれた居酒屋が渋くすばらしかった。フライドポテトを頼むと「芋がないので無理」と言われ、内心しょげつつもわかりましたと答えると30分後にフライドポテトが出てきて「いま芋買ってきた」と言われてたまげた。生のじゃがいもから作るフライドポテトは格別においしかった。
11月7日
コンビニの中ですれ違った若いサラリーマンが「まじでうちの会社の自販機ってセンスねえよなあ、そう思わねえ?」と言っていた。
11月8日
5時に目が覚めたのでそのまま仕事。ゲラを一冊分確認し終え、ちいさな原稿を出し、必要な書類を3件書いてからヘアメイクをしてもらいロケへ。蕎麦打ちの師匠である七十代の女性は「しあわせ!」と「すてきね!」が口癖で、「これからおじいちゃんおばあちゃんばっかりの国になるんだから、おばあちゃんはますますチャーミングでないと!」と笑うので感動した。亡くなった夫のことを「天国と遠距離恋愛しているのよ~!」と笑い、「地球は質量保存でしょ、だからかなしいときはその分誰かがよろこんでくれてるはずだし、わたしが太った分だれかがスリムになっているって思えば大丈夫よ~落ち込んだって地球は終わらないし、わたしが太っても地球はしずまないし!」という調子であまりにも畳みかけるように名言が飛び出すので終盤はもう「わかったわかった」みたいになってしまいつつ5人前の蕎麦打ちを終え、ぎゅっと抱きしめ合って解散。帰宅すると顔面にパイ投げをされたみたいにつかれた。パイ投げされたこと、ないけど。
11月9日
久々に会議らしい会議に参加。営業だった時の血が騒いでついつい前のめりに口を出しすぎてしまう。でっかいホワイトボートを久しぶりに見た。
帰宅すると廊下には金テープが大量に垂れ下がっており、「おめでと~!」と夫に出迎えられる。誕生日は明日だが前夜祭とのこと。壁に「HAPPYBIRTHDAY」の風船が貼られている。クラッカーの眩しいラメを浴び、おお、祝福されている。と思う。まぶしいとめでたいきもちになる。24時になった瞬間夫はスティービーワンダーのハッピーバースデーを流しながら踊り出し、良い化粧水をくれた。
11月10日
夫が休みを取ってくれたのでふたりで平日しかやっていない大好きなうどん屋さんへ行き、うまいうまいと鼻を膨らませた。いつもの花屋で好きな花を選んで花束にしてもらい、バターケーキの美味しいお店でケーキを買った。夜にインスタライブを30分ほど。終わるとキコから「ビジュよかった」と連絡が来て「ビジュて」と言いながらうれしい。夕飯食べ終えて、『Coda コーダ あいのうた』観て顔がなくなっちゃうくらい泣いた。
11月11日
宇宙館へ行って3D眼鏡を掛けた。宇宙にまつわる映像の時にしか聞くことのない「ホワァ~フワャ~」的なBGMが流れて、(宇宙にまつわる映像の時にしか聞くことのないBGMだ)と思った。星座の説明は見たことがあるけれど、いかに宇宙が広いのかを視覚的に説明されたことは無かったのでとても新鮮で、宇宙のあまりの規模の大きさに途方に暮れた。宇宙の大きさに比べれば自分の悩み事なんて云々、というような物言いは好きではないのだが、さすがに宇宙の大きさが桁違いすぎて、人生がどうでもよくなりかけて「はは」と乾いた笑いが出た。通りかかったたこ焼き屋さんがとても美味しそうな予感がして入店。たこのバルーンがあるたこ焼き屋さんは間違いないと信じているところがある。美味しかった。花束を貰ってうれしい一日。
11月12日
11月13日
11月14日
ラジオの収録を終えてコインパーキングの清算をしようとすると見事に小銭がなく、千円札もない。遠いセブンイレブンと遠いローソンと悩んで遠いセブンイレブンへ行き、わざわざ来てグミひとつだけ買うのも癪だったのでフリーズドライのスープを三つも買ってしまった。
11月15日
たまたま鉢合わせてしまったらしい大学生4人が、ダウ90000のような絶妙な空気感で会話ともつかない会話をしていて興奮した。
夜はキコと安藤さんと平興酒店へ。将棋名人だという常連相手にキコが挑み、日本酒をすいすい飲みながらふたりが将棋を指すのを見ていた。わたしは将棋のことはくわしくないのだけれど、周りで見ていたおじさんたちが「これは藤井聡太の指し方だ……」とわらわら集まってきて本気で顎を擦りながら唸るのでおもしろかった。記者をしているお兄さんと意気投合し四人で飲みなおして全員へべれけ。大イチョウの話をしながら帰宅。
11月16日
「谷」を「せ」と読むことがあるという事実を、一度も受け入れられたことがない。長谷川の「せ」と出会うたびに、(「せ」~?!)と思う。
11月17日
突然の高熱。(京都……)と嫌な予感がしつつ発熱外来へ行くもコロナもインフルも陰性。こんなに高熱でどちらでもないわけないと思うんだけど、もう一度検査しないと本当のところはわからない。情けない情けないと思いながら明日の登壇イベントの担当者に体調不良の連絡を入れて唸りつつ就寝。40度。
11月18日
4時に起きる。40度。高熱下がらず。解熱剤も効かず。意識が朦朧としたため、救急車を呼んでもらう。病室までの記憶はほぼないが、救急車の中で職業を聞かれ「自営業です」と答えると「もう少し詳しく聞いていい?どんな自営業?」と言われたことだけは覚えている。点滴を打ってもらってようやく熱が38度に。再検査の結果インフルエンザだった。そうわかったとたんに断る仕事が三つあり、まずは楽しみにしていたきょうの登壇を正式に断る。本当に申し訳なくてちいさくなる。京都行きも無理だ、しかしキャンセル手続きをする気力がない。
11月19日
まだ40度。大切にとっておいたいただきものの千疋屋のゼリーをがぶがぶ食べる。
11月20日
ようやく平熱になるも頭を使った作業はほとんどできない。昼に少し寝るとすごい夢。泣きながら起きる。豪華客船に知らない人たちがたくさんいて、彼らがみな「あなたの書いた登場人物です」と名乗り「おねがい、書いて」「さあ、書いて」と、最後は大団円で送りだされる夢だった。やたらやる気が出る。高熱で吉夢を見るだなんてめずらしい。むん、と意気込んで京都のフライトをキャンセルする。キャンセル料は一万円。一万円で済んでよかったなという気持ちのほうが強い。
11月21日
11月22日
11月23日
コインランドリーでシーツと布団と毛布をがんがん洗濯して乾かした。
夜はトークイベント。控室ではういろうと白パンとおいなりさんとケークサレとうまい棒と柿(かたい)を出してもらい、何でもありでたのしかった。サイン会のときに「元気が出る四字熟語書いてほしい」と言われて、そういうのマジでやってないんだけどなと思い「日本酒が好きなんでね」と言いながら<表面張力>と書くと、「わあ、なるほど……!」とやたら感動されてしまい、ふざけて書いていることを理解してもらえたのか不安。
イベント終えたら大雨。走り去るように車に乗り込んで「ありがとうございましたーっ」と窓から腕を出して手を振ったのはちょっとパンダコパンダっぽかったと思う。
11月24日
いつもの作業場。コストコのしいたけのチップスの話をしている人たちがいて、このふたりはここのところお昼になるたびに美味しいものの情報を交換している。「げきうま~!」と盛り上がっている。「げきうま~!」だって。今度わたしもそう言いたい。
11月25日
夫と慰安旅行のため東京へ。さいたま国際芸術祭へ行ってから、ジョナス・メカス目当てで埼玉県立近代美術館へ。潘逸舟の「波を掃除する人」があまりに素晴らしく、しばらく立ち尽くして観ていた。TABFへ行き会いたかった人に会い、台湾の画家の絵を買った。思えば東京で絵を買うのは初めてのことで、絵は買った後も持ち歩かねばならないのだと知る。折り目をつけないまま持ち帰ろうとするのはケーキを運ぶときのそれと似ていて、急にこのあとの予定すべてに緊張感が出た。
11月26日
東京なのに寒い。tofubeatsの10周年ライブはあまりにかっこよく、ライブ前に引き換えたビールを結局一口も飲まないままただただ圧倒されていた。二日続けて二万歩近く歩いたのでさすがに踵の骨が悲鳴を上げている。帰りのコンビニでふくらはぎに貼るリフレッシュ用の湿布と、足の裏に貼るシートを買った。足の裏に貼るほうは、寝ている間に老廃物を排出させるというもので、効果がある人ほど使用後のシートがべったりと黒くなるらしい。わたしは「効果があるほどに黒くなる」というタイプの商品を一度も信じていないが、効きそうなものにはすべて頼らねばと買った。ホテルに着き、疲れすぎて足に何も貼らずにそのまま寝てしまった。
11月27日
朝から既に足が痛い。麻布台ヒルズをぐるっと見てへーと言う。帰りの新幹線でねぎとろ巻を食べごきげん。盛岡に着いて「さむっ!」と言う準備をしていたが東京も寒かったため思ったよりも平気。帰宅し、荷解きをせずに明日の用意をする。昨日使わなかった湿布と足の裏のシートを貼っていそいで眠る。
11月28日
早起き。剥がすと足の裏のシートは真っ黒に汚くなっていて「きも」という声がしみじみと出る。足の疲れは驚くほど回復した。いま「その足の裏のシートで老廃物を排出したから楽になった、ほーら老廃物で真っ黒!」と言われたら納得してしまいそうでくやしい。仕事のため日帰りで東京へ。自宅の寝室で眠るほうが体力が回復するだろうと延泊せず一度盛岡に帰ったのはとても良い判断だったと思う。
打合せのためにフレンチカフェに入って注文をすると、隣に座る担当編集が「とんび」と突然言うので「とんび?」とわくわく聞き返した。「いま、とんびの声しましたよね」。ここは原宿である。またまた、と思っていたら本当に店員呼び出し用のベルが「ぴょろろ~」と鳴るので笑ってしまった。「もう注文しちゃったけど、もう一回とんび呼びたくなっちゃいますね」と言うので、追加でホットコーヒーを頼んだ。サインを千冊書いてお気に入りの海苔弁と黒ラベル買って新幹線で帰る。
11月29日
朝から猛烈な雪。(撮ろう)と思うのとほぼ同時に(どうせうまく撮れないな)と諦めが来て撮らなかった。降る雪を撮るのってむずかしい。そうじゃないんだけどな、という写真しか撮れない。
発売日のことをよくわかっていなかったが共著の新刊が店頭に並び始めているらしい。テキストの共著は初めてのことで不思議な気持ちがする。SNSの告知用のテキストをいくつか書き溜め、ほとんど一日中寝ていた。
11月30日
わたしはとても卑屈だが、卑屈ってもしかしたらあんまり意味ないのかもしれない。「自信を持つ」以外のことがぜんぶダサい気がしてくる夜。
書籍はこちら
タイトルデザイン:ナカムラグラフ
「日記の練習」序文
プロフィール
くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。東直子さんとの歌物語『水歌通信』が発売中。