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この怒りが何かを考えよう――「不安を味方にして生きる」清水研 #10 [喪失体験との向き合い方②]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
第1回からお読みになる方はこちらです



#10 喪失体験との向き合い方②

怒りの役割

 怒りという感情は、「こうあるべきだ」という自分の理想や価値観が理不尽な形で侵されたときに生じます。そして怒りの役割は、「自分の大切な領域を守り、現在の問題を解決する」ことです。
 現代の日本では暴力的な争いを日常で意識することはあまりありませんが、争乱が身近に起きる世界では、怒りの感情が敵を追い払うために必要であることは想像にかたくないでしょう。
 平和な世の中だとしても、「こうあるべきだ」という自分の価値観を大切にすることは必要です。価値観を放棄すると、自分自身を粗末にしてしまい、虚しさにつながります。
 ですので怒りは、「今まさに自分にとって看過できない問題が生じている」とのメッセージとしてとらえられます。そして、起きていることの意味をしっかり理解したうえで、傷ついている自分自身をケアする必要があります。

怒りの感情を掘り下げる

 第9回でご紹介した室田さんは、すい臓がんに罹患したことに対して、「真面目に生きてきた自分がなぜこんな目にあわなければならないのか」という強い怒りを感じていました。この怒りの感情について、私は室田さんがきちんと掘り下げて向き合ったほうがよいと考えました。以下がそのやりとりです。

清水:前回、がんになったのがとても腹立たしいとおっしゃっていましたね。その気持ちに変化はありますか?
室田さん:ずっとそのことを考えています。「なんで自分なんだ?」というのが頭から離れません。
清水:「なんで自分なんだ?」。それはがんを体験した多くの方から聞く言葉です。
室田さん:そうなんですね。自分は今まで誠実に生きてきたつもりです。もちろん自分が成功したいという気持ちもありましたが、その前に、私利私欲ではなく、社会のために役に立つ仕事をするということを肝に銘じていました。
一方で、世の中には、不真面目で他人のことなどおかまいなしの人間もいる。そんな人でもほとんど健康で長生きしていたりするのに、私は若くして死ななければならない。そんなの理不尽じゃないですか?
清水:室田さんの腹立たしさを私なりに感じます。私もいろいろな人の話をうかがうなかで、「なんでこの人ががんにならなければならないんだ」と思ったり、理不尽さを感じたりすることが何度もありました。
室田さん:そうなんですよ。人生は本当に理不尽だ!

 室田さんは「真面目に生きてきた自分ががんになるのは理不尽だ」と感じています。「真面目に生きている人は報われ、悪い人は最終的には罰せられる」という考えは、多くの人の中にある価値観です。しかしじつは認知バイアス(現実とは異なる偏った認識)であり、「公正世界仮説」という名前がついています[※]。
 多くの人が「お天道様が見ているよ」と教えられてきたのではないでしょうか? 小さいころに大人から教えられたことは正しいものと子供は記憶します。よく考えればこの思い込みは現実と乖離していると理解できますが、こころの深いところに刻み込まれているのです。
 また、「世界は公正で真面目に生きていればそれなりによい人生が待っている」という感覚は人に安心感をもたらし、誠実に生きようとする動機づけになるので、修正される機会は少ないのかもしれません。

 一方で、この考えには弊害があることも明らかになっています。たとえば、いじめや暴行などの被害にあった人に対して、この認知バイアスにあてはめようとするこころの動きです。「きっとあの人に落ち度があったから、あんな目にあったんだ」というように、すでに傷ついている人を否定したり、二次被害といった、さらに傷つけるような意見が生じることがあります。
 室田さんのように、理不尽に感じる現実が起きたとき、自分自身が無意識に信じていた「公正世界仮説」に裏切られたような気持ちになり、怒りを感じるのは当然のことです。その現実から目を背けず、真正面から向き合うからこそ、怒りの感情が湧き上がるのです。

 室田さんはその後の診察でも、「人生は理不尽だ」という言葉を繰り返し述べましたが、回を重ねるごとに徐々に怒りの感情のトーンは弱くなっていきました。
 おそらく、「真面目に生きている人は報われるべきだ」という怒りの根底にあった価値観が現実の原則からはずれていることにだんだんと気づいていき、「その人の生き方と、がんになるかならないか、長生きするかどうかは関係ない」という事実を受け止めるようになったのでしょう。
 室田さんにとって、怒りの感情が収まるまで繰り返しそのことについて考えたり話したりすることは、現実を受け止める心境にいたるために役に立ったように見えます。それまで自分が信じていた価値観から離れ、厳しい現実を受け止めるための必要なプロセスと言えるでしょう。

怒りと向き合うステップ

 室田さんのように、理不尽な現実を受け止めるためには、今まで持っていた価値観の見直しを求められることがあります。それは怒りを感じたときのひとつの方向性ではありますが、それ以外の可能性もあります。より一般的な観点から、怒りとの向き合い方について少しお話ししましょう。

 もしあなたが怒りを感じたとき、どうしたらよいでしょうか。たとえば友人が、大勢の前であなたの尊厳を傷つけるような言葉を口にして、激しい怒りが湧き上がったとしたらどうするか、考えてみてください。
 その場合、ただ怒りを呑み込むのではいけません。激しい怒りが湧き上がったということは、「今まさにあなたにとって看過できない問題が生じている」ことだからです。
 一方、すぐ感情を爆発させると、暴力をふるって大きな問題になるなど自分に不利益が生じることがあります。
 私がお勧めするのは、どうするかはいったん保留にして、怒りの意味を十分に考えるという方法です。

 まず怒りの暴走を防ぐために、アンガーマネジメントでよくとられる手法ですが、「6秒我慢する」「深呼吸する」「その場を離れる」などをおこない、その場では感情的な振る舞いを避けるのが無難でしょう。
 その際、すぐになんらかの行動をとるのを控える意味合いとして、「ただ我慢する」のではなく、「自分にとって最適な行動をとるために時間をかけるんだ」と自分自身に言い聞かせると、怒りをすぐ表現しないことによる悔しさが少し和らぎます。

 次に、友人の言葉によって、こころの中でどんなことが起きたかについて冷静に検討し、自分がなぜ腹を立てたのかについて掘り下げて吟味する必要があります。
 頭に血が上っているときには偏った見方になってしまいがちのため、自分の気持ちを俯瞰的に見る工夫が必要です。
 たとえば、気持ちを書きだしてその内容を読んでみると、考えや感情を客観視することにつながります。ノートに手書きするのでも、アプリなどを利用してもいいでしょう。
 この作業は急いで終わらせるよりも、できれば考えがまとまるまで時間をかけたほうがよい場合が多いものです。最初は断片的な考えがたくさん出てくるかもしれませんが、だんだんひとつひとつがつながっていき、中核となる考えが見えてくるかもしれません。
 自分ひとりでやるよりもっといいのは、信頼できるほかの人に話すことです。場合によってはカウンセリングなどを受けてもいいでしょう。言葉のキャッチボールをして、相手の視点を入れながら考えていくと、気持ちの整理が進みます。

 そして、気持ちの整理がついてきたら、その出来事によって自分がどの程度傷つき、どう対応するのが自分にとっていちばんいいのか、と考えます。考えることで、自分にとってもっとも適切な対応が何かという結論が出ます。その結論には、さまざまなパターンがあるでしょう。
 それほどひどく傷ついていないと思えるなら、次のようなパターンが考えられます。「彼の言葉はあきらかにおかしいし、その場に居合わせた人も同様に感じているだろうから、放っておけばいい」。あるいは、「よくよく考えてみると、彼には自分を侮辱する意図はなかった」という気づきがあったとしたら、自分の感じかたが早とちりだったという結論になるかもしれません。
 深く傷ついてどうしても許せないと感じ、自分の尊厳を守るためには看過できないとの結論に達したなら、その友人とは「今後いっさい付き合わない」、あるいは「なんらかの方法で対決する」ことになるでしょう。
 したこと自体は許せないが、友人との関係を維持することで自分にメリットが大きいとの考えにいたれば、「不本意ながら表面的な付き合いを選ぶ」ことになるかもしれません。

 どんな状況であれ、怒りと向き合っていくプロセスは自分にとって重い課題と向き合うため、ストレスが大きいものです。
 とくに、「不本意ながら表面的な付き合いを選ぶ」選択をすれば、怒りの感情と実際の行動が一致せず、苛立ちが残るかもしれません。そのような決断をしたなら、ぜひ自分自身をいたわり、誇りに思っていただきたいと私は考えます。

 好意的に話を聞いてくれたり、共感してくれたりする人がいると、さらに大きな力になります。自分だけでは乗り越えられないと感じているとき、相談相手が身近にいなければ、熟練したカウンセラーに話を聞いてもらうのも有効な策となるでしょう。

[※]Lerner, M.J. & Montada, L. (1998). An Overview: Advances in Belief in a Just World Theory and Methods. In Leo Montada & M.J. Lerner (Eds.), Responses to Victimizations and Belief in a Just World (pp.1-7). New York: Plenum Press.


第9回を読む 第11回に続く 

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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