チャーハン好きを隠すほどの苦境を救ったのも「チャーハン」だった(チャーハン栄養士・佐藤樹里)【前編】
子どものころからチャーハンが好きで5000食以上も食べてきたという、チャーハン栄養士の佐藤樹里さん(33)。ところが、そのチャーハン好きを隠さないといけないほどの苦境の時期があったといいます。その苦境から佐藤さんを救ったのは逆転発想の「チャーハン」でした。
祖母から三代続く、「おかか入り」チャーハンの懐かしい味
チャーハンはこれまで5000食以上、食べてきましたが、なんだかんだ言って結局よく作るのは、子どものころ家で食べていた「母のチャーハン」です。母のチャーハンには「おかか」が必ず入っているんです。あと、しょうゆとネギ。「ネギは多めな方がおいしい」と母はいつも言っていました。
具は、そのときどきで、冷蔵庫に残っているピーマンとかソーセージが入ったり、紅ショウガの刻んだのが一緒に炒められていました。ベッチョリ系のチャーハンでしたが、それはそれでおいしかった。
母はその作り方を祖母から伝授されたと言ってましたので、私も含めて三代続くチャーハンです。母はそんなに料理が得意でなくて、チャーハン率は高めでしたね。風鈴の音を聞きながらチャーハンを食べた夏の日とか……「母のチャーハン」を食べていると懐かしさがこみあげてきます。
──佐藤さんは1989年、東京都江戸川区で生まれ育った。もともとのチャーハン好きに拍車をかけたのは「初恋」だった。
初恋は小学校3年のとき。幼稚園が一緒だった子です。小学校は学区が違い、別々になってしまったのですが、家が近かったのでときどき道で見かけたりしました。
その子のおじいさんが町中華を営んでいて、うちでは何かあると、その店にたのんで出前してもらっていました。親が注文するたび、「わぁ」ってひとり密かに盛り上がっていました(笑)。
私がたのむのはいつも「五目チャーハン」。チャーシューやなるとが入っていました。薄いブルーの中華皿に盛られていて、今もその色が好きで、私のスマホケースはその色です。
その子とは特別なことは何もなくて、中学校も別で、そのうち忘れてしまいましたが、「チャーハン好き」だけが自分の中に残りました。
スポーツに明け暮れた小・中・高時代。部活弁当も「チャーハン」
──3歳から小学校6年まで水泳、中学・高校ではソフトボール。高校ではソフトボール部のキャプテンも務めるなど、生活の真ん中に常にスポーツがあった。
中学・高校では、ソフトボール部の親友たちとよく中華店めぐりをしていました。部活が終わると腹ぺこで。友だちはラーメンをたのんでいましたが、私はチャーハンをときどきつけるようにしていました。
あと、土日の部活のお弁当も、母にリクエストして白いご飯でなくて、チャーハンにしてもらっていました。チャーハンだと試合のとき気合いが入ります。
自分で初めてチャーハンを作ったのは、小学校高学年のとき。永谷園の「チャーハンの素」を使いました。包丁がいらないので、小学生でも簡単に作れます。
永谷園の「チャーハンの素」は好きで、その後も色々と作りましたね。海外で暮らしたときも、日本人向けの食材店で売っていたので、買って作りました。母も部活の弁当作りでよく使っていたので、永谷園のチャーハンの素はけっこうソウル・フードに近いかも。
──スポーツに関わる仕事をしていきたいと考え、「スポーツ栄養士」を目指し大学に進んだ。
体育大学に進むことも考えましたが、「スポーツ栄養士」という仕事があることを知り、興味を持ちました。管理栄養士という国家資格があることも知って、栄養系の大学に進みました。
高校3年のとき、「グミだけダイエット」をして体調を崩した経験も関係しています。「太っている」って言われて、傷ついて。いま思うと、筋肉だったので、気にしなくて良かったのですが。このとき「食べものは大事」だということを身をもって知りました。
大学に進んでからも、一人でチャーハンめぐりをしたり、横浜でチャーハン・デートをしたり、アメブロが流行っていたのでチャーハン・ブログを書いたりしていました。
就活の最終面接で趣味を聞かれたときも「チャーハンめぐり」と答えていました。そうしたら、入社後、社長に「チャーハンちゃん」と呼ばれるようになってしまいました(笑)。
窮地を救ってくれた「ダイエット・チャーハン」の逆転発想
──大学卒業後、フィットネスクラブに2年間勤務。フィリピン留学を経てワーキングホリデーでカナダへ。帰国後、スポーツ栄養系の会社などに勤めた後、2017年、27歳で独立。フリーランスの管理栄養士になる。
独立したのは、自力でキャリアを切り開いている人たちを海外でたくさん見てきたことが大きいです。自由な風潮にも惹かれました。ところが、帰国後、勤めた会社はゴリゴリの日本企業で。社長が帰って来るまで帰宅できないような風土でした。もっと自由に仕事をしたいと思いました。
──ニーズの多い「ダイエット・サポートの栄養士」として歩み始めた。だが、なかなか軌道に乗らず、「チャーハン好き」を隠すようにまでなった。
当時は体重が今よりもプラス8㎏くらいありました。太っているわけではないけれど、丸顔でぽっちゃりとした印象だったと思います。身長が170㎝あるので、よけい大きく見えてしまうんです。
仕事がなかなか思うようにいかず、次第に精神的に追い詰められていきました。ぽっちゃりとした印象が説得力を欠いているのではないか。カロリーの高いチャーハンが好きなんていうことが知られたら、お客さんは離れてしまうのではないか……。不安と焦りで、チャーハン好きを隠すようにまでなりました。
──そんな窮地にあった佐藤さんを救ったのもまた「チャーハン」だった。
チャーハン好きを隠す一方、チャーハンを食べては仕事のストレスを発散していました。あるとき起業仲間に「樹里ちゃんは、チャーハンを食べているときが一番幸せそうだね」と言われました。「なにかチャーハンのイベントとかすれば?」って。
管理栄養士にとってチャーハンはマイナスという考えにとらわれていましたが、相反する二つをマッチさせられたら面白いかも──。そこで、発想を逆転させた「ダイエット・チャーハン」を考えました。
──2017年春、米無しのダイエット・チャーハンを考案。Victory(勝利)とVegetable(野菜)とValuable(価値のある) の意味を込め「Vチャー」と名付けた。代々木公園でイベントを実施したところ大きな手応えが得られた。
ちょうどお花見の時期で、会費もとったのに100人以上の人が集まってくれました。
「Vチャー」は、細かく切ったカリフラワーとしらたきをご飯に見立てます。具は、卵とネギ、にんじん、しいたけ、小松菜、大豆ミートです。一般的にチャーハンは一人前700kcal前後くらいですが、「Vチャー」は250 kcal弱で、白ご飯と同じくらい。卵や野菜も一緒にとれ、低糖質で高タンパクになっています。
このときなにより嬉しかったのは、食べた人、みんなが笑顔だったことです。ダイエット・サポートでは、つらい表情の方が多かったのとは対象的でした。
おいしいものを食べると、人はこんなにも笑顔になるんだ。みんなチャーハンが好きなんだ!って思いました。
この後、色々なイベントやテレビから声をかけられ、チャーハンの本まで出版することになりました。そして、「チャーハン栄養士」と呼ばれるようになり、自分の軸足が定まったことで、そこからさらに世界が広がっていきました。
後編に続きます。
チャーハン栄養士として活躍の場を得て、佐藤さんは町中華のチャーハンの魅力をより知るようになったと言います。子どものころから5000食以上食べてきた佐藤さんが、衝撃を受けた「町中華のチャーハン」や、おいしいチャーハンのポイント、今後の夢などをお届けします。
←第3回(リュウジさん)を読む
第5回(佐藤樹里さん後編)に続く→
◆連載のバックナンバーはこちら
プロフィール
チャーハン栄養士 佐藤樹里
1989年、東京生まれ。大学卒業後、フィットネスクラブやスポーツ栄養系企業の勤務などを経て、2017年独立。現在まで5000食以上のチャーハンを食べ、テレビ朝日「マツコ&有吉 かりそめ天国」の「ほんとうにうまい王道チャーハンガチガチランキング」にチャーハン有識者の一人として出演。著書に『うちで作るチャーハンがウマい!』(池田書店)
取材・文:石田かおる
記者。2022年3月、週刊誌AERAを卒業しフリー。2018年、「きょうの料理」60年間のチャーハンの作り方の変遷を分析した記事執筆をきっかけに、チャーハンの摩訶不思議な世界にとらわれ、現在、チャーハンの歴史をリサーチ中。
題字・イラスト:植田まほ子