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手は、そのひとの人生を物語る――「マイナーノートで」#28〔ハンド・モデル〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


ハンド・モデル

 電車に隣り合わせた若い女性がスマホをいじっている。その手を見て目が釘付けになった。なめらかな大理石のような肌、シミ一つない白さ、すっと伸びた細い指に手入れされた卵形のネイル。水仕事や土いじりなど、したこともないような繊細さ。日本語に「箸より重いものを持ったことがない」という表現があるが、「パソコンのキーボードのほかはさわったことがない」と言いたいほどのやわらかさ。完璧な手だった。

 ハンド・モデルというモデル業があることを知っていた。料理番組や食器用洗剤の広告などに、手だけ登場するモデルさんを言う。手に限らず、うなじや脚など身体のパーツごとに専門のモデルさんが存在する。そのためにハンド・モデルさんは手の手入れに余念がなく、ハンドクリームをすりこむのはもとより、寝るときには手袋をして寝るのだという。

 ひるがえってわたしの手は……あるときからシミが出てきて、それがみるみるうちに拡がった。老人斑と呼ぶのだと知った。そういえば祖母の手に似てきた。そう、自分が祖母の年齢になったのだ。

 若い頃はそうではなかった。皮下脂肪でくるまれたふんわりぷりぷりした指ではなかったが、代わりに贅肉のない、静脈の浮いた自分の手がきらいではなかった。たばこを日に一箱吸うヘビースモーカーだった頃、タバコを持つのが似合う手だ、と言われた。その手から脂気が脱け、ちりめんジワが寄り、老人斑が増えてきた。どう見ても老女の手になった。おおぶりの文字盤の見やすいメンズ・サイズの腕時計にゆるみが出てきて、時計の重さがこたえるようになった。もっと軽いのにしなくっちゃ。

 考えてみれば身体のパーツのうち、いちばん目に入るのが自分の手だろう。働けど働けどわが暮らし楽にならざり……「じっと手を見る」のはたなごころ、こちらはめったにしみじみ見ることはないが、手指と手の甲はどんな作業をしていてもいやおうなく目に入る。

 手は、そのひとの人生を物語る。サイン会のときに握手をすると、すぐにわかる。かさかさに乾いた掌……おうちで水仕事をたくさんしてきた手だ。なめらかでやわらかく、ジェルネイルが盛られた掌……家族の世話をしていないのだろうか。節くれ立ってたこのできた掌……何か手仕事を続けてきたのだろう。

 高齢者のお宅を訪問すると、そのひとの手をとる。かさかさに乾いた荒れた手。節くれ立った短い指に、爪の食い込んだ手。手をとってなでる。
「よく働いてきた手ですねえ」というと
「そうやろ。よう働いた。苦労してきたんや」と返ってくる。
「牛も馬も飼うとった。朝5時から起きて休むひまもなかった」
「牛も馬も休んでくれませんものねえ……」

 外で活動する夫に代わって絵筆一本で家計を支え、子どもと夫の母、それに病気がちの実母の世話をし、55歳で亡くなった童画家、いわさきちひろが死の2年前に書いた「大人になること」という文章がある。

「人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。」
「思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。(中略)もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。」

 この文章の一部を、信州安曇野にあるちひろ美術館で見つけて感動し、全文を読みたくなってちひろ美術館に問いあわせたら、ちひろ美術館・東京副館長(当時)だった松本由理子さんから直接お返事をいただいた。由理子さんはちひろのひとり息子、猛さんの元妻である。それ以来、松本一家のユニークな娘たち(ちひろの孫娘にあたる)を含めて、家族ぐるみのおつきあいになった。孫娘のひとり、春野さんは絵描きになった。ちひろとは違う画風で、個性的な童画を描く。

 ちひろの文章はこう続く。
「いま私は(中略)私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。」

 娘たちは、どうすれば愛されるかばかりを気にする。だが「愛される」のはあくまで受動だ。それに対して「自分から愛していける」のは能動である。愛されるより愛するほうが、ずっと豊かな経験だ。受け取るより、与える方が、ずっと豊かな経験であるように。

「闘う女家長」だったちひろが、夫の共産党代議士、松本善明さんにこぼしたひと言がある。弁護士の松本さんは、戦後最大の冤罪事件、松川事件の弁護を引きうけたりして、外で忙しく活動していた。朝早く出て夜遅くまで帰って来ない夫に、ある日、ちひろはこうこぼした。
「あなたが悪い」
「どうして? 家にいないボクのどこが悪い」と返した夫に、あろうことか、ちひろは、笑って終わった。
 ほんとはあなたが家にいないことが悪い、と言いたいのに、夫には伝わらない。そういう時代だった。笑ってすませることではないが、そこを笑って収めたのが彼女の夫に対する愛、だったのだろう。

 この春、仙台文学館がちひろ美術館の収蔵作品の複製を借り出して展示をした際、ギャラリートークに呼ばれた。ちひろ美術館は収蔵するちひろ作品9600点をすべてデジタル化するというビッグプロジェクトに乗り出している。そのデジタルデータから復元した作品をピエゾグラフという。顔を寄せて細部を確かめたが、複製とは思えない緻密な再現である。9600点もの作品を収蔵しているのは、ちひろが挿絵画家として出版社や編集者と闘って原画を取り戻し、著作権を主張したからである。当時の挿絵はたんなる添えもの、処分されたり紛失したり、消耗品扱いだった。ゆるふわの童画を描くと思われているちひろは、実は「闘う画家」だった。

 わたしの講演のクライマックスはもちろん、ちひろ53歳のときのこの文章を朗読することだった。聴衆の大半は50代以上。もう若くない。ほとんどが女性だ。この文章を持って帰ってもらいたい、それだけでもわたしの講演に来ていただいた価値はある、そう思った。だから朗読したあとに、もういちど、聴衆に向かって呼びかけた。

「ご唱和くださいね……なんで昔にもどれましょう」

 声が拡がった。笑いが起きた。
 そう、苦労して、くろうして、やっとおとなになってきたのです、なんで昔にもどれましょう。

(了)

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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