誰もが無自覚に「経営」をやっている――高橋勅徳×稲岡大志×朱喜哲 イベントレポート②
マネジメントや経営学の理論が至るところで実装された社会で、私たちはどのように生きていけばいいのか? 今年刊行された2冊の本を手掛かりに、気鋭の経営学者と哲学者が語り合いました。満員となったイベントの様子を3回に分けてお届けするシリーズ第2段です(第1弾の記事はこちら「経営学の見方を変えるパンクな2冊の邂逅――高橋勅徳×稲岡大志×朱喜哲 イベントレポート①」)。
稲岡大志 高橋先生の『アナーキー経営学』(NHK出版新書)は3部構成の本ですが、各部に4つの章があって、うち3つが解説、最後の1章でまとめという綺麗な構成になっていますね。素人なりに考えてみると、第1部は事業デザインの話、第2部は組織デザインの話、第3部はちょっと説明が難しいけれど、制度や法規制があるからアンダーグラウンドな商売ができるという、(私の勝手な言い方ですが)反制度デザインの話をしています。
稲岡 こうしてみると、経営学を構成する個別の分野と、章立てが綺麗に対応している印象を受けます(第1部が経営戦略論、第2部が経営組織論、第3部が制度派組織論)。ですので、まずは『アナーキー経営学』を読んで、とくに興味を持った分野に関して、より詳しい教科書なり専門書なりを読むといいんじゃないかなと思います。
高橋勅徳 稲岡先生が訳された『マネジメント神話』(明石書店)は、すごく悪態の多い本ですよね。哲学者の立場から、「科学的な手続きを踏んでいない」「実験や調査の手法に問題がある」「誇大妄想的な思想を粉飾している」「教育現場で自身の理論を教えて、教祖になって稼いでいる」といった批判が、とっても嫌みったらしく書かれている(笑)。
第1章は科学的管理法の話、第2章は人間関係論の話、第3章は戦略の話、第4章は優良企業の話と分けられるように思います。それぞれ、フレデリック・テイラー、エルトン・メイヨー、イゴール・アンゾフ、トム・ピーターズが大きく取り上げられていますが、実はその内容が、経営学の教科書を読んでも出てこない、彼らが「教祖」として何を目指して、どのようなことを「科学」として実践してきたのかが詳細に書かれています。経営学を勉強したつもりの人でも、驚くような内容になっていると思いました。
稲岡 ご指摘のとおりで、『マネジメント神話』にやや読みづらい点があるとすれば、皮肉や嫌味などレトリックを使った悪口がたくさん出てくるので、著者であるマシュー・スチュワートの本心が見えづらいことです。でも、「哲学者だったらマネジメント理論にこういう批判をするよな」というポイントはけっこう拾っている。
その批判はマシュー・スチュワート自身に返ってくるわけですが、哲学史とマネジメントに共通しているのは、両方とも問題解決を昔から放棄していて、「問題がある」と指摘するだけ。やっぱりマネジメント理論への批判が哲学にも返ってくるというメタ構造的なところが顔を出しているとは思いますね。
高橋 でも、本当に面白いので、ビジネススクールに通うような方、ビジネス書を読み漁っているような方々にもお勧めします。
稲岡 経営学といえば、岩尾俊兵『世界は経営でできている』(講談社現代新書)という本が売れに売れていますね。先日書店に行ったら「1人1冊まで」なんてPOPが付いていました。ポケモンカードかよって。
高橋 2冊以上買う人がいるんですね。
稲岡 『アナーキー経営学』でも論じられていた転売が目的でしょうか。それにしても本屋さんで「1人1冊まで」というのはなかなかないですよね。それぐらい売れているんだと驚きました。
『世界は経営でできている』は読まれた方も多いでしょうが、勉強も経営、恋愛も経営、つまるところ人生は経営だという趣旨の本です。言われてみれば確かにそうだなと思うんですが、ちょっと節操がないようにも感じる。その点、『アナーキー経営学』は似たような部分はあれど、けっこう禁欲的な本ですよね。あくまでも、学者が学問の導きのために書いた本という印象を強く受けました。それがこの本の魅力であり、『世界は経営でできている』に負けるポイントである気がしますが(笑)。
そこでちょっとお尋ねしたいのですが、高橋先生はどういう意識で『アナーキー経営学』を書かれたのでしょうか? つまり、これは入門書なのか、それとも通俗的なポピュラー経営学の本なのか、あるいは――そういう用語があるかどうか知りませんが――応用経営学の本なのか。
高橋 意図して禁欲的に書いた部分はあります。これは『マネジメント神話』を読んで感じたことでもあるのですが、社会科学系の先生が「教祖」になったら終わりだなと思ったんですよね。自分の発言力や影響力に酔って、肝心の研究できなくなったら学者として終わりでしょう。
一方で、経営学は社会に大きな影響を与えるものになっているのも事実です。「適切なキャリアマネジメント」とか「モチベーションアップの方法」とかを論じているビジネス書が、そのへんにいくらでも転がっていますよね。しかし僕からすると、そういう風に経営学が「よきこと」として広めた概念が広まるに従い、読み手は「つらい」って感じるようになったのではないかと思ってしまいます。要するに、経営学という学問が僕たちを苦しめる社会を作ってしまっているかもしれないという反省がある。
僕自身、経営学化された社会で圧殺されるような思いをしました。婚活がまさにそうですからね。自分が単なる商品の1つとなって、値付けされ、価値判断される。けれど、経営学化された社会では、時にはそういうものとうまくつき合わないと生きていけないんです。つらいことですが。
ですから『アナーキー経営学』は、読者に少しは生きやすくなってほしいと思って書きました。「経営」というと大袈裟だけど、これは社会的な生き物である人間が社会の中で無自覚にやってきた営みなんだ、あなたもみんなも経営をやっている、だから怖くないよって(笑)。その際に、「教養」だの「啓蒙」だのと打ち出してしまうと、なんかシラけてしまう気がしたので、この本では「笑い」から入ろうと思いました。
なので、先ほどの稲岡先生の質問に答えると、私は「経営学漫談」としてこの本を書いたつもりです。これを読んで少しでも楽になってくれる人がいるといいな、と。
朱喜哲 たぶん稲岡さんがこの質問をした背景には、哲学の場合には、入門書、ポピュラー哲学、応用哲学と区切ることができるという前提があったように思います。稲岡さん、いまの回答を聞いていかがでしょうか。
稲岡 すごく納得しました。「教祖」にならないよう一線を引くという自覚があると聞けて良かったです。
ただ、「教養」や「啓蒙」ではなく「笑い」だという切り口は、わりとベタと言えばベタですよね。哲学でもそういう本はあります。たとえば漫画を使ったりとか、無理に対話したりするのですが、だいたいスベっている。これは私が専門家だからそう見えるかというと、そういうわけでもない気がしています。
で、ここから褒めに入るんですけど、やっぱり『アナーキー経営学』は面白いんですよね。そのさじ加減は、やっぱり高橋先生のある種の特殊能力なのかなという感じがします。
高橋 ありがとうございます(笑)。
「経営学が「生きづらさ」を生んでいる?――高橋勅徳×稲岡大志×朱喜哲 イベントレポート③」へ続く
高橋勅徳(たかはし・みさのり)
1974年生まれ。東京都立大学大学院経営学研究科准教授。専攻は企業家研究、ソーシャル・イノベーション論。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(経営学)。沖縄大学法経学部専任講師、滋賀大学経済学部准教授、首都大学東京大学院社会科学研究科准教授を経て現職。著書に『制度的企業家』(共著、ナカニシヤ出版)、『ソーシャル・イノベーションを理論化する』(共著、文眞堂)、『婚活戦略』(中央経済社)、『婚活との付き合いかた』(共著、中央経済社)、『アナーキー経営学』(NHK出版新書)など。
稲岡大志(いなおか・ひろゆき)
大阪経済大学経営学部准教授。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。博士(学術)。専門はヨーロッパ初期近代の哲学、数学の哲学、アニメーションの哲学など。主な業績に、『ライプニッツの数理哲学――空間・幾何学・実体をめぐって』(単著、昭和堂)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』(共編著、総合法令出版)、『3STEP 応用哲学』(分担執筆、昭和堂)など。
朱喜哲(ちゅ・ひちょる)
1985年大阪生まれ。哲学者、大阪大学招へい准教授。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。また研究活動と並行して、企業においてさまざまな行動データを活用したビジネス開発に従事し、ビジネスと哲学・倫理学・社会科学分野の架橋や共同研究の推進にも携わっている。著書に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(共編著、さくら舎)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』(共著、総合法令出版)、『在野研究ビギナーズ』(共著、明石書店)、『〈公正フェアネス〉を乗りこなす』(太郎次郎社エディタス)、『バザールとクラブ』『人類の会話のための哲学』(よはく舎)、『NHK100分de名著 ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」』(NHK出版)、共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(ロバート・ブランダム著、勁草書房)など。