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「日記の本番」3月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。くどうさんの3月の「日記の練習」をもとにしたエッセイ、「日記の本番」です。


土曜日、鉛筆を買った。歌集の評を本当に久々に書くことになり、そうなるとどうしても鉛筆がないといけなかった。長いこと我が家には「取り返しのつかないペン」しかなかったが、ここにきてあっさりと鉛筆が加わった。作業をするためのフリースペースへ向かう途中に鉛筆を買うべきだと思ったものだから、ローソンに寄り、その中の無印コーナーで買った。鉛筆は2Bと4Bを選べて、それぞれ二本セットだった。随分濃いものばかりだな、と思いながら2Bを手に取り、レジに並ぶ直前に鉛筆削りがないとすぐに使うことが出来ないと気が付いて慌てて戻り、鉛筆削りと、ついでにローソン限定の口紅も手に取って会計をしてしまう。恥ずかしさをかき消すように小さい口紅を買ってしまい余計に恥ずかしい。
フリースペースに着くと早速梱包を解いて鉛筆削りに鉛筆を入れた。回すと、しょわ、と言う。しょわしょわしょわ。回すほど削れる鉛筆。鉛筆削りは透明なプラスチックで出来ているので、びろーんと広がったまま伸びてゆく削りかすがよく見える。しょわしょわしょわ。回しながら、わたしはいま何年ぶりに鉛筆を削っているだろうと思う。昔、わたしは鉛筆のおしりのところをがしがし噛む癖があって、でもあまりそのことはばれてはいけないと思っていたから、噛む鉛筆は一本に決めていた。鉛筆を犬歯で噛んだ時の、カリ、が、サク、になる瞬間、歯の先が塗装から木の層に入ったあの瞬間のことを、思い返しているうちに手が止まった。取り出してみるとちょうど見事に鉛筆の芯が尖っていた。こんなに久々にやっても尖った頃合いはわかるものだ。
久々に使う鉛筆はとても軽く、とても木の匂いがした。(あまりにもえんぴつえんぴつしい)と思い、(そんな言葉はないけれど)と思う。ソファ席に移動して歌集を開き、良いと思う歌にひとつひとつ丸を付けて、またページを捲る。大きな窓から陽が射しこんできて暖かい。春だ。「春だ」「夏だ」「秋だ」「冬だ」とわたしはどの季節の変わり目だってうるさくはしゃいでしまうが、いちばんは「春だ」とたくさん言っている気がする。春だ。眠いな。
ソファが沈んだ気がして目が覚めて、寝ていたことに気が付く。目を開くと友人がソファの反対側にぐったりと横たわっていてぎょっとした。「二日酔いが酷くてここで寝ようとしたらあなたがいたもんで」と、けだるそうにOS-1を飲んでいる。自宅で仕事をするようになってから鉢合わせることも減っていた。相当辛そうな顔だ。
「顔が見たことない色してますよ」
「白いでしょう」
「白っていうかもう、銀色です」
っははあ。友人は辛そうに笑って、「寝てたら邪魔ですか」と言うので「むしろ」と言いかけて「ぜんぜん平気です」と答えた。むしろ、顔が銀色の人間が辛そうに寝ている横で歌集を読む仕事をするというのは妙に富豪のようでいいかんじだと思った。

小一時間、友人は眠り、わたしは歌集を黙々と読んだ。丸を付けながら(おいおい、こんなに丸を付けていちゃきりがないだろう)とも思ったが、構わず丸を付けまくった。これはもう取り返しのつくペンなのだ。わたしはいくらでも丸を付けていい。
窓からは盛岡城跡が見えて、桜まつりのぼんぼりが立っていた。桜なんて岩手じゃまだまだ咲きそうにないのに、と、思っているうちに咲くのが桜か。わたしは天邪鬼だから、桜ばかりが儚いものに喩えられるのがいつもどことなく悔しい。たしかに桜は一年に一度だけれど、紫陽花だって立葵だって露草だって、わたしたちの世界に咲く花は全部一年に一度なのに、桜ばっかりずるいと思う。吹奏楽部が応援しに行けるのは野球部だけでそれがいやだったから、高校では吹奏楽をやめて文芸部に入った。それでいま、その頃と全く同じ気持ちのまま書き続けて、日記だけは途切れながらこうして続いている。桜ばっかりずるい。わたしはそういう気持ちでしか日記を書いたことがないような気がしてくる。


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タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。4月11日に最新エッセイ『コーヒーにミルクを入れるような愛』が発売

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