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「山ヲ歩キ、湯ニ到ル――#01 長湯温泉を拠点に国東半島を巡る」大内征

登山と温泉はセットである――。
低山里山に歴史文化や神話民話を追い求め、日本各地を旅する低山トラベラー・大内征が綴る、山のこと、旅のこと、神の湯のこと。
第一回の山旅は、国東半島と長湯温泉。山好きなら一度は訪れたい「BBC長湯」を拠点に、国東半島の低山を巡る山旅です。

 源泉掛け流し。
 この言葉を知ったのは、東京に出て来てからのことだ。温泉に詳しい人はみな、これを「源掛け」と端折る。洒落た響きである。

 学生時代のこと、はて、それはなんのことですかと目をパチクリさせるぼくを、とある湯処の脱衣所で服を脱ぎ捨てる“東京人”の友人が驚いた表情で見返したことがあった。「おまえ……、それ本気で言ってんの?」と、呆れたような声音。もう20年以上も前のことだけれど、いまでも耳に残っている。

大内連載①イラストマップ

 長い間、ぼくは「温泉」というものをよくわかっていなかったようだ。きっと、あまりに身近なものだったからだろう。故郷の宮城県には、鳴子温泉郷の鬼首、中山平、川渡、それと蔵王に遠刈田に作並に秋保にと、その名を知られた温泉郷がひしめきあっている。まだ登山などしていなかった若い時分には、ドライブだ釣りだ紅葉狩りだといって、その帰りに温泉にも頻繁に立ち寄ったものだが、しかし、それが源泉だとか掛け流しだとか、加水だとか加温だとか、はたまた循環だとか消毒だとか……実のところ、そんなことはちっともこだわってはいなかった。

 宮城の温泉は、どこも“質”が良いのは当たり前のこと。だからわざわざ、匂い、肌触り、味、色、温度、効能といった要素的なことをひとつひとつ抽出して論じたり評したりするほど偏愛ではなく、ましてや温泉の成り立ちや歴史文化としての存在価値などにも興味はなく……。ただただ気持ちの良いお湯だなぁと、ぼくにとって“いつもの湯”である以上でも以下でもなかったわけだ。

 そんな当時のぼくに“東京人”の友人はこう言う。

「おまえにとっては当たり前すぎるのかもしれないけどさ、おれからすると身近にあるものじゃないからね、質の良い温泉ってのは。ましてや“源掛け”なんて最高峰じゃん。わかる? この名湯を渇望する気持ち!」

 あの時は、やや硫黄の匂いがする白濁した湯に浸かりながら、ふーんそんなものかと鈍く頷いただけだった。あれからずいぶん月日が流れ、山旅の文筆を生業にする今、ちょっとはその気持ちがわかるようになっている。いい山の麓には、決まっていい温泉があるのだ。そして、その多くが“源掛け”であり、山道を歩いて消耗した身体に染みこんでくるような気持ちよさを、その湯に感じる。常に湧き出す“大地の天然養分”に浴する悦び、これぞ“源泉掛け流し”の魅力のひとつだろう。

図1

【写真】不動山の麓にある旧千燈寺跡の仁王像。国東半島特有の仏教文化「六郷満山」を開いた仁聞菩薩所縁の寺であり、入寂の地でもある

長湯温泉を拠点に、国東半島の低山を巡る

 さて、山旅のことである。春が訪れる頃、“温泉県”として知られる大分県の国東半島に、恒例の低山取材へ通うようになって久しい。かの地特有の岩山の自然美と、仏教文化「六郷満山」がもたらした芸術美の交わりが魅力的で、何度歩いても新しい発見と感動があり、ことのほか楽しいのだ。現地には「国東半島峯道ロングトレイル」として、魅惑の低山をあちこちに辿るコースが編まれている。

 その拠点として心に決めているのが、竹田市の長湯温泉だ。九州の地理に明るい人なら、疑問を持つに違いない。片や瀬戸内海に面した国東、片や熊本との県境が近い久住山麓。拠点とするにはずいぶん離れているのだから。別府も近いことだし、国東に泊まればいいのにと言われそうだが、しかし、それにはちょっとした理由がある。

 長湯温泉は日本屈指、世界でも指折りの炭酸泉で知られる。一般に、炭酸泉(二酸化炭素泉)は熱い湯には溶けにくい性質と言われているから、湯の温度がぬるいほど良質ということになるだろうか。そんな中で「ラムネ温泉」は最高の“ぬるさ”の源泉をもつ、掛け流しの日帰り入浴施設。一度浸かると、これがまたクセになる気持ちのよさなのだ。

 3月の九州は春の訪れを木花に視認できるとはいえ、夜、それも山間の地域はまだまだ寒い。ラムネ温泉の外湯が“ぬるい”源泉で32度ほどだから、キンキンと冷えた表に飛び出て外湯に浸かるには、いささかの勇気がいる。しかし一度入ってしまうとあら不思議、炭酸ガスの気泡が全身を包み込み、その空気の層に守られている感があるのだ。冬山でダウンジャケットの温かさに感動するのと似ている。

 夜になると、湯舟の底から照らされるライトによって、自分の身体がまるでウルトラマンのように光り輝くほどの気泡に覆われる。童心に返ったようにはしゃいでしまうこと間違いなし、だ。ちなみに、内湯も炭酸泉で、その湯温は42度ほど。これだけの高温に濃い炭酸ガスが溶け込んでいるのは珍しいという。外湯からあがったら内湯に温まり、それを仕上げ湯とするのもいいだろう。

 ところで、長湯を拠点に取材した低山は数あれど、国東なら中山仙境や不動山、宇佐や山香あたりなら米神山や田原山あたりが、特に楽しくてお気に入り。いずれの山も、歴史的にも文化的にも地質的にも面白い。中でも中山仙境は、何度登っても前回の感動を超えるほど、絶景とアスレチックなトレイルがぼくを楽しませてくれる。

 登山というと“早出早着”が基本で、明るいうちに行動を終えて安全なところに身を置くことが常識だしマナーだったりもする。しかしぼくの好みは夕空から夜空へと移ろうマジックアワーの時間帯。だから、山の上で夕陽を見送ることもしばしばで、ゆえにザックにはそのための道具を常に備えている。

 昨秋も、この鋭い岩の稜線を歩いてきた。いつもと違うことといえば、山仲間が一緒だったことだろうか。普段は孤独な取材山行ばかりだから、感動の夕陽も楽しい岩尾根も、ぜんぶ独り占めとなる。しかし、その感動を声に出し合ったり、励まし合ったり、ナイフリッジのような岩尾根から手を振り合ったりしたあの日の光景は、忘れ難いほど美しく、この原稿を書きながらまた思い出しているところだ。

図2

【写真】筆者お気に入りの中山仙境の岩稜。最高地点317mと低山ながら、痩せた岩尾根と急勾配のクサリ場の混合道は危険が多い。登山経験がないと進退窮まるだろう

 国東から戻ると、長湯の“源掛け”に身心を休める。いつもお世話になる「BBC長湯」は、やや山側に入ったあたりに静かに佇んでいる宿である。庵のような佇まいの小さな建物が点在していて、部屋の中には小さいながら書斎が設えられており、作家が長期滞在しながら湯治と作品作りに集中できる環境に、何度訪れても感動を失うことはない。素晴らしいのは、同じ敷地に併設されている「林の中の小さな図書館」の存在。ここには、旅作家として名が知られた野口冬人氏による山岳書のコレクションが1万数千冊も蔵書されている。

 実は数年前、この図書館が目当てで長湯を訪れた。以来、この湯のいい土地にすっかり虜となってしまったわけだ。山好きなら、一度は訪れる価値があると、ぼくは思っている。百名山・久住山もほど近い。山歩きとセットで滞在すれば、満足度はとても高いだろう。

 そういえば、ここBBC長湯に泊まると、先のラムネ温泉を1回100円で利用することができるのだった。そういうところも、ぼくの気に入っている。

文と写真:大内 征
イラスト:吉村時子

連載第2回へ続く

プロフィール

大内 征(おおうち・せい)
低山トラベラー、山旅文筆家。土地の歴史や物語を辿って各地の低山里山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの面白さを探究。「登山は知的な大冒険!」を合言葉に、ピークハントだけではない山を旅する喜びと、山歩き街歩きの魅力について、文筆と写真と小話とで伝えている。
NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」にレギュラー出演中。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、『低山手帖』(日東書院本社)、共著に『地元を再発見する!手書き地図のつくり方』(学芸出版社)などがある。NPO法人日本トレッキング協会理事。1972年生まれ、宮城県出身。

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コメント (1)
昔住んだまちをこんな形で再び目にするとは。よく遊びに登った、天念寺のたいこ橋(無明の橋)を思い出します。山と温泉はセットですね。
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