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ルーブルの近代――「『NHK8Kルーブル美術館』の愉しみ方」第3回

『NHK8Kルーブル美術館~美の殿堂の500年~』は、同名の8K番組をもとに、名作を鑑賞しながらルーブルのコレクション史をひもといていく美術書です。編著者は、小池寿子さん(國學院大學教授)と三浦篤さん(東京大学大学院教授)とNHK「ルーブル美術館」制作班。このみなさんが本の完成後に久しぶりに集まりました。8K番組の学術監修を務めた小池さんと三浦さんは同世代の西洋美術史家で、本のなかでは丁々発止の対談を繰り広げていますが、久々の邂逅でも2人は縦横無尽に語り合いました(そして番組制作班も参加)。本づくりの舞台裏もふりかえったその模様を連載でご紹介する第3回は、ルーブルの彫刻をめぐる話題からスタートです。
※第1回から読む方はこちらです。

彫刻に注目! その1

三浦 第3章「革命とナポレオンのルーブル」で紹介した古代エジプトの〈書記座像〉は、8Kで再発見できた作品の1つです。
小池 そうですね。瞳に水晶が入っていてそれがとてもリアル。この〈書記座像〉は歴史の教科書にも出ているけれども、あまりピンときていなかった。ところが8Kの大写しの映像で見た瞳の生き生きした輝きは、本当にみごと。ああなるほど名作と言われる理由がよくわかりました。

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〈書記座像〉

三浦 古代ギリシャ彫刻の〈闘う戦士〉も、いろいろな角度から撮影され、違った印象がもたらされて、なかなか面白かったですね。この〈闘う戦士〉のポーズは、実は後世に結構影響力があったのですよね。
小池 そうなんです。第2章で紹介したルーベンスの〈マリー・ド・メディシスの生涯〉の連作のなかで何回か使われているんです。でもルーベンスがあれを描いたときは、この〈闘う戦士〉はイタリアのボルゲーゼ家にあったはずですから、ルーベンスはきっとボルゲーゼで見ているんですよね。そういったところも面白かったです。
三浦 こういう見応えのある彫刻がルーブルにはたくさん展示されているのに、訪れるとつい何となく通り過ぎちゃう。〈ミロのビーナス〉と〈サモトラケのニケ〉くらいをチェックしたら、あとは素通りみたいな感じだと思うんですが、ほかの彫刻もちゃんと見てほしいなと思います。
小池 そうですよね。でも現地では、上から見ることはできませんね。
三浦 それは絶対無理。
小池 8Kがとらえた〈闘う戦士〉の俯瞰の映像は、貴重ですよね。

市民の時代、自由の女神

三浦 第4章「永遠の美を求めて」は、まとめるのが一番大変でした。
小池 そう思います。
三浦 近代と言えば、普通はオルセー美術館を思い浮かべます。特に19世紀の半ば以降はオルセーのイメージが強いけれども、ルーブルにも実はこれだけの近代の名品があるんだということを知ってほしかったし、また近代だからこそルーブルに入ったもの、コレクションに加わった作品があるということも知ってほしいという気持ちで、私は第4章の総論『芸術の再発見とコレクションの変貌』を書いたんです。
小池 とても読み応えがありました。
三浦 「ラ・カーズ・コレクション」が一つの象徴だなと思います。ラ・カーズはお医者さんですが、ああいう人が当時の市民社会のコレクターを代表していると思うんです。自分でお金をためて、自分の美意識でコレクションをしていくと、こういう名品が集まるという典型的な例ですよね。彼は、ロココもレンブラントも、それからリベラも、全部傑作をそろえてルーブルに寄贈しているわけですから、それを個人でやったのはすごい。市民社会になってそういう流れができてきた。いろいろなコレクターやお金持ち、実業家が出てきて、あるいは「ルーブル友の会」ができたりして、重要な作品を手に入れてはルーブルに寄贈するという流れですね。普通の市民のなかで、それなりに裕福な人、購入できる人が作品を蒐集してルーブルを豊かにしていく、そういう傾向が19世紀からできていった。そのあたりのコレクション形成史をあらためて再認識したという感じがありました。
小池 そうですね。これまでは、あまりまとまったイメージがなかった時代でしたし、ルーブルがこのように集めようとしていたということを知らずにいましたので、とても参考になったというか、勉強になった章ですね、第4章は。
三浦 私も勉強せざるを得なかった(笑)。
小池 本当にいっぱい勉強しました(笑)。
三浦 そう言えば、第4章には小池さんのこだわりのドラクロワ〈7月28日――民衆を導く「自由」〉が登場しましたね。

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〈7月28日――民衆を導く「自由」〉(写真提供=ユニフォトプレス)

小池 そうそう。慈愛の擬人像のことをしつこく言っていましたね(笑)。
三浦 ものすごいこだわりを感じましたよ。
小池 ほんとうにこだわっているんです。マリアンヌ像(自由の女神)の系譜は、古代ローマの擬人像に遡ることができるんです!
三浦 小池さんらしいなと思いました。普通は19世紀の研究者は、そういうところにそこまでこだわらない。この絵はほかにもいろいろと見どころがありますから。それなのに、ああ、そこにくるのかと思いましたよ。
小池 今も授業で常々言っていますが、一度気になると徹底的に追及したくなる(笑)。その後、たとえば古代から中世のキリスト教美術などの図像を見るたびに、もうほとんど確信を持って、闘士のごときフランス女性像のルーツは古代ローマの擬人像から来ている、と断言できるようになりましたね。

南仏のピエタ

小池 アンゲラン・カルトンの〈ヴィルヌーブ・レ・ザヴィニヨンのピエタ〉を入れましょうと言ってくださったのは三浦さんでしたね。さまざまなコレクションのバリエーションがあるなかで、ふっと心安らぐのがこの〈ピエタ〉です。
三浦 そう。強く主張したと思います、これを入れたいって。やっぱり名作ですから。南仏のヴィルヌーブ・レ・ザヴィニヨンにある教会の礼拝堂に安置されていたこの〈ピエタ〉は、1905年に「ルーブル友の会」が購入して美術館に寄付した作品です。

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〈ヴィルヌーブ・レ・ザヴィニヨンのピエタ〉(写真提供=ユニフォトプレス)

――本のなかの対談から(抜粋)――
三浦 アンゲラン・カルトン(1415頃~1466頃)の作というのは確定しているんでしょうか。長らく作者不明でしたけど。
小池 はっきりとした証拠はないのですが、今はもうほぼ確定しています。
三浦 当時これだけのものを描ける画家は、ほかにいなかったということなのかな。胸の下から垂れている雫は、血の跡ですよね。
小池 いえ、体液ですね。
三浦 ということは、磔刑のときに刺されて血がしたたって腰の方まで落ちていき、今はもう横になっているから、ここから体液が漏れているってことでしょうか。まるでその場で見てきたかのように細かいですね。番組ナレーションは「したたる血は、まるで涙のように透き通っています」と説明していました。まあ、血の要素がまったくないわけではないと思うのですが。
小池 でも、血だったらやっぱり赤い。聖書には、ちゃんと「血だけじゃなくて体液がしたたっている」と書いてあるんですよ。『ヨハネ福音書』です。
三浦 では、それに忠実だということですね。リアリティの問題ではなくて、聖書に忠実。
小池 でも、涙として描いている可能性もあるかな。この時代、ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー周辺)ではけっこう涙を描くようになっていました。アンゲラン・カルトンは北フランスのピカデリー地方の出身で、おそらく初期ネーデルラント美術の影響を受けていますので、フランス南東部のプロヴァンスに移住後も、その伝統を受け継いでいたのかもしれませんね。
三浦 ネーデルラントとプロヴァンスとでは何となく様式が違うような気もするけれど……。
小池 プロヴァンス派と他の地域の画家たちの交流については、近年研究が進んでいます。
三浦 8Kでよく見ると、この雫はちょっとピンクっぽい。少し血が混じっていて、途中から白くなる。
小池 真珠のように白くなります。
三浦 これが涙だとすると、キリストの涙でしょうか。
小池 上に描かれたマリアの涙かもしれません。
三浦 たしかに、マリアの涙という意味もあるかもしれませんね。傷口から流れているように見えて、マリアの涙であることを象徴的に描いている。
小池 絵を見ると、マリアは本当に嘆いていますものね。
三浦 タイトルの「ピエタ」は、キリストの遺体を抱いて嘆き悲しむ聖母マリアを表す絵や彫刻のことで、普通ピエタで涙といったら聖母マリアの涙。この絵の場合は、キリストの血と聖母マリアの涙が混じっていると……。

彫刻に注目! その2

三浦 第4章では彫刻の〈アモルの接吻で蘇るプシュケ〉が紹介されますが、これはわれわれではなくて、フランス側がぜひ入れてほしいといってきた作品でした。
小池 そうでしたね。
三浦 最初はすごく疑問だったんですけどね。磨かれたピカピカの大理石で……。でもいろいろな角度から撮影された8Kの映像は面白い試みでした。それに、これまでは「ああ、カノーヴァのこれね」なんて思っていたのが、8Kでじっくり見ると、なるほどといえる技術の高さがある。

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〈アモルの接吻で蘇るプシュケ〉(写真提供=ユニフォトプレス)

小池 この本には、ミケランジェロの〈抵抗する奴隷/瀕死の奴隷〉からはじまって、大理石の彫刻がところどころで紹介されていますが、時代が下るごとにつるんつるんになっていくのが、よくわかりますよね。
三浦 ミケランジェロの〈奴隷〉のあとには、ピュジェの〈クロトナのミロ〉があって、そしてカノーヴァに行くと、もうつるつるになっている。
小池 ちょっとつるつる過ぎる。けれども今の学生さんは、授業で番組の資料映像を紹介すると、まだ対面授業が普通にできていた頃のことですけど、みんなこのカノーヴァの〈アモルの接吻で蘇るプシュケ〉に一目ぼれ状態でしたね。
三浦 へぇ、そうなんですね。
小池 そうなんです。きれいー、って。
三浦 なるほど。でも、この4章には〈サモトラケのニケ〉も入っていますが、紀元前の〈サモトラケのニケ〉の大理石はちょっとざらついていて、ごつごつしていて、あの感じがすごくいいじゃないですか。
小池 私もそうなんですけどね。
三浦 粗い感じがいい。いや、これがやっぱりギリシャ彫刻だし古典なんだなと思う。あとの時代は、それを受け継ぎつつ、こういう形で〈アモルとプシュケ〉に行き着くことになる。古典主義がこんなふうに丸っこくなっていくというか、あの荒々しい部分が緩和化され、理想化されていく。古典主義の運命というか……。
小池 そうですね。やはり歴史の流れを感じてしまいますよね。
三浦 古代から19世紀までが「まとめて在る」ことの利点は感じますよね。いろいろな時代を行きつ戻りつしながら見ることができる。
小池 時空間を旅することができる貴重な場所ですよね、ルーブルは。
三浦 本当にそう思います。
小池 最後に木彫が出てきますね。
三浦 木彫の〈聖マグダラのマリア〉は、番組制作班のこだわりでしたね。
制作班 そうなんです。すてきな、好きな作品です。この作品には、ナチス・ドイツに一度奪われて、のちにルーブルに戻ってきたという流転の運命もありましたから、現代にまでつなげたいという思いで選びました。

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〈聖マグダラのマリア〉(写真提供=ユニフォトプレス)

三浦 こうやってたどってくると、今までちゃんと見ているようで実は見ていなかった。われわれのような美術史家でも、ルーブルでじっくり見ていたのかと言われれば、たまたまそのときに興味があったものは見たかもしれないけれども、そうではないものは、どんな名作でもきちんと見ていたとは言えなかった。そのことがよくわかりましたね。
小池 そうですね。この〈聖マグダラのマリア〉のある部屋って、ほとんど人がいないですものね、ふだんは。
三浦 私はこの部屋を1度通り過ぎたことがあったかどうか……。他がわりによく知られた作品が多い中では、こんな作品が最後にあるのもいいことかなと思いますね。
小池 落としどころはなかなかいい感じになったと思いますよ。

*第4回(7月2日公開予定)へ続く

■番組のお知らせ
ルーブル美術館 ~美の殿堂の500年~
第4集 永遠の美を求めて
BSプレミアムで再放送
2021年6月26日(土)午前1:17~2:16 ※6月25日(金)深夜 今夜です!

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