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【連載】南沢奈央「女優そっくり」第2回

芸能界随一の読書家・南沢奈央さんによる、「私小説風エッセイ」。かくも不思議な俳優業、どこまでが真実でどこからが虚構か。毎月1日更新予定。
第1回からお読みになる方はこちらから

マネージャーというより、監督である

 自分のマネージャーがいる。
 このことだけで芸能人になった気分になるのはなぜだろうか。
 「マネージャー」というと、部活動におけるマネージャーしか知らなかった。こちらからは、不思議と甘酸っぱい香りが漂ってくるように感じられるのは、私だけではないはず。
 完全に勝手な私の想像を超えた妄想になってくるが、野球部やサッカー部のマネージャーは、部活動の青春の象徴だ。男子部員が汗水流して練習に励む。そして試合に臨む。そんな姿を女子マネージャーは近くでずっと見ていて、ときに飲み物を渡したり、ときにスコアをつけたり、ときに応援の声をかけたり。実際はもっと仕事はあるかもしれないけれど、爽やかに側にいるイメージ。そんな存在がいるから、部員たちがさらに頑張れる。最終的にカップルが誕生したりなんかもするのかしら……。自分の部活にもいてくれたらよかったのにと思うくらい、マネージャーという存在に憧れたものだ。
 だが芸能事務所に入っていざ自分にマネージャーがつくと、うれしさよりも恥ずかしさが勝った。芸能人みたいだ、と思った。芸能事務所に入っただけで、何の芸もないただの女子高生だ。だからたぶん、マネージャーがいることではなく、自分が「芸能人みたい」なのが恥ずかしかったのだと思う。  実際、あの甘酸っぱさからはかけ離れていた。
 たしかに、部活動のマネージャーのようなことはしてくれた。水や食事を用意してくれたり、記録をつけたり、激励をしてくれたり。だがこれは全部、私が痩せるためだった。甘いものを飲まないように水を、そして仕事現場ではお弁当の代わりにサラダが用意された。日々体重を報告して、月一回体重の変動をグラフで共有し、反省点を洗い出す。スポーツジムに行くときは同行し 、ランニングマシンで汗だくになっている私の隣でゆるりとウォーキング。マネージャーというより、監督である。
 痩せる。自分の身体の管理をする。
 あぁ私は南沢奈央になるんだなと実感したのだった。南沢奈央として、表に立って人に見られる存在として、そしていつか、憧れられるような存在になるために、やらねばならないことだった。
 だが、やらねばならないことだと重々承知した上で、やりなさいと言われた途端、やる気が失せるのは人間のさが。勉強しようと思っていたのに、「勉強しなさい」と言われると一気に気持ちが冷めるのと同じである。ダイエットなんて特にそうだ。自分の身体のことである。誰かにやらされてやるものではない、自分がやりたいと思ってやらねば続かない。
 まだ幸運なことに運動することは好きだったから、スポーツジムは近所のジムにひとりで通うことを約束に、一緒に行くことはなくなった。そして高校で所属していたバドミントン部で、仲間たちと毎日汗を流した。自分の身体の管理をすることに、どうにか楽しさを見出していった。
 運動はしているから身体は太ることがなかった。でも顔のむくみやハリというのは、若さゆえになかなか落ちない。だから次は、表情筋を鍛える運動をしなさいと言われた。さらに、一度部活でラケットが顔に当たってしまい、少し傷になってしまったときには、怪我するならやらないでと言われ、自由に楽しめていたバドミントンすらも全力でできなくなった。
 他人からかけられる、さまざまな制限。苦痛でしかなくなっていった。
 でもそれは、周りから同情を買った。ドラマの撮影現場だと、出演者の待機場所はだいたい一緒。そこで昼食休憩のときにお弁当ではなく、マネージャーが用意したサラダを食べていると、大抵話しかけられた。食事制限してるの?偉いね、と。そう言われた私がちらりとマネージャーを見て、まぁそういう感じです、と濁すと、なるほど、とお弁当のおかずをこっそり分けてくれた人もいた。まるで万引き犯のように、ケータリングのお菓子をとってきてくれて私のバッグに忍ばせてくれる人もいた。
 大変だねと同情されることが増えると、やらされている食事制限も、変な快感を覚え始めた。この苦痛を分かってくれる人がいる、と思えたときには、苦痛自体はかなり薄れていて、私大変なんですと堂々と装えるようにもなっていた。
 だけどある日、同世代の女優さんから、あの事務所厳しいで有名だもんね、と言われたことがあった。同情というより、憐憫れんびんに似た響きだった。
 それまで私は、すべての事務所がそうなのだと思っていた。10代の女優はみんな、事務所に言われてダイエットをさせられているのだと。サラダしか食べられなくて、体重を管理され、ジムではマネージャーが見張っているのだと。でも、そうではなかった。
 マネージャーがいることがなんだかむずがゆい感じは、今でもある。けどあの頃は、それに加えて、マネージャーに管理されていることが恥ずかしかったのだ。
 子ども扱いしないでほしい。自分一人でできる。
 そう何度も思ったけど、その考えはすぐにしぼむ。右も左も分からない芸能界に入ったばかりの私は、マネージャーについていくしかなかった。従うしか、進む術がなかった。そもそも女優である自覚も芽生えていない私が、一人で痩せられると信じてもらえるわけもないし、仕事もできるはずもない。
 それに気づいた瞬間の虚しさ。それを埋めるように、現場からこっそり持って帰ってきた焼肉弁当を泣きながら深夜に貪った。
 今はもう、食事管理をする人はいない。食べることも、お酒を飲むことも好きだ。
 ふと、あの時マネージャーがサラダを用意してくれる日々を送っていなかったら、今頃どんなだらしない体型になっていただろうと、想像することがままある。そのたびに、誰かの目を意識しながら、ランニングマシンで思いっきり汗を流すのだ。それはそれは爽やかな気分なのである。部活を思い出してなのか、芸能人みたいだと思うからか。それは未だ分からない。


プロフィール
南沢奈央

俳優。1990年埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。2008年、連続ドラマ/映画『赤い糸』で主演。以降、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』など、現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。著書に『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)のほか、数々の書評を手がける。

タイトルデザイン:尾崎行欧デザイン事務所

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