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【新連載】南沢奈央「女優そっくり」第1回

芸能界随一の読書家・南沢奈央さんによる、「私小説風エッセイ」。かくも不思議な俳優業、どこまでが真実でどこからが虚構か。毎月1日更新予定。

そうして私は、スカウトウーマンに導かれるようにして女優になったのだ

 私が南沢奈央になる前の話だ。
 中学三年生のとき、私は芸能事務所にスカウトされた。と今は書けるが、当時の私はこれが「スカウト」なのかピンときていなかった。もっと言えば、本当に「芸能事務所」なのかと疑ってもいた。
 スカウトと言えば、渋谷や原宿で「芸能界に興味ないですか?」と声を掛けられるものだと思っていた。埼玉で生まれ育ち、東京に遊びに出たことは一度だけあるが、池袋止まり。やっぱり大宮が落ち着くねと友達と慰め合いながら、結局一番休日に集まる場所はわらびだった。蕨駅前のゲーセンでプリクラを撮って、カラオケマックに行く。フリータイムで入店し、5~6時間のあいだ、歌4:お喋り6の割合で過ごした思い出の場所だ。カフェやファミレスに場所を移動しないという潔さ。もとい、お金の無さ。
 そんな私がスカウトというものをされたのは、ある日の学校帰り。部活動を終えて帰ってきて、マンションに入ろうとしたときだ。
「すみません。よかったらこれ、読んでもらえませんか」
 一人の女性が封筒を差し出していた。何かの勧誘だ、と身構えたけど、街頭で配られているティッシュやチラシを必ず受け取ってしまうタイプだった私は、そのノリで封筒を受け取ってそのまま歩みを止めずにマンションに入ろうとした。
 だが、そうはいかなかった。「ここで読んでください」と言うのだ。警戒心は強まっていたけど、先に書いたように断れない性格だから「あ、わかりました」と即答して封筒を開いていた。
 芸能事務所の者です。わたしたちは原石を見つけました。あなたは女優になるべきです。
 そんなようなことが書き連ねてあったかと思う。もはや20年近く前のことだから、よく覚えていないけれど、要点をまとめると、「わたしたちはずっとあなたを見ていました。ぜひうちの事務所で女優になりませんか」ということであった。
 ずっとあなたを見ていました。ずっと、あなたを、見ていました……??
 鳥肌が立った。今日が初めて、ではない。そりゃそうだ。手紙を書いている時点で、どこかで私のことを認知していたということだ。じゃあ一体どこで……と思考を巡らせたとき、一気にすべての記憶が蘇った。
 ここ一か月くらいのあいだ、思えば不可解なことが多かったのだ。マンション前で駅までの道を訊かれる、ということが二度もあった。まず一度目は、マンションの前に停まっていた車の中から声を掛けられた。助手席の窓を開けて、歩道にいる私に、だ。今思えば怪しすぎるが、その当時は何の疑問も持たずに丁寧に説明した。何とも純粋な中学生だ。
 しかし、その車がそれから何日もマンションの前に停まっていることがにわかに噂となり、「不審な車がいるから気を付けて」という情報がマンションに流れた。それが何かしらの形で伝わったのか、数日で車は見かけなくなった。
 二度目は、雨の日だった。学校から帰ってきたタイミングで、制服を着た女子高生に、北浦和駅までの道を訊かれた。うちは駅から歩いて15分ほどはかかる場所だが、目の前の大通りをまっすぐ行けばたどり着く。シンプルな道筋。この辺りで迷うことなんてそうない。しかもすぐ近くにコンビニなどお店も多い。それなのに、学校帰りの中学生の私に訊いてきた。不審車の件もあったから多少警戒はしていたけれど、声を掛けてきたのは女子高生だ。その時は、あぁ声を掛けやすかったのかな、くらいにしか思わなかった。
 そして決定的だったのは、埼玉の地元の情報誌の取材である。埼玉の美少女の特集ページがあって、あなたの名前が挙がったので、ぜひ取材させてくださいとのこと。どういう流れで取材を受けることになったのやら。玄関先で済むから、ということで、マンションの自宅玄関で、私は部活動や趣味、家族について話し、全身、バストアップ、横顔の写真を撮影された。最後には前髪を上げておでこも見せてもらえますかと言われたが、それはさすがに撮影せず、目に焼き付けるように観察して帰っていった。
 あのすべてが、芸能事務所のスカウトマンだったのである。不可解に思いつつ、どうして応対していたかというと、全員女性だったからだ。スカウトウーマンである。あれがスーツを着た男性だったら、警戒していたかもしれない。だけど、みんな20代くらいの若い女性だったのだ。
 目の前にいる手紙を渡してきた女性をふと見て、あの車の中から話しかけてきた人だ、と気づいた瞬間、「考えてみます失礼します」とすぐにマンションへ入った。
 怖かった。家にいた母親に手紙を押し付けるようにして渡した。見たくもなかった。手紙はそれ以来、手にしていない。捨てたのだろうか、燃やしたのだろうか。もうどうでもいい。
 女優はやりたくない、という意志を父親から事務所へ伝えてもらい、私は記憶を消すように、勉強に励んだ。高校受験が控えている。夏休みには、一日に10時間以上勉強していた。
 それでも、事務所のアプローチはつづいた。自宅に直接来ることもあったし、合格祈願ということで太宰府天満宮の御守りを送ってきたこともあった。送ってきた、と言えば、ビデオレターも来た。VHSの存在感が凄かったが、事務所に入るつもりがないので見なかった。他にも、私の知らぬところでもっと父親が対応してくれていたことは後に知った。
 高校受験は、うまくいかなかった。第一志望に落ち、塾で話せないくらいに泣いたのを覚えている。私は合格した中で一番偏差値の高い高校へと進んだ。行きたい学校とは一体何だったのか、分からなくなった。受験した学校を第一志望から順に見ると、偏差値の高い順だった。頭の良い学校に行きたかったのだろうか。
 私は何をしたいのだろうか。分からなくなった。
 そうして私は、スカウトウーマンに導かれるようにして女優になったのだ。


第2回(7月1日公開予定)

プロフィール
南沢奈央

俳優。1990年埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。2008年、連続ドラマ/映画『赤い糸』で主演。以降、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』など、現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。著書に『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)のほか、数々の書評を手がける。

タイトルデザイン:尾崎行欧デザイン事務所

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