エッセイ「日比谷で本を売っている。」第2回 〔スポーツクラブと百獣の王〕 新井見枝香
日比谷で働く書店員のリアルな日常、日比谷の情景、そして、本の話。
職場のある商業施設「日比谷シャンテ」は、地下2階で地下鉄の日比谷駅に直結している。最高だ。雨の日も風の日も、特に冬は、生命を脅かすほどの寒さから私を守ってくれて、本当にありがとう。今後も、仕事選びの条件として【職場が駅直結】を真っ先に挙げたい。時給が100円安くても構わないほどだ。
その地下2階の飲食店街を抜けると、「メガロス」という、黒を基調としたイケイケなスポーツクラブがある。夕方に前を通りかかれば、いかにも「この辺りでデスクワークをしていました」みたいな男女がどんどん吸い込まれていく。知らぬ間に、顔見知りの編集者も、まさかの同僚たちも入会していると知って、公式サイトにアクセスするくらいには、私も興味を持っている。人は運動不足を自覚すると、ちゃんと自発的に運動を始めたくなるようだ。美しく痩せたいというより、健康のために。私もここ3ヶ月、地元のホットヨガに通っているが、「美尻ヨガ」クラスには見向きもしない。お尻が小型化することより、全体的なストレッチで、転んだときに大怪我をしないとか、階段の途中で疲れて立ち止まらないとか、そういう地味な効果を期待している。
しかし、どんなに備えていても、病気や怪我を避けられないことはある。突然不治の病に冒される。それは生活習慣とか過労とか、これといった決定的な理由がない。身近な人が、そういう神様のくじ引きみたいな病気にかかったとき、健康を信じ過ぎるのを止めたのだ。なあ、どうしろっちゅうねん。
しかし、ジムでしゃかりきにバイクを漕ぐことも、ホットヨガで足を震わせながら木のポーズを取ることも、死なないためにしているのだ。大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬためにすることと、死なないためにすることの2つに分ければ、確実に後者である。死なない人間はいないから、なるべく長く生きるため、といったほうが正確かもしれない。
人生で初めて腰を痛めたときに、これが永遠に続いたら地獄だな、と思った。そのせいだろう、「心臓病・腰痛・難産になるようヒトは進化した!」と書かれた新書が無性に気になった。それは『残酷な進化論』という本で、〈なぜ「私たち」は「不完全」なのか〉という副題が付いている。ほら、やっぱり。世の中に、これほど腰が痛いヒトが多いなんて、おかしいと思ったのだ。もうちょっとどうにかできるだろう。人間は進化することで、環境に適応し、生き残ってきたのだが、不完全にもなっていった。進化とは変わることで、良くなることも悪くなることもある。人間に寿命があるのも、進化によってつくられた可能性が高いと聞けば、ますます人間は「不完全」だと思えてくる。人間は生物の中でいちばん偉くて最強、だと思ったら大きな間違いなのである。
動物界で最強といえば、百獣の王であるライオンだろう。
小川糸さんの『ライオンのおやつ』という小説は、瀬戸内にあるホスピス「ライオンの家」が舞台だ。ライオンは敵に襲われる心配がない。だからそこではもう、ライオンのように、安心して食べたり、眠ったりしても大丈夫、という優しい意味が込められている。ライオンは簡単には淘汰されることがないだろう。なぜならライオンをエサにする動物はいないから。ライオンは強いから、生存闘争をしなくてもいいのだ。わざわざジムに通わなくてもいい。
しかしライオンだって、自分でエサを確保しなければ死んでしまう。猟銃を持った人間がサバンナに侵入したり、何かの細菌が猛威を振るって、仲間がどんどん死んでいくかもしれない。子孫を残そうとして、負けてしまうかもしれない。
どんな生物も、生きているうちは死から逃れられない。でも、早々と死んでしまった生物が負けたわけでもない。
死ななければ、生きられない。生きなければ、死なない。まるで禅問答のようだが、『残酷な進化論』を最後まで読むことで、そうでしかないことが深く理解できた。
人が必死に生きようとする姿は、浅ましいものでもなんでもない。なんて思いながら、今日も「メガロス」に吸い込まれるヒトたちを、眺めている。
プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)
書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。