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古賀及子「これも詩ということにする」第3回

話題作続々刊行のエッセイスト、古賀及子さんによる連載。日常で触れる言葉のなかから、古賀さんなりの視点で「詩」を見つけていきます。難解と思われがちな詩の世界に、裏口から入門します。
毎月17日頃更新予定。
※第1回から読む方はこちらです。

駅のホームから、今日の見送りの合図を

 昨年のクリスマスの翌日、中学生の娘と居間でテレビを観ていたら、がらと台所に続く引き戸が開いた。

 パン!

 破裂音がして、細い赤の紙のテープが居間の中空をひらひら舞ってちゃぶ台に着地する。薄く煙のにおいがした。学校から帰ってきた高校生の息子が、登場するなりクラッカーを鳴らしたのだ。

 ちょっとまて、なになに、どうしたどうしたと、ざわつきながらも、友達とやるんだといっていたクリスマスパーティーで余ったクラッカーを持ち帰り、おもしろがって鳴らしたのだろうことは薄く予測がついた。話を聞くと実際そうらしい。

 どんなおめでたいことがあっても、パーティーを開いても、景気づけにクラッカーを鳴らすことは久しくない。華やかに暮らしたいとは思っているけれど、クラッカーを買って鳴らそうと思い至らないところに自分の人生の落ち着きが見える。いっぽう、息子は今まさにクラッカーを鳴らす、クラッカー側に生きているわけで、まぶしい。鳴らしたいうちはぜひ鳴らしてほしいと思うばかりだ。

 息子から、鳴らしたクラッカーの殻を受け取ってなんとなく眺める。青のパッケージには細かい文字で「使用方法」「警告」「マナー」などあれこれ説明書きがされていた。こういうの、小さな文字で細かくいろいろ書いてあるものだよな。「正しく使い、分解しない」「大人と一緒に遊ぶ」など、内容はある程度想定できることばかりでなんとなく読み流したけれど、「注意」の欄にこう書いてあるのに目がとまった。

「駅のホームで使用しない」

 駅のホームで……。

 クラッカーを鳴らしてはいけない場所はいろいろある。病院、図書館、役所といったところがそうで、いやむしろ、パーティー気分でない場所ではおおむね鳴らさない方がいいだろう。それをわざわざ「駅のホームで」と指定して書くのか。

 ほかに、特にここで使わないでと説明書きに書かれた場所はなかった。ただ、駅のホームでの使用を禁じている。

 病院、図書館、役所と書いたが、街の小売店や飲食店でだって一般的には鳴らしちゃまずいだろう。セブンイレブンとか、ゆで太郎とかでクラッカーを鳴らすお客がいたら、ちょっと「おっ?」と思う。貸切だったら事情は別で、セブンイレブンやゆで太郎をもし貸切にできるなら、それはそれで、ここぞとばかりにクラッカーを鳴らそう。

 想像が警察署みたいなところまで及ぶと、鳴らせるもんなら鳴らしてみなと、逆に説明書きに書くまでもない感じがある。墓場や神社仏閣もそうかもしれない。

 なにしろ、数ある鳴らしてはいけない場所において、クラッカーが公式に場所を指定して使用を制止したのが駅のホームだった。なぜわざわざ……。

 なんとも不思議で味わい深いなと、思っていたところ、その背景を知ることができた。昭和の新婚旅行だ。

 新婚旅行が一般的になったのは、恋愛結婚がお見合い結婚を上回るようになった昭和30年代から40年代にかけてのこと。この頃は国内への2泊3日ほどの旅行がブームで、新婚旅行専用の特急列車も運行されていた。この、晴れのふたりの旅立ちにあたり、特急の出る駅のホームに関係者が集い見送るという習慣があったそうなのだ。特急券には見送り人のための駅入場券が何枚も付いてくるくらい、見送りは一般的なことだったらしい。日曜や大安の日の駅は見送り客でホームがあふれたという。昭和50年代生まれの私は不勉強にも知らなかった文化だ。

 わざわざ見送りにやってきた人々は、最大限盛大に送り出すべく盛り上げた。万歳三唱、胴あげ、紙テープを投げる、そしてそう、クラッカーを鳴らす。昭和という時代の憎めなさがぱんぱんにつまる風習ではないか。

 ではなぜ、そんなおめでたいばかりのクラッカーが、鳴らさないでくださいと自ら戒めるように駅のホームで禁止されるに至ったのか。なんと、テープが架線にひっかかっちゃうんだそうだ。電車の進行に支障をきたしてしまった。

 何をやっているんだという話だ。経済が成長し、一般の人々も少しずつ旅行に行けるようになる、新婚旅行という文化が盛り上がる、鉄道側もいさんで特急列車を運行する、本人らばかりではなく関係者一同も見送りに駅のホームに押し寄せる、盛り上げる、クラッカーを鳴らす、架線にからまって電車が止まる。しっかりしてくれ。

 駅のホームが名指しで使用を禁じられる理由はこういうことだった。その後、新婚旅行はかたちを変えていく。昭和も後期になるにつれ、海外旅行に出かけることがステイタスとなり、国内への旅立ちを見送る文化もなくなっていった。駅のホームでの盛大な見送りは、だいたい昭和40年代ごろまでのことらしい。

 駅のホームで私を鳴らさないで。クラッカーは言う。新婚旅行の見送りの習慣はなくなった。それでも今なお、言い続ける。盛大な見送りで鳴らされることはなくなっても、駅のホームは特に混雑時などはクラッカーを鳴らしていい場所ではない。注意書きが、嘘ではないままにたゆたうように残った。

 すぎさった過去の喧騒と、「駅のホームで使用しない」というシンプルな言葉の隙間に、じんわりと詩がしのびよる気配がある。新婚旅行を盛大に見送ってから数十年後のいま、文章として読む「駅のホームで使用しない」には、読むほどに駅のホームを、逆にひどく静かに感じさせる力がある。

 むしろ、そこには誰もいないかのようだ。

 クリスマスの夜、約束の場所にあなたは来なかった。諦めきれずに待って待って、それでもやっぱり来ることはなくって、もはやふふふとただ息を吐くように笑って駅に行くのだけれど、目の前で終電はすり抜けるように去ってしまう。ぼんやりと立つ駅のホームはつめたくて、足の裏からどんどん冷えて、しばらくかじかみを味わっているうちにホームのはじからじわじわすべての気配が消えてゆき、ゆっくり見上げる真上の灯りも明度を落とし、はっとする。今日を、せめて幸福に見送りたい。

 クラッカーを持っている。鳴らしてしまうかもしれない。

タイムマシンに乗って、総裁

 家では夕食どきだいたいいつも、7時のNHKのニュースを観る。なんでということもなく、ただなんとなく、いつからかそうなった。

 中高生の子どもたちはそれぞれに学校やら塾やらがあって夕食の時間は流動的で、それでも基本的には家の晩ご飯は7時、テレビは夜のニュース、ということになっている。

 2024年12月19日。この日は全員揃っていた。いくつかの報道がされたあと、午後行われた植田和男日本銀行総裁の会見の様子が流れた。この日に終了した金融政策決定会合では金利の引き上げを見送り、現在行われている政策の継続が決定されたと伝えられ、それについての記者会見だ。記者からの質問に植田総裁が答える様子がテレビに映る。

「もしタイムマシンで2013年4月に戻ったら同じことをやりますか?」

 観ながら、そしてこの日のおかずのレバニラ炒めを食べながら、娘がぽろっと「わざわざタイムマシンに乗るんだね」と言った。

 2013年4月というのは黒田東彦前総裁による異次元緩和がスタートした時期だ。たしかにタイムマシンという言葉を出さずとも「2013年4月に戻ったら同じことをやりますか?」でも伝わるのを、記者は植田総裁をタイムマシンに乗せた。娘の指摘を聞き、じわじわ、そしてしみじみと、感じ入る。

 あらためてニュースで切り取られた前後の会見を観なおしたところ、2013年当時の植田氏ではなく、“現在までに出た異次元緩和の結果を確認した状態で、もし2013年に戻ったら”という条件を飲み込みやすく提示するために記者がタイムマシンという言葉を説明として使ったことが分かった。

 2024年の総裁に2013年の景色を観てもらうために、記者はわざわざタイムマシンを用意したわけだ。

 ささ、お乗りください総裁。こちらがタイムマシンとなっております。

 このとき私が想像するタイムマシンは、平べったい台に街灯のようなものがついたドラえもんのやつだ。いや、忙しい植田総裁に乗ってもらうのだからドラミちゃんのやつのほうがいいかもしれない。屋根がついてるし。運転はきっと記者の方がするのだろう。

 なお、総裁の回答は「大規模緩和のようなことをやった場合に期待物価上昇率に与える効果は確実ではなく不確実と認識しつつ、副作用もいろいろある」という内容だった。

 いわゆるたられば的な、「仮定の質問には答えられない」というのは政治家や官僚の受け答えの決まり文句だ。それを打ち破る策としてひねり出した言葉がタイムマシンだったとも言え、結果的にファンタジックになったのはニュースの味わいでしかない。

 生活に流れ込んでくる思わぬ表現が、図らずも詩として立ち上がる。言ってみた言葉に妙味が宿る。

 この日の会見は1時間を越え、どこを切ってもほかのやりとりにロマンを感じさせる文言は出てこなかった。光のように、タイムマシンという言葉がふるえていた。


第2回に戻る   第4回に続く
※本連載は毎月17日頃更新予定です。

プロフィール
古賀及子(こが・ちかこ)

エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)、『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)。

タイトルデザイン:宮岡瑞樹

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