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古賀及子「これも詩ということにする」第2回

話題作続々刊行のエッセイスト、古賀及子さんによる連載。日常で触れる言葉のなかから、古賀さんなりの視点で「詩」を見つけていきます。難解と思われがちな詩の世界に、裏口から入門します。
毎月17日頃更新予定。
※第1回から読む方はこちらです。

かわいい柴犬の図書カードは、「ついに発売!」する

 観そびれたテレビ番組をTVerで観ようと、検索して動画を再生したらコマーシャルが流れた。だいたいこういうのはいつもすんとして聞き流してしまう。それが今日は、二度見ならぬ、二度聞きした。

「かわいい柴犬の図書カードが、ついに発売!」

 画面には、ナレーションどおりかわいい柴犬が走る様子が映し出されている。

 まさにこれこそ聞き流すべきコマーシャルというか、すぐにでも空気に溶け込む文句ではあると思う。なんの妙さも、変わったところもない。柴犬ファンには嬉しい知らせとして十分届くだろうし、私のような、柴犬のかわいさは理解しながらそこまで熱心なファンでない者は「そうなんだ〜」とただ温かく見送れる。

 でも、はっとした。おっ、と思った。これはちょっと考えた方がいいなと、メモを取るくらいには立ち止まった。

 図書カードというと、書店で使えるプリペイドカードだ。私が子どもの頃は紫式部だろうか、十二単を着た平安時代の女性らしき絵の入った図書券がお馴染みだったが、気づけばカードに変わっていた。

 で、だ。そんな図書カードには、柴犬は、あらかじめプリントされているような気がしないか。

 つまり、「ついに発売!」するようなものなのかそれはと、私の心は流されずにとどまったのだと思う。

 まっさらな心で、図書カードを思い描く。そこには何がプリントされているだろう。図書券は平安女性だった。図書カードは……。

 かわいい柴犬ではないか。

 これは昭和50年代生まれという世代的な感覚かもしれないけれど、なんとなく空いたところには、青々とした芝生の上にたたずむおだやかな犬や猫の写真を置いておこうという世間の気分にずっと囲まれてきた。

 薬局にぶら下がるカレンダー、銀行が配るティッシュ、保険会社でもらうパンフレット、それに、そう、テレホンカードだ。なんとなくとりあえず、猫や犬の写真で埋められ、犬ならそれはだいたい柴犬だ。

 柴犬は、私たちの目の前にいつもいてくれた。なごませる役を、一手に引き受けてくれていた。

 と、思っていたのが、急に「ついに発売!」だというから、えっ? となったわけだ。いるはずの柴犬は、実はこれまで長らくいなかったということなのか。そうして今、満を持して目の前に現れようというのか。

「かわいい柴犬の図書カードが、ついに発売!」に、私は柴犬という表層の見直しを迫られたのだと思う。

 そうだったのかと、柴犬の図書カードがついに発売するのならば、では現行でレギュラーで販売されている図書カードの柄はどのようなものだろうと調べてみた。

 ピーターラビットと、ディズニーキャラクターたちと、それからルノワールやモネといった印象派の絵画作品であった。

 あ〜っ! と、強く思わされる。強い感心を伴った、なるほどな〜っ、だ。柴犬よりも、断然そっちに既視感と納得感がある。現実の強度を知らされたときの痛快ともいえる手応え。興奮した。

 いっぽう柴犬の図書カードは枚数限定品で、企画としてはなんとこれが第8弾だという。今回発売されたカードのデザインを見ると、大変に凝ったものだ。見ればそのかわいらしさは、どこにでもプリントされるような柴犬を圧倒してしのぐ、明らかに気合いの入った柴犬だ(どうあっても柴犬はかわいいことは前提として)。付帯の紙ケースも一般の図書カードとは違う特製のものだというから気合いが入っている。驚くべきことにコマーシャルは私が観たものだけではなく、全10本が制作されYouTubeで公開されていた。

 図書カードの公式サイトには柴犬の図書カードの専用サイトがあり、カードの詳細や販売店の一覧が紹介されていた。Q&Aが熱い。

「近所の販売店では売り切れでした。今どこの店なら在庫がありますか?」
「購入枚数の制限はありますか?」
「予約は必要ですか?」

 柴犬の図書カードに向ける、どうしても入手したい期待がほとんど焦燥として寄せられている。柴犬の図書カードという、カルチャーがここにはある。熱狂が集まるほど価値の立脚したものだった。

 ここで改めてコマーシャルの文言を思い出したい。

「かわいい柴犬の図書カードが、ついに発売!」

「ついに」という言葉自体に、そもそも私はあらかじめ詩の気配があるような予感がしていた。ついに、の手前には、それを待ち焦がれる「まだかな」がある。まだかなが、重なって、重なって、重なって、そうして、ついにが、やってくる。ぱんぱんに充填されたまだかなが、弾けるように解放される。解放されたうえ、対象がかわいい柴犬の図書カードだというのがまったく意外で、私にとっての詩としての強度を高めたのだと思う。

 かわいい柴犬の図書カードは、たしかに、「ついに発売!」していた。今回の発行が第8弾だと書いたが、前回から3年ぶりの登場だそうだ。3年、熱く待ちがれられていたのだ。

レディーボーデンを楽しみにしてくださっていた方へ

 柴犬の図書カードは私の知らないところで待たれ、楽しみにされていたものだった。未知の熱狂を目の当たりにするとき、私はお相伴的にみなぎりを感じる。心が強い。

 そうして「楽しみにする」といえば、東京八重洲献血ルームによるSNS投稿を思い出す。

 東京八重洲献血ルームは東京駅の八重洲口近くにある。完全予約制で、成分献血の一種である血漿けっしょう成分献血という献血専用の献血ルームだそうだ。

 献血ルームといえば、日頃から多彩なキャンペーンを実施している印象がある。先日はじめて献血を体験した高校生の息子が、自分の血液型のマークの入った血液バッグを模したキーホルダーをもらって喜んでいた。こんな凝ったノベルティがあるんだなと驚いたものだ。

 私は体調の都合で数年前から献血ができなくなってしまったのだけど、かつてはよく行った。水分補給のために飲み物が自由に飲めるほか、焼き菓子やアイスクリームをもらったこともある。

 SNSの投稿というのは、そのアイスクリームについてだ。これまで献血後に「レディーボーデン」を提供していたのが昨今の価格高騰で継続が困難となり、今後は「うずまきソフト」に段階的に変更するという知らせだった。

 文面には、「レディーボーデンを楽しみにされていた方もいらっしゃると思います。申し訳ありません」とある。

 レディーボーデンは、コンビニやスーパーといった小売店で売られるアイスクリームとしては高価格の部類に入るブランドだ。ハーゲンダッツの急拡大で一時は存在が危ぶまれたように見えたが、私が子どもだった1980年代、まだハーゲンダッツが日本に上陸する前は良いアイスといえばレディーボーデン一択だった。その頃母が買ってきたのは小さなカップではなく、大きなスプーンですくって盛り付ける大きなカップだ。当時は小さなカップのプレミアム系のアイスクリームはまだなかった。カップに堂々と描かれるレディーボーデンのロゴは、私のときめきそのものだ。

 レディーボーデンには懐かしい高級アイスクリームという、それだけですでにちょっと切ない背景がある。だからこそ、東京八重洲献血ルームの告知も妙に痛恨のように感じるのかもしれない。

 献血を終えてもらえるアイスなんて、なんだってありがたい、うれしいものだろう。ほとんどの人がそうだと思う。とくに銘柄の変更を知らせてくれなくても困ることではない。でも、価格高騰があってレディーボーデンではなくなることになって、期待に背く可能性が少しでもあるなら先に周知したいと責任感が担当者にわきあがって、上長も賛成し(という組織の動きは完全に想像ではあるが)、投稿が表出した。

「レディーボーデンを楽しみにされていた方もいらっしゃると思います」

 詩だなと思ったのは、「レディーボーデンを楽しみにしている方」の存在の透明感、秘匿性だ。

 献血のあとのレディーボーデンを楽しみにしているとしても、その気持ちが外に漏れることはほぼないんじゃないか。表面的には「アイスの銘柄なんて、なんだってありがたいことだ」と、ひょうひょうとして受け取る。でもやっぱり、レディーボーデンはちょっとうれしい。

 秘められたはずのレディーボーデンに対するほんのちょっとした浮つきや期待を、献血ルーム側は告知ですくいあげた。ささやかな希求を献血センターと利用者はこの文章でもって、静かに静かに、やりとりしたのだ。静謐せいひつなざわめきに、詩のやどりを感じる。

 そうしてそのざわめきは私の過去にもたどりついた。レディーボーデンを楽しみにする日があったなと、献血から離れた場所で、はっと思い出す。

 レディーボーデンの代替がうずまきソフトである事実にも感じ入った。うずまきソフトは、ソフトクリーム型の小さなラクトアイスだ。「スーパーカップ」でも「MOW」でもなく、ここでまさかの登板、恐縮して登場するうずまきソフトに、がんばれ! と、思うばかりだ。


第1回に戻る   第3回に続く
※本連載は毎月17日頃更新予定です。

プロフィール
古賀及子(こが・ちかこ)

エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)、『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)。

タイトルデザイン:宮岡瑞樹

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