メガネもコンタクトもデビューの日は恥ずかしかった――上白石萌音と視力
2021年9月に発売された上白石萌音さんの初エッセイ集『いろいろ』。好評を博し、累計発行部数7万部を突破した本書が、このたび台湾で初めて海外翻訳出版されることになりました(2023年6月8日(木)台湾で発売予定)。それを記念して、『いろいろ』からエッセイ「視る」を公開いたします。6月8日(木)公開のエッセイ「オフる」はこちらです。
視る
わたしはとても目が悪い。コンタクトの度数を聞かれても恥ずかしくて言えないほど悪い。
視力が下がり始めたのは六歳頃だった。遠くの看板の文字が読めなくて目を細めているところを母に見つかった。目の体操をしたり目にいいとされるものを食べたりと足搔いてみたけれど、どれも効き目は薄かった。
メガネデビューの日を忘れない。小学二年生の二学期、とある月曜日。鼻の上に載った、作りたての薄ピンクの細いフレームを嬉しく撫でながら通学路を歩いた。背筋がしゃんと伸びて、小学五年生のお姉さんになったみたいだった。
ところが校門まで二百メートル目前、急に猛烈な恥ずかしさに襲われ、立ち止まってメガネを外した。髪を少し切っただけでも、しばらく教室に入れなかったわたし。メガネなんて大大大冒険だった。実を言うと、その頃の教室はわたしにとってあまり居心地のいい場所ではなかったのだ。なるべく目立ちたくない。そんな気持ちから、結局その新調品は日の目を見ることなく、引き出しにしまわれたまま一日を終えた。
コンタクトデビューの日も相当恥ずかしかった。中学一年生の夏、陸上の大会に助っ人で出場した時。自分の番の直前にコンタクトを装着すると、下着をつけ忘れたみたいな心許ない気持ちになった。大勢の人の前で走ることよりも、誰も気にとめていない目元の変化の方が一大事に思えた。恥ずかしくて恥ずかしくて、予選のタイムなんてもうどうでもよかった。こちらの原因は思春期の自意識。こいつは馬鹿にならない。
その後も順調に下降を続けたわたしの視力は、もう落ちるところまで落ちた感がある。コンタクトを外した世界は、撮影に失敗したフィルムカメラの写真みたいに粗い。
でも最近わたしは気づいたのだ。この視界は、よく言えば、新印象派の画家が描く点描画のようだと。ぼんやりした景色のなかに、何かの明かりがぼうっと光っていたり、物体と背景の境目が曖昧だったり。うむ、悪くないではないか。
それに、「視えるようになる」という喜びを、わたしは毎朝コンタクトをつけるたびに味わえているのだ。これはもとから視える人にはわからない感動だろう。
もちろん目がいいに越したことはない。でも落ちてしまったものはしょうがない。それならばちょっと面白がってみようじゃないのという魂胆だ。
とか言いながら、レーシックがちょっと気になっている、今日この頃。
※この続きは『いろいろ』でお楽しみください。
プロフィール
上白石萌音(かみしらいし・もね)
1998年、鹿児島県生まれ。2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディション審査員特別賞受賞。ドラマ「ホクサイと飯さえあれば」「恋はつづくよどこまでも」「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」「カムカムエヴリバディ」、映画「舞妓はレディ」「君の名は。」、舞台「組曲虐殺」「ナイツ・テイル―騎士物語―」「千と千尋の神隠し」「ダディ・ロング・レッグズ」「ジェーン・エア」など出演多数。俳優のほかに、歌手やナレーター、声優などの分野でも幅広く活躍。24年には、主演映画「夜明けのすべて」の公開を控える。
*バナー写真 山本あゆみ
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