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経営学が「生きづらさ」を生んでいる?――高橋勅徳×稲岡大志×朱喜哲 イベントレポート③

マネジメントや経営学の理論が至るところで実装された社会で、私たちはどのように生きていけばいいのか? 今年刊行された2冊の本を手掛かりに、気鋭の経営学者と哲学者が語り合いました。満員となったイベントの様子を3回に分けてお届けするシリーズ最終回です(前回記事はこちら「誰もが無自覚に「経営」をやっている――高橋勅徳×稲岡大志×朱喜哲 イベントレポート②」)。


稲岡大志 先ほど高橋先生から、「経営学が人々を苦しめているんじゃないか」という話がありました。それって、私もすごくよくわかるんです。
 たとえば、就職活動をしている学生を見ていると、自己分析とか、モチベーションとか、PDCAとか、そういうのに振り回されていて本当に大変だなと思います。と同時に、それをうまく乗りこなしている学生はちゃんとした会社に就職している。つまり、結果が出ているわけです。経営学ってプラグマティックには使えるツールなんですよね。
 ですから、世俗的な経営学的ツールをどう付き合うかは大きなテーマだと思います。あまりそのあたりを気にしていない経営学者が多い気がしますが、高橋先生はわりと問題視されていると知ることができて良かったです。

高橋勅徳 経営学的ツールは苦しさを生む一方で、うまく付き合っている学生も多いですよね。若い子たちが言う「ライフハック」とか「タイパ(タイムパフォーマンス)」とか、年長からは批判的に見られがちですけど、僕はあれはあれでいいと思っています。若い子たちは経営学的なツール、マーケティング的なツールを誰に言われるわけでもなく、それこそ野生の感覚で使いこなしている。そういう世代から面白い発想が出てくるんじゃないかと期待しています。
 ただ、経営学化された社会を効率的に生きようとすると、いわゆる「余剰」がなくなってしまう。「そういう人生ってどうよ」というのはありますよね。説教臭くなるから言わないようにしているけれど(笑)。
 でも、僕のような立場の人間は「(経営学に)騙されちゃ駄目だよ」ということも言わなくちゃいけない。つまり、経営学的ツールはあなたの人生を台無しにする可能性もある、経営学って実は怖いんだよ、と言う必要があると思っています。たとえば「価値の創出が正義だ」って労働者が内面化したら、「良い製品やサービスを作って会社の売上も大きく伸びた。給料そのままだけど、社会のためになっているからいいよね」って話になりかねない。本当に危険だと思います。
 『マネジメント神話』(明石書店)で一貫している視点は、実は「経営学は教祖による洗脳である」ということですよね。それは一面の真理だと思いますし、同時に気を付けなくちゃいけないところです。経営学的ツールは毒にも薬にもなると思います。

朱喜哲 高橋先生は『アナーキー経営学』(NHK出版新書)のなかで、ある意味で道具主義的な方法を採っていますよね。二郎系ラーメン店とか転売ヤーなど日常的な題材に、経営学の概念やフレームワークを当てはめてみると、こんなふうに使えるんだよと。概念を道具として使うという意味において、ある種のプラグマティックな発想があるというのは間違いないと思いますし、私自身はプラグマティズムの研究者として非常に興味深く拝読しました。
 プラグマティズムというのは、アメリカで発祥した哲学の思想潮流で、19世紀末に生まれて21世紀に至るまで、常にアメリカ思想の底流にあります。稲岡さんは、『マネジメント神話』の訳者解説で、プラグマティズムとマネジメント理論には親和性があると指摘していますよね。

稲岡 『マネジメント神話』で描かれるのは「アメリカ思想史のB面」と言えるかもしれません。いや、実はこっちがA面かもしれない。動いている金額とか、動員されている人の数とか、社会的な余波を考えると、マネジメント思想のほうがA面で、プラグマティズムがB面という気もします。

高橋 ちょっといいですか。そもそもプラグマティズムって、言っていることが流派によって違うし、勉強したくても幅が広くて手を付けられない。せっかくの機会なので、朱先生に少しコメントをいただければ。

 ありがとうございます。では、1分ほどお時間をいただいて。

稲岡 「1分de名著」だ(笑)。

 まず、プラグマティズムにもどんどん更新されている面があります。かつては分析哲学以外のものをプラグマティズムと言った時代もありました。
 現在日本で読める本で、最もオーセンティシティが高いプラグマティズム入門書としては伊藤邦武『プラグマティズム入門』(ちくま新書)があります。ここで論じられるのは比較的新しいプラグマティズムの考え方です。伊藤先生の本が大きく依拠するのは、シェリル・ミサック『プラグマティズムの歩き方』という本で、これは勁草書房の「現代プラグマティズム叢書」から上下巻で出ています。
 よくある通俗的な理解では、プラグマティズムは元々アメリカにあったんだけど、第二次世界大戦前後の時期に亡命ユダヤ知識人たちが論理実証主義の潮流とともに大勢アメリカに流れ込んできて、プラグマティズムは駆逐されたとされます。でも、ミサックが多くのテキストを参照して描き直しているように、そんなことは全然なくて、むしろ論理実証主義者たちもアメリカに来て以来、プラグマティズムの影響をかなり受けていた。
 そこから戦後アメリカで隆盛する行動科学。どうやって人を動員して、効率的に組織するのかという課題関心が哲学にも入ってきて、のちに科学哲学の一側面として成長していきます。こうした発想にもプラグマティズムの伝統が息づいているんだ、といったように思想史を描き直したのがミサックですね。
 この新しいプラグマティズム史観の中で、「斬られ役」の役割を与えられがちなのがリチャード・ローティという哲学者です。彼をあらためて擁護するということで、先に挙げた2冊の最新史観をさらに更新しようというのが、私の近刊『人類の会話のための哲学』(よはく舎)です。というわけで、最後は宣伝で締めさせていただきました(笑)。

稲岡 「人を動員して効率的に組織する」理論としてのプラグマティズムという点では、マシュー・スチュワートが『マネジメント神話』の中で批判しているマネジメント理論は、完全に「教祖ビジネス」としてのプラグマティズム理論です。誕生当初は科学であることを志向していたのに、ポピュラー化する過程で堕落したと。要するに「どうやって本を売るか」とか「どうやってセミナーに来てもらうか」といった「教祖ビジネス」に批判の矛先が向かっている。
 これって、限られた領域で展開される正体不明のビジネスモデルを批判しているような印象を受けますが、そこで動いているお金は大きいし、それらを読んで「私も経営者になれる!」という幻想を持ちかねないので、やはり影響力は大きい。人を動員していく力がありますからね。

高橋 『マネジメント神話』でトム・ピーターズをオチに持って来たのは、おそらく意図的なのだろうと思います。要するにピーターズって「ドーム球場に人を集めて、イベント打って、一夜で数億円稼ぎます!」みたいなことを、1990年代からやっていました。いまで言うインフルエンサーですよね。フレデリック・テイラーやエルトン・メイヨーは曲がりなりにも学問を生みましたが、ピーターズは宗教を生んだ。宗教は言い過ぎかもしれませんが、自己啓発を生んだことは間違いありません。
 話を戻すようですが、やっぱり「教祖」になったら終わりだなと思うんですね。僕は自認としては学者なので、自分が考えたことや書いたことが社会に対して有効に働くことに意義を感じる。そのために5年ほど前から商業出版にも手を出すようになったんだ、インフルエンサーになってチヤホヤされながら稼ぐためじゃないと、今まで言語化できていなかったことが今回のイベントを通じて見えてきた気がします。


高橋勅徳(たかはし・みさのり)
1974年生まれ。東京都立大学大学院経営学研究科准教授。専攻は企業家研究、ソーシャル・イノベーション論。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(経営学)。沖縄大学法経学部専任講師、滋賀大学経済学部准教授、首都大学東京大学院社会科学研究科准教授を経て現職。著書に『制度的企業家』(共著、ナカニシヤ出版)、『ソーシャル・イノベーションを理論化する』(共著、文眞堂)、『婚活戦略』(中央経済社)、『婚活との付き合いかた』(共著、中央経済社)、『アナーキー経営学』(NHK出版新書)など。

稲岡大志(いなおか・ひろゆき)
大阪経済大学経営学部准教授。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。博士(学術)。専門はヨーロッパ初期近代の哲学、数学の哲学、アニメーションの哲学など。主な業績に、『ライプニッツの数理哲学――空間・幾何学・実体をめぐって』(単著、昭和堂)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』(共編著、総合法令出版)、『3STEP 応用哲学』(分担執筆、昭和堂)など。

朱喜哲(ちゅ・ひちょる)
1985年大阪生まれ。哲学者、大阪大学招へい准教授。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。また研究活動と並行して、企業においてさまざまな行動データを活用したビジネス開発に従事し、ビジネスと哲学・倫理学・社会科学分野の架橋や共同研究の推進にも携わっている。著書に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(共編著、さくら舎)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』(共著、総合法令出版)、『在野研究ビギナーズ』(共著、明石書店)、『〈公正フェアネス〉を乗りこなす』(太郎次郎社エディタス)、『バザールとクラブ』『人類の会話のための哲学』(よはく舎)、『NHK100分de名著 ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」』(NHK出版)、共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(ロバート・ブランダム著、勁草書房)など。

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