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英文読解力をつけるのに最良の文章…それは『不思議の国のアリス』だ!

イギリス文学の不朽の名作『不思議の国のアリス』の原文は、英語力を高める上でも最良の教材です。「本がひらく」で『不思議の国のアリス』を深読みする連載、「言葉が・言葉で・言葉を作る『アリス』の世界」を執筆し、先ごろ『『不思議の国のアリス』で深める英文解釈』を上梓した勝田悠紀さんが、『アリス』のあの名シーンの英文を徹底解説します。


『不思議の国のアリス』研究の大家エリザベス・シューエルが、こんなことを言っています。「不思議の国」とは、言葉で作られた世界である。「ノンセンス」とは、ルールや論理をとことん突き詰めることから生じる可笑おかしさである。
 言葉にとってのルールとはなんでしょう。そう、文法です。文法はある言語のルールを体系化したものであり、その言語を外国語として学ぶ際のツールです。文法は語学学習者の強い味方であり、便利品です。でも文法から得られるものは、恩恵ばかりではありません。私たちは時として文法に振り回されているように感じることも事実です。勉強すればするほど矛盾があるような気がしたり、ルール通りにやっているはずなのになぜかうまくいかなかったり。文法が生むこの不安は、たぶん私たちの文法力不足だけでなく、ルールというものに本質的にまとわりつく感覚です。
 ならばいっそその不安を思いきり頭からかぶりながら勉強したらいいんじゃないか、という逆転の発想で攻めてみるのはどうでしょう。ノンセンスに溢れた『不思議の国のアリス』こそ、じつは言語や文法を学ぶのに最適な題材なのではあるまいか。『アリス』には常識や勘が通用しません(ノンセンス)。文法や語法といった言葉のルールに則って読み進めるよりほかにない。それは不安な作業ですが、だからこそ文法力を鍛えるのに適しています。

 今回は、そんな『アリス』の名キャラクター、チェシャ猫が登場するシーンの英文を、文法に意識を向けながら読んでいきましょう。
※本記事は高校までの英文法を一通り学んだ方を読者に想定していますが、個々の文法事項は解説のなかで詳しく説明するので、完璧に習得している必要はありません。

森のなかを歩くアリスの前に再び姿を現したチェシャ猫(Cheshire Cat)。神出鬼没のチェシェ猫は、自由自在に消えたり現れたりします。そんなことをされたら目が回ってしまうと、アリスはチェシャ猫に文句をつけます。

“ […] I wish you wouldn’t keep appearing and vanishing so suddenly you make one quite giddy!”
“All right,” said the Cat; and this time it vanished quite slowly, beginning with the end of the tail, and ending with the grin, which remained some time after the rest of *it had gone.
“Well! I’ve often seen a cat without a grin,” thought Alice; “but a grin without a cat! It’s the most curious thing I ever saw in all my life!”

Lewis Caroll, "Alice's Adventures in Wonderland" Chapter Ⅵ

語注
・vanish 自動 消える
・giddy 形 目が回る、くらくらする
・grin 名 にたにた笑い
・it = the Cat

英文解説

● I wish you wouldn’t keep appearing and vanishing so suddenly you make one quite giddy! ——文構造に気をつけて意味をとろう
 wishはふつう仮定法のthat節を従え、実現しない願望を表す動詞ですが、that節内でとくにwouldが用いられた場合には、「〜が(進んで)…してくれたらいいのに[...してくれませんか]」のように、現状への不満や要求を表します。would(< will)が〈意志〉を表すところからこのような意味合いが生じます
 文の後半、so suddenlyのsoとyou make one quite giddyが呼応しており、「とても…なので〜」を表すいわゆるso that構文になっています(you make…の頭にthatが省略されていることに注意)。oneは不特定の人を指す代名詞。appearing以下をまとめると、「あまりにも唐突に現れたり消えたりするので、目が回ってしまう」となります。

● beginning with the end of the tail, and ending with the grin, which remained some time after the rest of it had gone ——分詞構文/関係代名詞の非制限用法 
 チェシャ猫が「ゆっくりと消える」様子を表す分詞構文。その「消滅」が「尻尾の先から始まり、ニタニタ笑いで終わる」、つまりお尻から頭の順に消えていったということです。注意したいのはendという単語。2つ目のendは「終わる」という意味の動詞ですが、1つ目のendは名詞で「(細長い物の)端」という意味です。
 whichはthe grinを先行詞とする関係代名詞で、直前にコンマがあるので非制限用法。つまりwhich以下はthe grinを修飾するのではなく、…, and the grin remained …と言い換え可能で、そのニタニタ笑い(をした顔)が「(チェシャ猫の体の)他の部分が消えた後もしばらく残っていた」のです(「他の部分が消える」という変化が完了した結果としてすでに見えなくなっていることを表す完了形had goneにも注意)。
 このあたりでは「ニタニタ笑い」を意味するgrinが、独立した体の部位のように用いられていることに注目しましょう。ふつう笑い顔は一時のものですが、チェシャ猫はつねにgrinしているので、それが顔そのもののように扱われています。実はこのキャラクターは、grin like a Cheshire catという起源不詳の慣用句が先にあり、そこから作られたもの。言葉から物が作られるアリスの世界の原則が体現されたようなキャラクターです。 

● a cat without a grin / a grin without a cat ——A without B ⇆ B without A!?
 withoutは「…をもたないで、…なしで」を表す前置詞。ここでは直前の名詞を修飾していて、「にたにた笑いしていない猫」はよく見るけれど、「猫(の本体)のいないにたにた笑い」は見たことがない、と言っています。
 事実としてそれは当然そうなのでしょうが、おもしろいのは、A without BのAとBを単純にひっくり返して考えるアリスの発想です。別の箇所(『不思議の国のアリス』第1章)でも、アリスはDo cats eat bats? という疑問文の主語と目的語をひっくり返し、Do bats eat cats? というおかしな文を作っていました。
 Do A eat B? でもA without Bでも、A、Bはともに名詞が入るところ。この文法的な条件を、常識をわきまえずただ機械的に適用して、結果的に意味不明なことばを作ってしまうのがアリスのノンセンスの代表的なパターンです。

和訳
「そんなにいきなり現れたり消えたりしないでほしいのですが、目が回るので」
「わかったよ」と猫は言い、今度はゆっくりと消えていきました。尻尾の先っちょから始まり、最後はニタニタ笑いへと。他の部分が消えてしまった後も、ニタニタ笑いはしばらく残っていました。
「もう! ニタニタ笑い無しの猫は何度も見たことあるけど」アリスは思いました。「猫無しのニタニタ笑いなんて! これまでの人生で見たもののなかで一番おかしい!」 

 チェシャ猫とアリスのやり取り、いかがだったでしょうか。文法や語法をしっかり理解するところから自然と一段深い読解に入っていける、その手続きを体感していただけたら嬉しいです。
 拙著『『不思議の国のアリス』で深める英文解釈12講』では、このようなスタイルで、『アリス』全編から読解力向上に役立つ部分をピックアップし、徹底的に解説しています。

 本書についての特設サイトもつくりました。今回の記事や本書について疑問点がありましたら、なんでもお気軽にご質問ください。

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勝田 悠紀(かつた・ゆうき)
英文学者。1991年埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。専門はディケンズをはじめとした英文学。論考に「距離、あるいはフィクションの恥ずかしさについて」(『エクリヲ vol.13』)など、訳書にスラヴォイ・ジジェク『あえて左翼と名乗ろう—34の「超」政治批評』(青土社)。

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