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ノンセンスとは究極の秩序である――「言葉が・言葉で・言葉を作る『アリス』の世界」第1回

 誰もが知る名作『不思議の国のアリス』。子供の頃、アニメ映画などで見た方も多いでしょうが、原文を読んでみると、驚きの発見が詰まっています。そんな『アリス』の世界の深淵(アビス)を、気鋭の英文学研究者、勝田悠紀さんがご案内します。
 ※本文で引用する『不思議の国のアリス』の日本語訳は勝田悠紀さんによるものです。

ノンセンス!

 少女アリスは不思議の国で、巨大化と矮小化をくりかえす。最終章(第12章)で、最後の巨大化を迎えるとき、アリスが隣の席に座るヤマネと交わす以下の会話には、不思議の国の世界のエッセンスが凝縮されている。

「そんなに押さないでくれよ」と、隣に座っているヤマネが言いました。「息ができないよ」
「しょうがないでしょう。」アリスは申し訳なさそうに言います。「大きくなってる(grow)んだから」
「ここで大きくなる権利はないだろう」
「そんなのノンセンスよ。あなただって大きくなってるでしょ」
「そうさ、でもぼくは、まともな速さで大きくなってるんだよ。そんな馬鹿げた速さじゃない」

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 ノンセンス! 『不思議の国のアリス』の世界を一言で表すなら、これしかないという言葉だ。
 “sense” という単語には、さまざまな語義がある。「意味」、「まとも(良識)」、「方向」……。アリスとヤマネのここでの諍いは、 “grow” という単語の「意味」が定まらないことから生じている。ただ物理的に大きくなることも、大人になることを意味する成長も、英語ではともに “grow” で表せるため、二人はともに “grow” していると言えてしまう(ヤマネの成長期がまだ続いていればの話だが)。けれどアリスの巨大化は明らかに普通の「成長」とは違っていて、その速度はどうにも「まとも」ではない。成長とは子供から大人へという一貫した「方向」にむかって変化することだが、これもまたアリスには当てはまらない。一度大きくなったかと思えばまたいつ小さくなるとも知れない、そんな行き当たりばったりを繰り返すのがアリスの冒険なのだ。
 『不思議の国のアリス』のなかに合計七回登場するこの「ノンセンス」という語は、単に「センス」を「ノン」で打ち消しただけでなく、文学の一ジャンルの名称でもある。ヨーロッパのなかでそれがもっとも盛んだった国がイギリス、そしてその最高傑作に位置づけられるのが、何を隠そう、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だ。

秩序としてのノンセンス――エリザベス・シューエル『ノンセンスの領域』

 ノンセンスとは何か。さまざまな議論があるが、そのなかでもとびきりおもしろいエリザベス・シューエルの説を紹介しよう。ノンセンスというと何となく、狂気や無秩序、混沌などを連想しないだろうか? しかし『ノンセンスの領域』(高山宏訳、白水社)でシューエルは、このイメージを百八十度転換してしまう。
 シューエルによれば、ノンセンスとは秩序である。明晰さであり、論理であり、ルールであり、ルールにしたがって行われるゲームである。チェスの駒をイメージすればわかるように、ノンセンスは個別の単位を操作し、それを思うままに配置しようとする(トランプもその一例と言っていいだろう)。
 そんなノンセンスと敵対するのは、混沌や調和である。部分と部分が溶けあい混ざりあって、その境界が曖昧になり、ある全体に変化してしまうとき、ノンセンスは失われる。だからノンセンスの対立物の代表は、夢である。夢はあれこれの現実や空想をごっちゃにし、分かちがたく結びあわせてしまうからだ。
 ルールを守ることが、「センス」への「否(ノン)!」となってしまうのはなぜなのか。象徴的な場面を見てみよう。第二章で涙の池に流されながら遭遇したネズミと、アリスは会話を試みる。

「ネズミよ(O Mouse)、この池から出る道を知らない? 泳ぎ回るのに疲れてしまったの、ネズミよ」(アリスはこれがネズミに話しかける正しい言い方だと思い込んでいたのです。こんなことをしたのは初めてでしたが、お兄さんのラテン語文法の本に、「ネズミが――ネズミの――ネズミに――ネズミを――ネズミよ!(a mouse——of a mouse——to a mouse——a mouse——O Mouse!)」と書いてあったのを覚えていたのです)

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 わたしたちの生活にもっとも身近なルール、それは言語の規則たる「文法」ではないだろうか(『アリス』出版から約五十年後、オーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインは、言語活動そのものをゲームと捉えて「言語ゲーム」という用語を考案している)。西洋の古典語といえばラテン語(とギリシャ語)だが、わたしたちが中学高校で「せ・し・す・する・すれ・せよ」とぶつぶつ唱えて覚えるように、彼らも古典単語の活用を暗記する(ラテン語では名詞にも活用がある)。アリスはお兄さんの教科書で見た「ネズミ」の活用表を思い出し(活用させたラテン単語の隣に、対応する英語が書いてあったのだろう)、呼びかけには「呼格」を使うべきだと判断して、「ネズミよ!」(“O Mouse”)と声をかけたのだ。
 文法というルールに沿った、完璧な選択だ。しかし、おかしい。ネズミはアリスをちらと見るだけで、反応を返してくれない。
 ここで起こっていることは、ルールを破るのではなく、むしろルールの遵守を徹底化することがおかしな結果を生んでしまうという事態である。難しく考える必要はない。たとえば皆さんの学校や職場で、規則やルールを律儀に守ったがために、困った状況に陥ったという経験はないだろうか。純粋なルールそのもの、ゲーム自体は、無意味さやばかばかしさと紙一重だという洞察が、ここにはふくまれている。「不思議の国」とは、まさにそうしたルールを突き詰めた先に現出する「ノンセンス」の世界につけられた名前なのだ。

言語がつくりだす世界とノンセンス

 しかし、「不思議の国」でルールとしてのノンセンスが優越するのはどうしてなのか。それはこの世界が、言語そのものによって作られている世界であることと関係している。
 アリスの世界が言語の世界であることを示す例は、いくらでも挙げられる。アリスを含め「不思議の国」の住人は、とにかく皆おしゃべりだ(唯一喋らないのは第四章で出てくる子犬だけ!)。「狂った帽子屋」は「帽子屋のように狂った」という慣用句、「チェシャ猫」は「チェシャ猫のようにニタニタ笑う」という慣用句から、逆算するようにして作られたキャラクターである。さきほどの場面でも、アリスはネズミを、生身の生物としてよりもまず “mouse” という言葉として見ていたからこそ、記憶の中の文法書を引っ張り出してしまったわけだ。
 もっとも、言語にはルールやゲーム以外の側面がないというわけではない。けれどアリスの世界に充満する地口やパロディの言葉遊びの数々が、しばしば言葉を純粋なゲームにしてしまう。たとえばアリスが、ネズミの「お話(テイル)」を「尻尾(テイル)」と思い込み、頭の中で尻尾の形をしたお話を想像してしまうところ。意味や常識からすればどれだけ「尻尾」が奇妙でも、発音からすればまったく同じ。発音の規則だけに従えば、「お話」は「尻尾」のはずなのだ。

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 こんなゲームをプレイしつづけるのが、不思議の国の基本ルール。素材である言語の、秩序やルールとしての側面を純化することが、ノンセンスな世界の仕組みであるというわけだ。

エターナル・アリス……?

 ゲームが続いている間はルールを変えてはいけないというのが、ゲームのもっとも基本的なルールかもしれない。チェスのポーン(将棋の歩)が突然最強の駒になったり、いきなり駒がワープできることになったりしたら、対局が成り立たなくなってしまう。
 だからノンセンスは変化を嫌うと、シューエルは言う。進むことをやめた帽子屋の時計は、永遠に六時で止まったままだ。ハートの女王の口癖「首を切れ!」が漂わせる死のイメージは、変化を組み伏せようとする不変の象徴と言っていい。
 しかし、そうだとすると、七歳の少女アリスの「成長」はどうなるのだろうか。アリスが “grow” し変わっていくこと(ただしゆっくりと!)を、ノンセンスの世界は禁じてしまうのだろうか。次回はノンセンスの敵たるこの「成長」という主題を、十九世紀のほかの小説とも比べつつ考えてみることにしよう。

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プロフィール
文・勝田悠紀(かつた・ゆうき)

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程。専門はイギリス文学。最近は魚料理と将棋にハマっている。「フィクションの手触りを求めて」(『文学+WEB版』)をnoteにて連載中。

イラスト・はしゃ
マンガ家・イラストレーター。『さめない街の喫茶店』など。健康で活発なおばあちゃんになるのが夢。

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