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「日記の練習」6月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの6月の「日記の練習」です。


6月1日

6月2日

6月3日

6月4日
久しぶりに皮膚科の薬を顔に塗った。弱音を口にして得られる気持ちよさよりも、弱音を吐いて気持ちよさを得ようとした自分にうんざりするほうがからだに悪い、ことが、わかっているからツイートを下書きして消した。

6月5日
耳が塞がったような感じがして、こりゃもしやと思ったら案の定、突発性難聴再発である。耳鼻科へ急ぎ、簡易な防音室に籠っていろんなヘッドフォンでいろんな貝殻の音のようなものを聞いて「右耳が低音を聞き取りにくくなっていますね」という結論に。数年前にはじめて同じ症状になった時よりもひどくなっているらしく、眩暈がないかしきりに聞かれたが眩暈はない。いつもよくしてくれる先生がきょうも担当してくれた。「たのしくてがんばりすぎちゃったんだね、いつまで忙しい?」「とりあえず7月末までは」「だろうねえ、書くのが忙しいの? 書いたあとが忙しいの?」「いまは書いた後の忙しさですね」「書けたんだね、おめでとうね」。眩暈がなければおおむね投薬ですっと治るだろうという判断で、前回もそうしてすぐによくなったので賛成~と思う。帰宅してもう少し仕事をすすめようとするとフェーンと耳が痛くなり、からだが嫌がってらあ。わたしは大丈夫だと思ってるんだけど、からだがフェーンて言うのはかわいい。悩んだが、このさき半月くらいにやり取りのありそうな担当さんや仕事先のみなさんに、ちょっと耳の調子がよくないから、甘えさせてもらえる締め切りには存分に甘えます、という旨のメールを送る。それぞれの仕事先の皆さんが(自分の仕事によって負荷をかけたのでは)と心配するかもしれないことが耐えられず、申し訳なくてちょっと涙が出る。ださすぎる。みなさんが悪いのではなく、できる!やる!と前のめりに答えるわたしに数か月先の想像力がない、というか、数か月先の超げんきな自分がいると常に絶大に信じている。大丈夫だと思っているし大丈夫なんだけど、大丈夫じゃないらしい、ということが結構ショックで、めそめそ眠る。大丈夫なままで書いて働くために会社をやめたはずなのに。

6月6日

6月7日
玄関に置いていたわたしの日傘を起点に、とても綺麗な蜘蛛の巣が張っていた。ごめーん、と思いながら蜘蛛の巣を壊して日傘をさすと、まさに家主であったらしい蜘蛛がひゅるりとぶら下がってきたので、また、ごめーん、と思いながらその蜘蛛を植え込みの躑躅に逃した。

6月8日
「どう見ても大変そうでしたもん」と労ってもらう際に言われると落ち込んでしまう。前に会社にいたときもそういうことがあった。自分では適切に真摯に対応できると思っていた業務量が、傍から見たら無茶であった、という事実はぜんぜん認めたくない。溢れるように体調不良になった人全員に、わたしは「〇〇さんがんばり屋ですもんね」と言うようにしたいなあ、と思う。前にそう言われてうれしかったことがあるから。がんばっていると思えていなくても、「がんばり屋さん」と言われるのはとてもうれしかった。

6月9日
新刊の書店発売日。そればかりの一日。サイゼリヤで全力じゃんけん、全力ガッツポーズをしている学生がおり、わたしだってガッツポーズだぜきょうは。と思った。辛味チキンを取り合っていたのだろうか。そんなに白熱したじゃんけんで取り合う最後の一個が何だったのかだけ教えておくれよと思いながら退店。

6月10日 4:00
その車には弟と母が乗っていて、弟は絶対無理だという助手席のわたしの意見を聞かずに岩洞湖の中に車を突っ込んだ。どう見ても無理なのに、この浅さの湖なら車のまま突っ切って渡れるだろうということだった。母はなぜか「行け行け~♡」とノリノリで、わたしだけが、ちょっと、無理だって、渡れないって、死ぬって! と叫び、車は案の定コバルトブルーの湖底へと沈んだ。車窓から水しか見えなくなっても、弟も母もなぜか「おお~」と言っていて、わたしだけが、どうやって脱出すればいいのか、死ぬぞこれ、と考えていて、どんどん車は湖の底へ沈んで、明るい青だった水中はどんどん暗く、窒息する、やばい!
で、起きたら息が上がっていて、隣で寝ていたミドリに「どうしたどうした」と肩を掴まれていた。
「……夢見てた。岩洞湖に車で突っ込んで、もう無理だって思う夢」
「れいちゃんは悪夢のバリエーションが豊かでいいね」
「いまなんじ」
「3:40。きのう早く寝たぶん、早く起きちゃったのかもね」
「そうだね」
ミドリは安心したようにまた寝入った。明朝に息が上がった人間を心配して起きたうえ、すぐに「れいちゃんは悪夢のバリエーションが豊かでいいね」と言えるミドリのことを尊敬する。
寝れたけど、寝れなかったな。目がぎしぎしするので目薬をさして、ぼんやりと天井を見ながら考えた。耳の薬の副作用で不眠があるとのことだったが、今回はそれがよく出ていて、ここ数日うまく眠れず、眠れていないので日中もなんとなく足の裏が地面から浮いているような気がする。こちらの方言で言うと「はかはかする」というやつだ。ぼんやりした日々が続いたので、昨晩は液晶から身を遠ざけて、21時には無理やりにでも寝た方がいい、という結論になりそうした。寝起きの夢こそ悪夢だったが、いつも細切れに起きるのをまとめて6時間眠れたので、睡眠は十分な感じもした。せめて4時までは布団の中にいよう。それで目を閉じて昨日のことを考えた。

きのうはいい日だった。刊行日で、たまたま出かけた先で読者の方に会えたり、書店員さんと話ができたり、よく行く喫茶店のママがお祝いにカリカリ梅をくれたりした。小学生のとき、視聴覚室のレースカーテンをぐるぐる巻き込みながら歩いたときのような、ぎゅっとしたうれしさがあった。夕方になると仕事を終えたミドリを迎えに行った。花屋の駐車場に来てほしいということだった。朝、「刊行日!お祝いだ!」と喜んでくれているミドリに「あっ」と言い(花、ほしい)という言葉を飲み込む。また花をせびろうとしてしまった、最悪だ、と思っていたら、「お花?予約してあるよ」と言われる。そうであるならば、より、かなり、余計なことをしてしまった……とくよくよしていたが、小雨のなか花屋へ迎えに行った。駐車に手こずっていると店の角からミドリが出てきて、その後ろから花屋のスタッフが三人ぞろぞろと出てきたので慌てた。全員に「おめでとう!」と言われ、思った以上に大きくて、ぶわっとした桃色の花束を貰う。え~、すごい、え~!と叫んでいるだけであっという間に5分、10分経った。かぐやひめ、という名前のたいへん大ぶりな芍薬がふたつ入ったとても美しくかわいらしい花束だった。「出版祝いで、桃色と言われたかられいんさんに贈る花束じゃないかと思ったんですよ」と花屋さんは言い、それでわたしの好きな芍薬を入れてくれたらしい。ミドリはずっと「へへへ」としている。まさかお店の人がみんな出てきてお祝いをしてくれると思っていなかったので、本当にうれしい。お客さんが来たからと散り散りになったのだが(信じられないことに店内全員がお祝いにお店の外に出てくれていたのである)、車に乗り込もうとすると店主だけ小走りでまた来てくれて「あっ、これ、おめでとう!」と、枝のちっちゃいパイナップルをくれた。あまりにかわいらしい見た目なので爆笑しながら受け取る。「昔こういう、先っちょにふざけたでかいのついてるボールペンあったよね」「ありましたね」と言いながら手を振る。長い枝の先にちいさなちいさなパイナップルがついているさまは「パイナポ」と言うほかなく、更に表記にこだわることができるなら「パイナポ」という見た目で最高に気に入ってしまう。

そのあと盛岡駅へ。お祝いだからお寿司食べちゃおうかという話にもなったが、わたしたちはきのうわたしの実家でウニ丼を食べたし、お寿司は案の定混んでいた。サイゼリヤでパーティーだね。ソファに案内され、隣に花束を置いた。大きな花束は一人分の席をとる。そしてサラダをひとり一皿頼んで抱えるようにして食べてからミラノ風ドリアを頼む。サラダばかりにしていた日々が続いていたので本当に久々のミラノ風ドリアだった。
ペペロンチーノを巻きながら「でもさ」とミドリが言う。「『桃を煮るひと』は本当にうれしい本だよ。だって、はじめてあの部屋で全部書いた本でしょう。この一年たのしく暮らしながら、こんなにがんばっていい作品を書けるんだってことが証明できた一冊なんだよ。不幸じゃないと、苦労しないとってれいちゃんは言うけど、しあわせなままこんなにいい作品が書けるんだよ」と。「たしかに、今までの本は実家にいたときに書いていたり、会社勤めしながら書いていたりだったもんなあ」と言いながら辛味チキンを齧り、付け足す。「でも、がんばって書いたってきもちがひとつもないんだよ、たのしいばっかりで」ミドリが心底嬉しそうに目を丸くした「それがいちばんじゃない」。
そうか。まあ、そうだよな。時折、こんなに好きなことばかりしていていいんだろうかととても怖くなる日があって、しかし傍から見るとわたしはがんばっているように見えるらしく、それって、会社員の時からそうだった。がんばっている、と言われると、苦労や理不尽に耐えている、と言われているように感じて後ろめたいのかもしれない。ちがう、わたしはがんばっていない、やりたいことをやりたいようにやらせてもらうことは「がんばっている」ではない、と。でも、仕事が好きな人って意外とみんなそんな感じなのかもしれない。がんばってる感がないから、そのありがたさや後ろめたさで働きすぎちゃうんだろうか。そういう友人が結構わたしには多い。
ミラノ風ドリアが届いた。こんなに大きかったっけ。と思う。スプーンを差し込んで食べると、ああ、これがミラノ風ドリアだ。うま、と思うと、喉の根元からくいーっと押し上げられるように目の中に涙が溢れた。びっくりした。おいしい、と思ったら、うれしい、がようやく一緒に来て、びっくりした。ミラノ風ドリアおいしい、新刊うれしい、花束うれしい、盛岡にいるまま、作家になれた気がして、うれしい。
「まさか、作家になると思っていなかったし、会社を辞めてもなんとかやっていけると思っていなかったし、こんなに新刊をいろんなひとが喜んでくれると思わなかったし、新しい暮らしがたのしいと思わなかったし、こんなにたのしいまま作品を書き続けることが出来ると思わなかったし、あなたが盛岡に越してきてくれると思わなかったし、盛岡駅にサイゼリヤが出来る日がくるなんて、思わなかった」
わたしはスプーンを持ったままそう言った。ミドリは(げっ泣いてる)という顔をしてペーパーナプキンをわたしに差し出して「サイゼリヤで泣かないでよ、へんな送別会だと思われちゃうよ」と言い、わたしが涙を拭い終わって顔を上げると「おれが盛岡に来たこととサイゼリヤが盛岡に来たことは並列なのかよ」と言うので、「どっちも大ニュース」と笑った。

6月10日
わたしは本当に、「選べたかもしれないもの」を差し出されるのが嫌いだ。

6月11日

6月12日
元職場へ行き、新刊の謹呈をしてきた。そのままお昼でもどうかと言われたので「お蕎麦食べたい!」とげんきよく答える。それで直利庵。大好きなオニオンそばを頼むと、ここのかつ丼がおいしいから、と、社長と部長が2切ずつかつ丼を分けてくれて、そうしたらそれなりな量のミニかつ丼が出来上がり、うれしい。みんなからすこしずつ貰って出来るミニかつ丼みたいな暮らしをしているな、と思いそうになり、またなんでも比喩にするのをやめなさい。相談役に「やりたいことから先にやれよ、人生は短いんだから」と言われ、つくづくこの人がわたしに言うことはみんな掛け軸みたいになる。やりたいことから先に。そうですね。からだに気を付けて、と言われながら栗まんじゅうを沢山貰って帰ってきた。貰ってばかりの前職だったな、と改めて思う。

6月13日
眠ることを泥のようと喩えることがあるが、わたしの睡眠はそんなに黒くはなくて、水溶き片栗粉みたいな、あんかけみたいな、眠り。

6月14日
「せっかくあなたが盛岡にいるんだから、この街のためにあなたを使わないと損」みたいなことを言われてびっくりして具合が悪くなる。わたしのきもちは関係ないのか。こういうことがあるから、わたしは盛岡のためにも岩手のためにも働いてたまるかと思う。わたしはみちのく作家でも郷土作家でもない。はやく日本の作家になりたい。岩手の人たちから、岩手日報に載ったときしか仕事を理解してもらえないのが悔しい。わたしはもっと、全国規模で、いろいろ書いている。ぐったりする。利用されたり搾取されたりしそうになることから逃げるとき使う体力がいちばん無駄なのに、いちばんこそぎ取られて、こういう悔しいときだけみるみるすり減る。
くそ……と思っていたら滑り落ちるように耳の調子が悪化。痛え。急いで耳鼻科へ。強めの薬を出し直してもらう。

6月15日
あんたの格言になってたまるかよと思う日と、おまえの格言をわたしが塗り替えてやると思う日とがある。

6月16日
取材2件と、サインと、サイン会。インタビュアーさんが、前に買おうか悩んだことのあるとても素敵なブラウスを着ていたので「いいなあ!」と言ったら「あげますか?」と脱ぎだそうとしたので豪快に笑った。

6月17日
サイン会。パピコってやっぱ、ふたりでたべるものだ。

6月18日
トークショーとサイン会。会いたい人にたくさん会えた。野﨑さんと麗郷で溶けながら炒飯と酢豚定食。帰りにIDEETOKYOで展示を見てから帰る。新幹線の中ではいつもビールを飲むが、きょう、いま飲んだら完全に疲れがどっと来るのが分かったので干し梅とピュレグミと水を買った。
帰宅したらミドリがレモンクリームパスタを作ってくれた。鎌倉のコマチーナで買ったレシピ本の通りに作ってくれたそれは相当なおいしさで、空っぽになった皿をみつめていると「おかわりは、ないです」と言われた。
たくさんもらった手紙を見せびらかして眠る。

6月19日

6月20日
5歳といっしょに川に石を投げ入れ、石をひっくり返して虫を探した。川沿いの喫茶店で彼はコーラ、その母であるわたしの友人とわたしはアイスコーヒーを頼んだ。コーラとアイスコーヒーふたつがおなじコップで来ると彼は「みんなコーラ!」と喜んだ。たしかに見た目はほぼ同じである。彼はコーラにガムシロップとミルクを入れたいのだと言ってきかず、「こんどおうちでやってみようね」とたしなめる母を前に「え、でも気になるかも、ミルクコーラってありそうでないですよね」などと神妙な顔で言ってしまう。コーラ側はとっくにミルクコーラを試してだめだったからミルクコーラはこの世にないのだろう。でもそういう「とっくに」みたいなことをぶち壊し、やってみてだめだとわかりたいのが5歳だ。帰り道別れるまでの200mで彼には捕まえたい虫が何匹もいて、5歳はすごい。
そのあと歌会。いままで「先生」と呼んでいた人に「名前にさん付けで呼んでほしい」と言われてなんだかとてもうれしかった。
そのあと飲み会。ビール二杯と日本酒半合飲んだらぐらぐらしてしまい、モスコミュールは半分飲んでもらった。酔いやすくなっている。酔っていなければ行けたカラオケだったが酔っていたので行けなかった。

6月21日

6月22日

6月23日

6月24日
漠然とずっといらいらしている。追いかけても追いかけても追いつかない、拾っても拾っても次の球が止まらない。そういう2、3か月を暮らしていて、目の前を通り過ぎるひとつひとつに驚いて書き留めている時間がない。鎌倉くらいから、自分に起きる出来事に、それを書き留める時間が追いついていないから、常時もったいないと思ってしまう。ひとつひとつ摘まんで眺めて、へーと言って書き留めたいのに、4000字書けそうなことが一週間で八つも九つも起きて、そういう一週間が何度も続く。書きたい、と思っていたことは沈殿し続ける。書きたいことを抱え続けている重い頭は、当然うっかりうっとりする余裕がないから、原稿を書くときタスク消化のようなきもちになってしまい、もっと腕をぶん回したいのにその腕にはいくつも球を抱えている、みたいな、きもち。わたしが書けずにいて頭をもたげているときは常に、書くことが見つからないのではなくて、書きたいことがありすぎて処理落ちしている。
もっとひとつひとつ驚きたい。仕事のひとつひとつにゆっくり向き合いたい。読者の手紙にぜんぶ返事したい。のに、その余裕がない。むずかしいのだけど、これは正しくは忙しい、のではないと思う。サービスする余裕がないのが苦しいだけで、ぎりぎり、こなせてはいる。わたしはもっとサービスしていたい。サービスサービスぅ♡と葛城ミサトが言っているのをはじめて聞いたとき感動した。わたしじゃないか、と思った。14歳のことだった。

6月24日深夜
わたしは決してヘルシーではない。
猛烈に「ばか」と言ってほしくなって、ばかと言ってくれそうな人に連絡しようと思ったらその人からは光りながらくっついている蛍の交尾の写真が送られてきていて、ばかと言われなくても満足した。

6月25日

6月26日
扇風機を出した。去年、どうしてもこれがいいのだと言い張って高いほうの扇風機を買った。高いほうの扇風機は風がやわらかく、何のボタンを押しても「ぴん♪」と鳴る。

6月27日
わたしってうるさいな。と思い、落ち込む。

6月28日
父が、前にわたしがプレゼントしたかえるのカフスをもう一度欲しいと言う。踏んづけてかえるの足が折れてしまったらしい。「水曜日はかえるの日なので」と言われて驚く。水曜日だからかえるのカフスをつけると決めているサラリーマンが存在していて、それがわたしの父だとは……。喜んで買い直す。

6月29日7:30
東京へ行くために盛岡駅へ歩くと目の前にさわや書店の竹内さんがいた。何度かお店に行ってもなかなか会えないことが続いていたのでうれしくて、早足で追いついて「ヨ!おはようございます!」と言う。「おお!会ったら言いたいなと思ってたんだよ、ちょっと働きすぎ!休まないと!」と笑いながら怒られ、いままさに日帰りで東京の仕事をするところだったのと、今月は本当にちょっとがんばりすぎて体調を崩していたのとでどうしてばれていたのかとしみじみありがたく「フェ〜」みたいな声出してしまう。

6月29日 14:00
神様。わたしいま、六本木ヒルズで仕事をしています。

6月29日 17:30
思ったより早く仕事が終わり、予約していた新幹線まであと3時間あるからどこかで美術を見ようか、それか書店へ挨拶へ? それとも誰か誘ってお茶でも? と思い、いつでもすぐ来るヨーコを誘ったがヨーコは仕事のシフト中のようで「そのままかっこよく帰りな」と言われる。それもそうだな、と思い、新幹線を二本早めて、大丸でしなければいけない買い物を済ませ、明るいうちに帰る。地下で売られるビールもカツサンドもちいさなちらし寿司も我慢したのに、涼を求めて買うつもりなく入ったコンコースの弁当屋で大船軒の押し寿司を見つけてしまい我慢できず買う。新幹線が走り出すと隣の座席の人はターバンのように頭を覆える目隠しのついた首用のU字のクッションをはめてすぐに寝入りかっこよかった。そのクッション欲しい、どこのですか。
ああ疲れが来た、と思うとき「ドッ」と言ってみることにしている。ドッ。

6月30日
7:30に起きたのに12:30まで二度寝してしまう。それで疲労がようやく取れた。昼過ぎからもぞもぞ動き出して買い物へ。ロフトで買おうと思っていた肌が白くなるクリームは品切れしていた。バズった化粧品は店頭に並んでいないと思ったほうがいい。
オールバックの人を見ると「速そう」といつも漠然と思う。新幹線みたいで速そう。


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タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。2作目の食エッセイ集『桃を煮るひと』が発売中

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