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【2割の表の会話で8割の隠れた本音を表現する】脚本家・大石 静さんインタビュー〈後編〉――『大河ドラマ「光る君へ」電子シナリオ集[全4集]』

大河ドラマ「光る君へ」電子シナリオ集[全4集]の発売に合わせて、脚本の大石静さんにロングインタビューを敢行!
作品への想い、台本のよみどころなど、大石さんにたっぷり語っていただきました。
すべての「光る君へ」ファンへ、お届けします。


ドラマ本編についてもお話を伺います。
>シナリオと放送との違いで、印象に残ったシーンはありますか?

 良くも悪くも、シナリオを書いた時の私のイメージとは、相当違う仕上がりになるのが常です。よい意味で挙げれば、例えば第21回。ききょう(清少納言)が『枕草子』を書き始めるところ(シーン25)。あそこは私の台本の10倍ぐらい演出で膨らんでいたと思います。台本では、ききょうが書いている、そして時間が経過していく、くらいの簡単な書き方なんですけど、原英輔はらえいすけ監督がゾクッとするほど感動的な「『枕草子』誕生」にしてくれました。第21回は、越前に行く前のキスシーン(シーン32)もあり、「いつの日もいつの日も・・・・」のセリフのやり取りもグッと来ました。台本も演出も役者もみんなの想いがうまく絡み合った思い出深いシーンです。

 第16回の悲田院で倒れたまひろを邸に連れ帰って看病するところ(シーン35~37)も胸キュンでした。自分の書いたものになかなか胸キュンしませんが、ここはしましたね。

 あとは、第42回の宇治の川辺のシーン(シーン48)。「お前との約束を忘れれば、俺の命も終わる」と言う道長に、まひろが「わたしも、もう終えてもいいと思っておりました」、「この川で、二人流されてみません?」と言って、道長が泣くところとか。

 そして最終回、ラストのまひろ&道長。瀕死の道長とまひろのシーンは、中島なかじま由貴ゆきチーフ監督の演出も役者二人もすばらしかったです。柄本さんの短期間の減量も壮絶だったし、あのシーンはラブシーンではないですが、二人が本当に長い間求め合い、支え合い、愛し合って来たことが、静かに表現されていてシビれました。台本を遥かに超えた仕上がりになってました。

全話の放送が終了している今だからこそ、そんな最終回についても教えてください。
>道長の最期を看取ったのは、倫子なのでしょうか?

 まひろが「続きはまた明日」と言って帰って、そのあと倫子が来たときには道長はもう死んでるんですよ。道長は、まひろが「続きはまた明日」と言った時にはほとんど意識が朦朧もうろうとしていて。彼女が出て行ったあと、まひろを求めて手を出して一人で死んだ、という感じです。そして倫子はそんな、まひろを求めて出している手を、布団の中に押し返す。「このやろう」っていう感じで(笑)。中島監督の演出は、道長の手を静かに倫子が納めるという感じだそうです。道長の「幻」が続いていくというか、だからまひろは死に目には会わない。まひろが家で何か書いているとき、道長の「まひろ」と言う声がします(シーン34)、まひろはこの時、道長の死を認識したという風に描きました。

>まひろの最後のセリフ、「嵐が来るわ」も印象的です。どうしてあのセリフだったんでしょうか?

 プロデューサーや監督との会議で、最後に武士の時代を感じさせて終わろう、っていうのは書き出す前から決まっていました。
 でもまひろの人生も、書くこともまだ続いていくということで、最終回のラストに「おわり」とか「完」は出さなかったのは、中島チーフ監督の演出です。私の台本には「おわり」って書いてあるので、今回もそのまま出版します。

>最後に、シナリオ集の楽しみ方やおすすめのポイントを教えてください。

 時間がなくてカットになったところも残っているので、それはそれで興味深いかもしれません。回を追うごとに役者の芝居のが長くなって、台本はどんどん短くせざるをえなくなり、毎回「長い長い」と言われて苦しかったです(笑)。そして、作中には和歌や漢詩がいろいろ出てきますが、放送では一切、その解釈などをテロップで出さなかったので、どういう和歌だったか、どんな漢詩だったかなど、ゆっくり読んでいただけるのではないでしょうか。私自身も、中学で漢詩を習ったときには、こんなこと何で教えるんだろう、と思ってましたが、このドラマを書いて、漢詩の美しさや、簡潔さの美学のようなものがわかり、漢詩の魅力を知りました。また日本独特の五七五の調べも、台本で今一度堪能していただきたいです。
 台本を書くときは、頭の中に映像を浮かべながら書いていますが、監督の感性や役者の感性やスタッフの手が加わって、完成したものは最初のイメージとは相当違ったものに仕上がります。読者の皆さんは、映像から入って、その後にこの台本をお読みになり、イメージの違いを楽しめるかも知れません。

>シナリオには、ノベライズ(小説)とはちがうおもしろさもあると思います。

 脚本は小説とは違い、地の文がなく、セリフだけで紡がれるものです。そもそも人間というのは、8割の本音を隠して、2割の表層の会話で生きていると思っています。だから、その2割の表の会話で、8割の隠れた本音を表現するというのが脚本の難しいところ。特に「光る君へ」は、全編を通して本当にそれが顕著に表れています。道長は素直だけど(笑)、まひろは気難しい人なので、なかなか本音を語りません。たとえば第45回で、まひろが海辺を走っているところ(シーン29)も、一見、表の2割で爽やかに走っているように見えるけれど、奥底の8割は、『源氏物語』を書き終えて燃え尽き症候群になっており、彰子あきこは太皇太后になって権力を持ち、娘の賢子かたこも女房になって自立して……、自分は必要とされなくなってやりきれない、という虚しい想いを吹っ切るように走っているのです。そんな裏の本音と表層の違いに注目しながら読んでいただけると脚本家冥利につきますね。

「光る君へ」セットにて

プロフィール
大石 静(おおいし・しずか)
東京都生まれ。1986 年に脚本家としてデビュー。連続テレビ小説「ふたりっ子」で97 年に第15 回向田邦子賞と第5回橋田賞を受賞。「セカンドバージン」で2011 年に東京ドラマアウォード脚本賞受賞。21 年にNHK 放送文化賞受賞、旭日小綬章を受章。執筆作に「知らなくていいコト」ほか多数。NHK では、大河ドラマ「功名が辻」、連続テレビ小説「オードリー」などを執筆。

インタビュー〈前編〉はこちら

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