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手巻き寿司の適量を追い求めて――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は読んでいるとおなかがすくこと間違いなし、手巻き寿司のお話です。
※当記事は連載の第23回です。最初から読む方はこちらです。


#23 ちょうどいい量

 この連載が四年分まとまった初エッセイ『とりあえずお湯わかせ』に詳しく書いたのだが、コロナ禍を経て、人を呼ぶことはもちろん、手作りの料理を振る舞う機会はなくなり、よって節分に恵方巻きをつくって、配り歩く習慣は消滅した。代わりに2月3日は、中年の男女と五歳児の家族三人による手巻き寿司が恒例となる。しかし、手巻き寿司といえば大人五人以上がデフォルトの黄金期が身体に染み付いているため、酢飯、具材を用意しすぎてしまい、なかなか減らない刺身や卵焼きを見つめながら、切ない気持ちに――。

 と、ここまでは2022年の話である。今年の私は大進化を遂げた。節分が近づくにつれ、ひたすらイメージトレーングを積み、家族三人でぴったりと食べ終えられる、かつ物足りなくもない、絶妙な量とメニュー展開を編み出したのである。

 まず、ご飯は二合炊く。ここで大事なのはカッとなって全部寿司桶に入れて酢飯にはしないことだ。寿司酢を混ぜるのは、一合半に少し足りないくらいの量がうちはベスト。残りは保温しっぱなしで控えにしておく。経験した人ならわかると思うのだが、手巻き寿司で酢飯が足りなかった時の絶望は本当にすごい。だから、ついつくりすぎてしまうのだが、二合はどう考えても多いのだ。でも、足りなければ、炊飯器の中に残しているご飯をすぐさま酢飯にしてしまえばいいのだ。そう想定しておけば、寿司桶の底が見えてきても、心がスッと安定する。ちなみに、ミツカンの「すし酢」と白ごまを混ぜるだけなのですぐにできる。 海苔は保存がきくので、大量に用意しておく。

 さて、私が好きなネタは白いもの。夫はウニ、イクラ、マグロ。子どもはコーンと甘いタレのかかった穴子と焼肉しか食べない。去年までは色々な刺身のパックを単体で少しずつ買っていたせいで、とんでもない量になり、数日にわたり、漬けの海鮮丼を食べるはめになった。もちろん、それはそれで美味しいのだが、やはり刺身は鮮度が命なので、一日で食べきりたいのが本音だ。
 そこで、今年は迷わずに節分限定の手巻き寿司用の刺身盛り合わせパックを買った。うちの近所のスーパーで毎年出るこれはイクラ、マグロ、二種類の白身魚、甘エビ、サーモン、イカ、たたいたトロが少量ずつパックされている超お買い得商品だった。これにチルドパックされた煮穴子と量が多くないウニの刺身を購入する。
 心に叩き込んでおくべきは、食卓の中心はこの刺身だということ! 酢飯よりもまず、食べきるべきは刺身。ここを終わらせることをまず、念頭に置く。大人数時代は、ここにチャンジャ、キムチ、クリームチーズ、生ハム、魚肉ソーセージ、かんぴょうなど、あらゆる食材を自由闊達にプラスしていた。人によっては刺身よりも、魚肉ソーセージを多く巻いていて、そんなところに個性が出ると、大盛り上がりしたものである。あの豊かで、おおらかな時代を懐かしむと、調理の手が止まってしまうので、どんどん先に行く。  万人受けする、悪くいえば、あまり特徴がない、刺身盛り合わせパックを美味しく食べきるにはコツがある。白身、甘エビの類を抜いて、昆布ではさんで、二時間ほど昆布締めにする。これだけで一気に単調さが消える。サーモンはレモン汁、アボカドと和えておく。たたいた梅、紫蘇、ネギは、大人数時代からのスタメンだが、くし切りにしたレモン、粗塩、オリーブオイルは今回大活躍してくれた。醤油とわさびの合間にはさむと、さっぱりと洋風な味わいにしてくれる。卵焼きはついつい卵三個使いたくなるが、二個でもまだ大きい。コーンは缶詰一個分を軽く炒め水分を飛ばす。焼肉は大量に用意したくなるが、子どもが食べる分だけほんの一握りを炒めて甘いタレをからめておく。余ってもあまり困らないアボカドは1コ、たくあんは5枚と普通の量にした。
 最後に大事なのは、副菜だ。食べなかったら明日出せばいいくらいの気持ちで、甘めの高野豆腐と菜の花をさっと薄味で炊き合わせたものを置いておいた。酢飯だけでお腹いっぱいにしなくてもいい、となると、食べる量をこれでコントロールできる。とろろこんぶと味噌にお湯を入れた汁物も、簡単だけどないよりあった方が断然いい。
 最初に海苔をご飯で巻いた瞬間から、私は、今回はこれはいけるぞ、と確信した。刺身とご飯がちょうどよい分量で淡々と、一定のリズムで減少していく。全員いい具合でお腹がいっぱいになったところで、寿司桶を見ると、にぎりこぶし一つ分くらいの酢飯を残してほとんど空になっていた。残った刺身は五枚。ぴったりで終了というわけにはいかなかったが、うちとしては大健闘である。こんなことは本当に初めてだ。ミニマムな手巻き寿司の呼吸を三年目にしてやっとつかんだのである。
 あと、案外、これがコツなのかもしれないが、今回、ひきわり納豆を用意しなかったことも良かったのかもしれない。手巻き寿司で納豆があると、確かに美味しいし、うちならではの気安さが爆発する。おまけに、どの食材にも合うのだが、納豆の満足度が高すぎて、刺身を食べたい欲がやや失せるかもしれない。
 美味しいものをいっぱい作っていた時代も楽しかったけれど、今は賞味期限内ぎりぎりの冷凍パイシートでさっとアップルパイを焼くとか、子どものおままごとの延長のような気分で少量の強力粉をこねて極小ピザに残り物を乗せて一枚だけ焼くとか、もうダメになりそうな漬物を刻んで餃子の具にすることなどに、快感と美味しさを見出している。無駄なく食べきることで美味しさが増す。少人数手巻き寿司、慣れてきたら一人分にもチャレンジできるのではないか? と目論んでいる。

次回の更新予定は3月20日(月)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』など著書多数。

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