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シン・アナキズム――連載「アナキスト思想家列伝」by ディオゲネ子(重田園江)

 デイヴィッド・グレーバーの著作をはじめ、いまあらためて注目されているアナキズム思想について、その繊細さと多様性を保持しながら魅力を伝えていく「列伝」形式の連載。今回は1人目「ジェイン・ジェイコブズ」の第3回、完結編です。※前回「ジェイン・ジェイコブズ2」を読む方はこちらです。

ジェイン・ジェイコブズ3

タワマン、宮下公園、オリンピック

 すっかり長くなってしまって、正月返上で(長い原稿を一気に書いたので書いていたのは2021年の正月休み)少し嫌な気分になってきた。だがもう少しだから気を取りなおしてつづけよう。読む方もがんばってください。ジェイコブズをめぐってここまで書いてみて思うのは、二つの事柄である。
 一つ目は街に責任を取るのは誰かについてだ。私は気づけば35年も東京に住んでいて、勤務先も千代田区という都心中の都心なので、東京がどうであってどう変わってきたかを、それなりに身をもって体験してきた。住んでいる練馬区には、駅の高架化とそれに伴う中途半端な再開発、畑を潰して品のない宅地を造成する程度の、戦後日本がくり返してきた小さな変化の延長以上のものはない。気づけば畑はほとんどなくなり、マンションもちらほら建つが、沿線の駅はどれも同じバッタもんのレゴブロックみたいな作りで、新しいのに未来感も何もなく安っぽいだけ、少し歩けば宅地や低層住宅中心の徐々に高齢化が進む凡庸な街並みになる。かつてあった素敵な街並みがなくなったわけでも、風景が一変したわけでもない。
 これに対して、千代田区神田駿河台1丁目1番地の明治大学「リバティタワー」からの風景は激変した。20数年前には23階建のリバティタワーから皇居まで、高層建築は数えるほどしかなかった。だがいまでは、ニョキニョキとそびえ立つビル群で、皇居がどこにあるのかさえよく探さないとわからない。なかにはオフィスビルも多いが、タワーマンションもあちこち混じっている。御茶ノ水駅や神保町駅のすぐそばに住んで街を見下ろそうという人が結構いるのだ。品川、赤羽、そして街並みが完全に変わった豊洲など、タワーマンション群がひしめく場所は東京中に増えた。電車に乗ったり首都高を車で走ったりすると、高層の建物が空間を奪い合う様子に毎回びっくりする。
 タワマンブームもそろそろ終わりといった言説も時折みられるが、都心部や駅近物件は相変わらず建てれば売れるようで実に不思議である。なぜ不思議かというと、たとえば30年後、40年後にこれらの場所はどうなっているんだろうと思うからだ。現在すでに老朽マンション問題は深刻なので、皆知らないわけではないだろう。コンクリートの建物の寿命は60年と言われるが、建築物の寿命とそこに住む人間の寿命がシンクロしていることになり、将来廃墟と化すであろうタワマンの残骸を想像するだけで恐ろしい[※1]。
 そもそも、上があるからには下もある。低層階の人の暮らしは見晴らしとは縁遠いものだ。一方で高層階では停電したら、天候がいい日のエベレスト登頂のように混雑する山道階段を順番を待って上り下りしなければならない。停電でタワマンは機能停止し、トイレも流せず生活できないことは、大雨で内水氾濫した武蔵小杉のタワマンの悲劇で知れわたった。
 また、タワマン群の間のスペースはがらんとしていて、通路や道は人にとって目的地までの通過点以外の役割を果たさない。そのうえ高い建物は巨大で陰鬱な影を作り、人は建物の質量に圧迫を感じて落ち着いた気持ちでそこにとどまることができない。さらに高層建物のそばというのは激しい風で飛ばされそうになる。つまりジェイコブズが愛した街路というものが、ここにはまったく存在しないのだ。こんなところをうまい広告と虚栄心をくすぐるキャッチコピーで天国であるかのように売り出し、地面から遠く離れた中空に人をぎゅうぎゅう詰め込んで住まわせた責任を、将来誰が取るのだろう。デベロッパーや不動産業者でないことは確実だ。そして行政も、タワマン問題が噴出する頃には、開発当時の関係者は誰も残ってはいない。
 オリンピックでまた調子に乗って性懲りもなく湾岸を開発しているが、これらの建物群はレガシーというより将来世代への負の遺産でしかないという考えなど、開発に夢中の人たちの頭にはまったくないのだろう。渋谷の宮下公園はジェントリフィケーションの典型のような経緯をたどった場所であるが(もちろん開発側はこれを認めていない)、もともとはオリンピック開催決定以前から動いていたナイキの名前を関した「パーク」計画が、さまざまな反対に遭いながらも新たな中心事業者となった三井不動産の意向を最大限に生かした開発をとうとう実現した。かつての宮下公園同様高架になったパークの下には、ルイ・ヴィトンやグッチの店舗が入っている。ちなみにルイ・ヴィトンもグッチも環境問題やサステイナビリティへの配慮をHPやインスタなどで謳っているが、行政代執行による野宿者排除を経て作られたビルに、巨大な企業ロゴを掲げて店を構えることは気にならないらしい。
 宮下公園は野宿者排除とオリンピックを口実とした下品な再開発の典型で、きわめて評判が悪いが、柵や囲いや警備員を使って抵抗や反対をスルーしつづけながら計画を進めた。こうしたプロセスも出来栄えも絶望的な再開発は、行く度に新しい建物が建って風景が変わるように見える渋谷地区全体の都市計画の一部である。これは明確にオリンピック招致の決定と連動した計画だ[※2]。

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【写真】ショッピングモール化した「MIYASHITA PARK(宮下公園)」渋谷駅側入口。手前のオブジェはハチの子孫の「きゅうちゃん」。ネーミングセンスが鈍く光る(2021年3月撮影)

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【写真】東側・明治通りから見た、宮下公園。ルイ・ヴィトンは世界初のメンズ旗艦店としてオープン(2021年3月撮影)

 そしてオリンピックが開催される国立競技場周辺、虎ノ門駅周辺、高輪ゲートウェイ駅前、湾岸エリアなどでも、やはり同じようなことが起こっている。国立競技場近くには、芝生広場(といっても猫の額のような狭さ)にある五輪マークの立像が写真スポットとなっている「日本オリンピックミュージアム」が建設された。ここはオリンピックのレガシーを展示する場所なのだが、まだ何のレガシーもないので、展示に苦労しているようだ。今回のオリンピック招致をめぐるゴタゴタや負のレガシー、疑惑や失言で辞任した高官の歴史を展示したら、この建物で足りないほどになりそうだが。そして、国立競技場駅のA1出口のすぐそばには、「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」という三井系のホテルが建っている。国立競技場から外苑前、青山一丁目あたりの再開発計画の主体も、やはり三井不動産だ[※3]。

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【写真】「日本オリンピックミュージアム」の五輪エンブレムとちっちゃい広場(2020年5月撮影)

■オリンピックミュージアムとクーベルタンIMG_1491

【写真】いろんな意味でオリンピックの原点を作っちゃったクーベルタンの銅像(2020年5月撮影)

開発のスピード

 こうした開発は近代化に伴ってつねに行われてきたのだから、珍しいことでも責めるべきことでもないと言われるかもしれない。いやいやしかし、日本の都市開発のあり方には二つの点で危惧を抱かざるをえない。まず、たとえばジェイコブズだって、ニューヨークをアメリカ人が征服しにくる以前の自然豊かな場所に戻せと言ったわけではない。彼女は都市が大好きだったし、都市が作られ造りかえられること自体を否定しているわけではない。都市は変化する運命にあるのだ。だが、住民が不安になったり絶望したり、また解決できない破壊的な問題をもたらすのは、開発のスピードではないかと私は思っている。
 都市の建物は老朽化し、少しずつ入れ替わっていく。しかしそれを、いっぺんに壊して広範囲を一気に新しくするのは危険である。生物にたとえると、体の大部分を一度に移植して入れ替えたら死んでしまうだろう。都市が生きているとするなら、それはゆっくり少しずつ改変されるべきなのだ。ニュータウンのような新しい街も同じで、建物を一度に作り外部から人が大量に流入するから、問題が顕在化するのも急なのだ。そうなると街が持ちこたえる力に対してそれを蝕む力の方が大きくなり、もはや対応できず、街そのものが崩壊してしまう。映画『ジェイン・ジェイコブズ』の中に、都市論者が中国の街について語る場面が出てくる。昨年の新型コロナ流行の時、武漢の街並みの近代性と新しさ、そしてどこまでもつづく高層マンションに驚いた人は多いはずだ。中国にはあんな風に急速に開発された街並が全土にある。それがもたらす問題は、おそらくジェイコブズのニューヨークより、そして現在の東京よりずっと劇的なしかたで表面化することになるだろう。

新宿にあった「暗がり」

 もう一つは、やはり開発スピードとも関係するのだが、街から奥行きのある暗がりが失われることである。たとえば新宿の中で、東口の歌舞伎町方面は、いかにも怪しい繁華街で、そこにあるのはキッチュな「アジア的野蛮」に見える。それに対して、かつての南口から東方面つまり今のJR東南口の甲州街道を挟んで向かい側、バスタ新宿から新宿高校にかけては、かつて貧民窟があった名残もあって、歴史的な背景を持つ暗がりが見られた。林芙美子の『放浪記』に出てくる旭町の木賃宿は、現在のタカシマヤのあたりである。長い歴史の中で、小さな建物と小さな人々が行き交い住み着き壊されて旅立っていった地域というのは、不思議な奥行きを伴った闇を抱えている。それは都市の捉えがたい魅力の一つだろう。
 人の生が秘密を持たなければ成り立たないように、都市にもまた秘密が必要である。それをもたらしてくれるのは雑多さと闇で、とりわけ奥行きのある闇を生み出すことができるのは、ゆっくりと作られ、少しずつ蓄積してきた都市の歴史以外にないのだ。バブルの衝撃以来、このあたりはすさまじい勢いで再開発された。かつての面影は明治通りの東側、新宿高校の校舎と校庭の間に三角形に刺さるような変な形の区画の、天龍寺とその周辺の簡易宿泊所に残るのみだ。東南口から地上に抜ける通路と今は「フラッグス」というビルになっているあたりも、八〇年代終わりまでまだなんとも昭和的な「台北飯店」のような飲食店が残っていた。都市が闇を失う代償として、開発業者がかすめ取っていく巨額の利益以外には、どこも似たようなビル群しか残らないのならあまりにさびしい。
 バブルがはじけて一時的に反省しているように見えた東京の開発業者や行政担当者、土建屋の方々は、いつの間にかバブル期にやっていたのと同じことを、前以上の勢いと周到さで再開し、いまでは東京はピカピカの巨大建物だらけだ。これっておかしくないだろうか。マスコミもバブルをさんざん虚飾の世界とけなしていたのに、それに代わるヴィジョンなど一切出てきていない。新しい建物を建て、そこに似たようなテナントを入れ、タワマンに住まわせ、飽きられたらまた新しい建物に変える、これが魅力あるまちづくりだろうか(ただし住居はテナントビルのようには建て替えられない。区分所有という偽物の個体的保有が立ちはだかるから)。
 この前『エンター・ザ・ボイド』というギャスパー・ノエの映画に出てくる新宿を見て寒気がした。ヨーロッパ人の酔狂な趣味からするとジャンキーがたむろするディストピアの未来都市イメージそのものなのだろうが、こんな汚く奥行きのない絶望的な街を誰が作ったんだろうと嫌になる。そもそもギャスパー・ノエに見出される時点でおわっている。土地を買い、建物を建て、それを売った人たち、そして開発を認可し街づくりと称した人たちは、その街の風景に責任を取ることはない。では街をまともなものにする責任は誰の手に委ねられているのだろう。見た目だけは変貌するが空疎さは不変の東京に暮らしながら、私は長いことこれが気がかりだった。そして、街のあり方に責任を取る人がいないから、東京はこんなにもひどい街になり、それがどんどん加速しているのだと考えるようになった。ジェイコブズは「誰が街に責任を負うことができるか」の問いに、明確な答えと一つの解決策を与えてくれる。
 戦後の開発業者は『平成狸合戦ぽんぽこ』の大規模開発をやって山を根こぎにしたが、高齢化で機能不全に陥りつつある郊外を見放して、いまや都心のタワマン開発に夢中だ。そこに開発の責任の自覚も、責任を負わせる仕組みも一切ない。これを変えなければ街も居住もボロボロになってしまうだろう。
 街に責任を負うことができるのは、そこに住む人々だけだ。だから彼らが責任を負えるような街づくりを目指すべきなのだ。目先の金儲けや見栄えのよい建物群にしか興味がない人たちは、作ったら去っていく。そこから金や名誉や功績を引き出して。後に残るのは、紐帯を欠いた「街のような見せかけの別の何か」でしかない。

マンスプレイニングに抗する

 二つ目は、マンスプレイニングに関わる事柄だ。ジェイコブズが相手にしなければならなかったのは、都市政策と開発の専門家、行政の担当者、デベロッパー、土建屋、建築家、その他再開発で利益を得る業者や利権保有者であった。彼女が活躍した1950年代から70年代には、こうした人たちはほぼ全員が男性だった。開発計画や現地での、関係者の写真と映像は、見事なまでにスーツを着た男性で固められている。そもそも巨大資金を動かすプロジェクトに関わり名を残したり名に代わる何かを残したつもりになるのは、生活実感と乖離した古き「男性的」モラルに関係があると思う。悲しいことに、とりわけ日本では現在もスーツで固めたこのモラルはあまり変わっていない。どこにいっても相応の地位にある集団はスーツの男性で占められている。そして女の人は話が長いだとか(森喜朗前JOC会長)それが日本社会の本音だとか(中西宏明経団連会長)許しがたい発言が次々出てくる。異様な国だ。
 話をジェイコブズに戻そう。ニューヨークの開発請負人ロバート・モーゼスは、ワシントンスクエア公園を突っ切る道路計画に反対するのは「主婦どもだけだ」と言い放った。また『アメリカ大都市の死と生』を『ニューヨーカー』誌上で書評したルイス・マンフォードは、彼女を「ジェイコブズ母さんMother Jacobs」(中年女の意味でもある)と呼称し辛辣に評した。そして、同書の全訳という本当にありがとうな仕事をした山形浩生は、「訳者解説」でこれは親しみを込めてなのだが、彼女を「そこらの一介のおばさん」と呼んでいる。つまりジェイコブズは、主婦であり中年のお母さんであり一介のおばさんということになる。それらはすべて事実だが、男性に同じような呼称をこうした場面で使うだろうか。私は自分の本の書評の見出しに「中年のおばさん重田氏の新著」と書かれたくはない[※4]。
 モーゼスのような開発推進派の「専門家」は、大半が都市工学やら土木工学、あるいは建築学の学位を持っており、学もない素人としてジェイコブズのような市民活動家をバカにしていた。社会的地位とコネと権力そして動かせる金を豊富に持つこうした人々は、ジェイコブズが彼らを一顧だにしないことに腹を立てたが、彼女が女性であることで怒りと軽蔑が増幅されたように思われる。彼女はローワーマンハッタン道路建設計画に関する公聴会という、すでに裏で話がついていた結論をあたかも市民の意見を聞いたかのように見せる場で、壇上に(ふんぞりかえって)座るニューヨーク市関係者と対等な立場で意見を述べるため、彼らと同じ高さにのぼって発言しようとした(そして逮捕された)。彼女のこの行為はとても重要である。スーツ姿の中年男性に占められた当局関係者が、老若男女が混じった公聴会参加者の市民を見下ろしている。こうした構図そのものを変えること、「一介のおばさん」にそれができると示すことが、彼女の挑戦だったのだ。
 都市に責任を持つのは誰かという問い。そしてセレブが好むような地位にない中年女性が、多くの人を説得して政治と社会を動かすことの困難。ジェイン・ジェイコブズという人物をめぐってこれら二つの絡み合いを考えるとき、彼女のセンスと先見の明が輝きを増す。ジェイコブズがアナキスト思想家列伝の一人目としていかに申し分のない人物か、じんわりと伝わるはずだ。

「ヴァンダナ・シヴァ1」を読む

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※1 タワマンをはじめとする都心マンションがコロナ禍でも売れつづけるのは、金余りが関係しているらしい。金融主導による景気の下支えによって一部富裕層は投資の行き場を探しているという。一般人には理解しがたいが、日本は不況かつバブルなのだ。奇妙な現状をもたらしている一因は、黒田東彦日銀総裁体制による底なしの金融緩和なのだが、これは完全にやめ時を失っている。出口戦略は何年も語られてきたが全くの口だけで、どうやら戦略はない。この点は多くの人がうすうす勘づいているだろう。念のため確認しておくと、得意の人事介入で日銀総裁選びに露骨な圧力をかけ、さらなる金融緩和とリフレに懐疑を表明した白川方明総裁を任期途中で追い出したのは、安倍晋三政権である。その後リフレ派の日銀審議委員を次々と送り込んだ。菅政権も同じ方針らしく、2021年1月の審議委員交代でもリフレ派の新委員(野口旭 専修大学教授)を選んだ。2020年10月には内閣官房参与にもリフレ派の髙橋洋一(嘉悦大学教授)が入っており、恐ろしいかぎりだ。経済活動の自由や規制緩和を主張する新自由主義が、実際には国家による巨大規模の経済介入に至ったこと、そして一旦はまり込むとそこから出られないことについては、別に考察する必要があるだろう。ここでは、こうしたやり方がトランプ政権の最高裁人事を想起させることを指摘しておく。双方ともに影響は長期にわたり、じわじわやってくる。そして誰もその責任を取らない。
※2 宮下公園を中心とする渋谷再開発の詳細は、木村正人「〈共(コモンズ)〉の私有化と抵抗――渋谷におけるジェントリフィケーション過程と野宿者運動」『空間・社会・地理思想』22号、2019年、p.139―156(https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/13423282-22-139.pdf)を参照。
※3 オリンピックの延期が決定したころの国立競技場周辺の様子は、重田「神宮の『杜』を歩く。」『東京人』428号(2020年8月号)p.9に書いた。
※4 これは一部読者にフェミニストの揚げ足取りと思われるかもしれない。ずいぶん前に新聞の夕刊で私の略歴を著書とからめて紹介する記事を書いてくれたことがあった。原稿では、担当記者の思いに基づいて私の人生のストーリーが半ば創作されていたので困惑し、本文は手直ししてあまりにも実態とかけ離れたものではなくなった。だが刷り上がった紙面を見ると、欄外に「夫との間に一男一女」と書かれていた。欄外に、だ。この情報を断りもなく入れること、そしてそれを取材相手に断る必要もなければ、読者にとって有用な情報だと信じていることに、女性が「普通に仕事をする」社会の到来が途方もなく遠くに感じられた(記者は女性だった)。たかがその程度のことかもしれない。だがそういうことの積み重ねで世の中が作られるのだ。それ以来注意して見ているが、特段内容に関係がないのに「妻との間に一男一女」と書いてある男性の紹介文には一度も出会ったことがない。

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プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)

明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)など。

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