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こころが思うようにならない人へ――「不安を味方にして生きる」清水研

 がん患者専門の精神科医として、4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さん。こころに不安や困難を感じている人に向けて、抱えている問題を乗り越え、限られた人生を豊かに生きるためのヒントを伝える『不安を味方にして生きる――「折れないこころ」のつくり方』(清水研/NHK出版)が9月27日に発売になります。本書は当ウェブマガジン「本がひらく」に連載された「不安を味方にして生きる」(2023年5月~2024年9月)を加筆・修正し、再編集したものです。刊行にあたって、書籍『不安を味方にして生きる』より「はじめに」を特別公開。「折れないこころ」とはどういうものでしょうか? 不安や悲しみといった負の感情を「味方」にするための心構えが身につく1冊です。


「折れないこころ」とは?

 『不安を味方にして生きる』という書名に、みなさんはどのような印象をもたれたでしょうか?
 「ネガティブな感情の〝不安〞が味方になる?」と驚かれたかもしれません。「ポジティブ思考は大切」とよく言われるためか、不安や悲しみ、怒りなど、ネガティブな感情は良くないという誤解があるように思います。
 心理学の知見を紐解くと、不安にも大切な役割があることがわかります。それは危険が迫っているという警告であり、ある意味、不安のおかげで人類は太古から絶滅を免れてきたとも言えます。

 近年、「折れないこころ」を意味する「レジリエンス」という言葉を耳にするようになりました。レジリエンスはもともと物理学の用語であり、バネが収縮したあと、元に戻る復元力を指します。それが心理学にも用いられるようになり、こころが一度落ち込んでも、そこで折れずにまた元に戻るさまを「レジリエンス」と呼ぶようになったのです。
 柳は強い風が吹くとすぐにたわむので一見弱いように見えますが、風がやめば元の姿に戻ります。一方、まっすぐで硬い木は、ちょっとの風ではびくともしないので強いように見えますが、強風にボキッと折れてしまうことがあります。
 こころも同じで、ストレスがかかったときに動じないように無理をすると、ある一線を越えて突然破綻することがあります。

 ポジティブ思考といっても、大きな心配事がある状況で気持ちを前向きに切り替えられる人はまれでしょう。
 たとえば、私がお会いするがん患者さんもそうです。行き詰まった状況のなかで「ポジティブにならなければダメだ」と焦ってもうまくいかず、「なんで自分はうしろ向きなんだろう」と自分を責めることにつながります。そうなると、余計ストレスがたまり、ポジティブ思考どころか、より心配事にとらわれるようになってしまいます。
 「折れないこころ」とは、柳のようなイメージです。強いストレスがかかったとき、不安などのネガティブな感情を抑えつけようとするのではなく、「不安な気持ちが、こころのなかにあっていい」と、まず認めるところからスタートすることが大切です。
 また、不安には味方にしたほうがいいものと、手放したほうがいいものがあります。本書では手放し方についてもお伝えします。

人生のピンチで大切なこと

 私は現在、週4日ほど、がん研究会有明病院において、がん患者さんやそのご家族のこころのケアを担当しています。また、週1回はメンタル・クリニックで、がんに限らず、仕事や人間関係などあらゆるストレスに関する悩みの相談にのっています。
 私ががん医療に携わるようになったのは2003年で、31 歳のときでした。それから20 年以上、がんの専門病院で診療を続けています。毎年少なくとも200人とお会いしていますので、これまで少なくとも4000人以上のがん患者さんと対話してきたことになります。
 私なりに、患者さんのお役に立ちたいという一心で取り組んできましたが、結果としてがん医療における臨床経験から私自身が学んだことはとても大きなものでした。とくに、「人生のピンチ」と言えるような場面で、どうすればこころが折れないのかについて、深く知ることができたと感じています。ほかのストレス状況への対応にも応用できるのでメンタル・クリニックでの臨床にも役立っています。
 また、生きるうえでも大いにヒントになりました。以前の私は、まさにまっすぐで硬い木のような頑かたくななところがあり、強いストレスがかかると、こころが折れてしまいがちでした。そのような生きづらさをかかえていた自分が、いまは柔軟なこころのありように変わったと感じています。

 がんという病気は、強く死を意識させ、将来への見通しを根底から揺るがす性質があります。受け止め方はそれぞれですが、多くの困難を乗り越えてきた人でも、「人生最大のピンチ」と感じる人は少なくありません。
 むしろ、「困難を乗り越えてきた」という自負があるほど、とまどいが大きい場合もあります。仕事や人間関係の悩みであれば、自分が努力することによって解決したり、避けたりできます。けれど、がんの場合は、それまで成功してきた乗り越え方が通じなくなってしまうのです。
 なぜなら、自分が最良と考える治療法を選んだあとは、結果を運命にゆだねる必要があるからです。また、一部の進行したがんの場合は、「病気を根本的に治す」目標を立てられず、5年後の生存が難しいという現実と向き合う必要があります。

 平和な世界で健康に生きてきたなら、人生の終着点である「死」をあまり意識する必要はなかったでしょう。そんな人が、突然自らの「死」を現実に意識したとき、こころは天と地がひっくり返ったような状況になります。
このような人生最大のピンチと向き合う際に、もっとも大切なのが、不安などの負の感情を味方にすることなのです。
 私はがんに罹患してとまどっている多くの患者さんに対して、負の感情の扱い方を最初にお伝えします。たとえば、5年後の生存が難しいがんにかかり、不安や悲しみが続いていることにとまどっている患者さんもいます。そのときは、不安や悲しみといった感情には大切な役割があり、無理に変えようとしなくてもいいこと、上手な付き合い方のコツがあることをお話しすると、少し安心されます。
 本書の前半では、私がいつも患者さんに説明している、不安を味方につけるための方法を、なるべくわかりやすくお伝えしたいと思います。

あるがままの自分を認める

 負の感情を味方にする方法をすぐ実践できる人もいれば、なかなか受け入れられず、苦しみが長引く人もいます。
 私が「悲しむことは大切なのですよ」と言っても、「泣くのは弱い人間がすることだ」という信念があると、十分悲しむことができません。「自分が不安だと家族に心配をかけてしまう」などの懸念が先に立ち、家族の前では無理に明るくふるまう人もいます。
 このような人は、自分のなかにある不安や悲しい気持ちを押し殺さなければならないと思っています。その背景にあるのは、「こういうときはこうしなければならない」という規範意識=「must」思考です。誰にでも「must」思考はあり、それがないと社会で軋轢を生む場合もあるでしょう。しかし、「must」の縛りが強すぎると、「そんな自分ではダメだ」といった具合に、ほんとうの気持ちを認めることが難しくなります。
 強い「must」は、生まれつきの性格に加えて、小さい頃の親などとの人間関係が大きく影響します。「must」が強い人は、自分で自分自身を認められないので、他者から認められることを求め、承認欲求が強くなります。

 これまでの著書でも「must」思考から距離をとる方法について書いてきましたが、不安を味方につけるために欠かせない面がありますので、本書でも取り上げています。ここ数年、臨床のなかで発見したことや、自分自身が試行錯誤を経て見つけたことを追加しました。あるがままの自分を認めるのが難しい人、不安にとらわれている人の参考になればと、私自身の体験や個人的なエピソードもお伝えしています。
 また、「死」についても取り上げます。「死」は恐怖の対象ですが、一方で人生には限りがあることを教えてくれます。
 「死を味方にする」と聞くと不思議に思うかもしれませんが、がん患者さんや私自身の経験からも、死を意識すると、一日一日を大切に生きることにつながるのです。
 不安を味方にする方法をお伝えしたいと思ううち、人生を豊かに生きるためのさまざまな考え方に踏み込むことになりました。この本を手に取ってくださった方にとって少しでも参考になり、生きるうえでの新たな視点となることを願っています。

清水 研(しみず・けん)
1971年生まれ。精神科医・医学博士。公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。金沢大学卒業後、内科研修、一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)東病院精神腫瘍科レジデント。以降一貫してがん専門の精神科医として活動し、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『他人の期待に応えない』(SB新書)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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