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中野京子「異形のものたち――絵画のなかの怪を読む 《ただならぬ気配②》」

 画家のイマジネーションの飛翔から生まれ、鑑賞者に長く熱く支持されてきた、名画の中の「異形のものたち」。
 大人気「怖い絵」シリーズの作家が、そこに秘められた真実を読む。
 ※当記事は連載第10回です。第1回から読む方はこちらです。

めくるめく建造物

 建造物は寒暖や敵から身を守る一方で、閉じ込める装置にもなる。そして人間というものは常に、あるいは時として、何らかの意味で――必ずしも物理的ではなくとも――自分を囚われ人と感じることがある。
 そうした思いをすくいあげ、驚くべきイマジネーションを駆使し、リアルな非リアル空間、いわばカフカ的建築世界を創りあげたのが、イタリアの画家ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ(1720~1778)だ。彼のエッチング連作『牢獄』の中から、もっとも有名な<牢獄Ⅶ>を見てゆこう。

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(ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ『牢獄Ⅶ』、1761年、ドレスデン銅版画展示室蔵)

 上にも下にも、どこまでもどこまでも果てない石造りの牢獄。そこには古代ローマ風の列柱、張り出した望楼、回廊、アーチ型の壁門などを背景に、蜘蛛の巣のごとき階段や橋が縦横に走っている。
 画面左、巨大な円柱の周りを螺旋階段がくねり、ここが牢獄とは思ってもみない亡霊めいた人々が渡り歩く。高い梁に設置された滑車からは、数階分の長さのロープが不吉に垂れ、画面左下には切っ先鋭い、拷問具めいたおどろおどろしい機械も見える。描写は明瞭なのに、それが何で、目的は何かがわからず、それがいっそうこの建築内部を非現実的なものにする。
 絵の主役は、中央に描かれた二本の跳ね橋。かつて跳ね橋は城塞の門に取りつけられていた。通常は濠を渡るのに使われるが、いったん敵の襲来があると橋の一部をロープで跳ね上げ、防扉代わりとする仕組みだ。しかし本作の跳ね橋はロープを下ろしても、一本にはつながらない。行き止まりと落下の未来に気づかぬ男女が、語らいながら歩いてゆく。
 ピラネージは職業を名乗る際、いつも「ヴェネチアの建築家」と称したが、もちろん彼の名を不朽にしたのは『牢獄』シリーズである。彼は『牢獄』のような建造物を実際に建てたかったのではないか。なぜなら本連作を観た者の多くが感じる思い、それはたとえばフランスの作家M・ユルスナールの、「造りものでありながら不吉なまでに真実の世界。密室恐怖症的でありながら誇大妄想的な世界。現代の人類が日増しに閉じ込められつつある世界」(多田智満子訳)という言葉に代表されるのだが、はたしてピラネージ自身はそれを第一義として描いたのか?
 そうは思えない。明らかにピラネージは閉じ込められる恐怖よりも、閉じ込める装置そのものに力を注いでいる。十八世紀にはエッチングでしか表現できなかったが、もし彼が現代に生きていたら、ディズニーランドのような遊戯空間で思いのまま試せたであろうに。
 ボス、ブリューゲル、アルチンボルド、ゴヤ、ダリ……綺想の画家は各時代に鬼子のようにふいに現れるが、ピラネージはその系譜だったし、現代オランダのマウリッツ・エッシャー(1898~1972)もまたその一人に数えられよう。
 今でこそエッシャーといえば「だまし絵」の代表格だが、まだそうと知られていないころ初めて彼の絵を見て、画中の謎に何も気づかないままだった人もいたのではないか。一見無味乾燥で精緻で理詰めの、情感に乏しい作風だが、反復していたはずのものがいつしか全く別ものへ変化していたり、透視図的に何ら誤りがないにもかかわらず現実には決して存在しえない空間と気づいた瞬間、パズルが解けた時のように絵の魅力が爆発する(男性にファンが多いのもうなずける)。
 彼の不思議な世界を端的に示すのが、リトグラフ『滝』。

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(マウリッツ・エッシャー『滝』、1961年、ハウステンボス美術館蔵)

 背景は石段にも段々畑にも見える。遠近感がよくわからないので、そこに植えられているのが大樹なのか、低木かはっきりしない。逆に、画面左下の屋上庭園の植物は、手前に人がいるので意外に巨大とわかる。しかも海中植物のようだ。
 画面右に、洗濯物を干す女性がいる。この複雑で奇妙な構造の建物、ルービックキューブそっくりの飾りを戴く二つの塔、こうした場にさりげなく立つ所帯じみた女性には、ミスマッチの面白さがある。
 そして滝。本作のタイトルになっているそれは瀑布ではなく、水車を回すために段差をつけて落とす水を指す。水は画面中央を落下し、激しいしぶきを上げる。不思議のもとはこれだ。水はいったいどこから流れてくるのだろう? 
 ふつうに考えれば、二つの塔の間に設けられた水路からだ。この水路は中国の九曲橋(魔はまっすぐにしか進めない、との考えから作られた魔除けの橋)のようにジグザグ状。それはいいとして、ではその水路の源流はどこか? 
 なんと滝の落ちる先、水車の近くで水しぶきをあげる地点へ行き着く。つまり起点と着点が同じなのだ。永遠の循環。永久機関。それが成り立つには高低差や動力や磁力がなければならない。自然に水が上へ昇ってゆくことはないのだから。ところがエッシャーは目の錯覚を利用し、あたかも水路に勾配はないと思わせ、同時にかなりの高さから水が落下しているようにも見せる。
 ありえない事象をほぼ直線だけで表現してしまうのだから、観る者が興奮するのももっともだろう。

心が外界を異形にする

 こんな経験をしたことはないだろうか? 
 突然の稲光。すると一瞬といえども、いつもの景色あるいは馴染みの相手が、全くの異次元世界、全く見も知らぬ人間に変貌してしまう……。
 そうしたことは必ずしも雷神の光が見せるマジックだけではない。己の心もまた見慣れたものを変貌させることがある。エル・グレコ(1541~1614)の『トレド眺望』はどちらの例なのだろう。

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(エル・グレコ『トレド眺望』、1598~99年頃、メトロポリタン美術館蔵)

 今ではスペイン宗教画を代表する一人とされるグレコだが、本名はドメニコス・テオトコプーロス。クレタ島生まれのギリシャ人で、イコン画家だった。二十代後半となり、類型的描写のイコン画に飽き足らずイタリアへ渡ってヴェネチアやローマで修業したが、無名時代は続く。ついにイタリアを捨て、スペインの古都トレドへ移住したのは三十代半ば。
 当時、「陽の沈まぬ国」の王フェリペ二世がエル・エスコリアル(修道院を中心とした複合施設。現・世界文化遺産)をマドリッド郊外に建設中で、内部を飾るための彫刻や絵画が大量に求められていた。おおぜいの芸術家が栄光を求めて押し寄せており、もちろんグレコも手を挙げた。目利きのフェリペ二世は、はじめグレコを気に入り、聖堂を飾る大作『聖マウリツィウスの殉教』を発注する。
 天才を自認していたグレコはこれを足掛かりに宮廷画家の地位も夢ではないと、渾身の力をふるって描きあげたものの、結果は散々だった。王は「祈る気が失せる」とグレコ作品を別の小部屋へ移し、聖堂用には他の画家に新たに注文し直したのだ。
 グレコはトレドへもどり、この町で一生を終えるが、エル・エスコリアルにおける屈辱感は消えなかった。少なくとも人々はそう思った。だから『トレド眺望』はその時の彼の心象風景と言われるのだ。空を割る白光の暴力的な力、岩に張りついた建物群、手前を流れるタホ川、強烈な青と緑と白の対比、その美しさ。これは稲妻が見せた幻の町なのか、それとも画家の怒りや失意によって歪んだ風景にすぎないのか。
 宮廷画家にはなれなかったが、グレコは肖像画家、宗教画家として大成功し、トレドの富裕な名士となった。一方で金銭がらみの訴訟沙汰をひんぱんに起こし、変人としても有名な存在だった。いつまでもエル・グレコ、即ち「あのギリシャ人」と呼ばれたのは、所詮よそ者にすぎない(だから変わり者だ)と見なされ続けた証左ではないか。
 だとしたら『トレド眺望』には、彼の別の心象も見え隠れする。稲妻がトレドの町の別の顔を照らした時、勃然と沸き起こる疎外感……。

色彩も何もない部屋

 デンマークの画家ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864~1916)も特異な画風で知られる。セピア色の寂寥感漂う屋内空間で、いつもひっそり背中を見せるヒロインを描き続けたのだ。どれもこの『室内』のように少し怖い。

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(ヴィルヘルム・ハンマースホイ『室内』、1898年、スウェーデン王立美術館蔵)

 本作のヒロインは何をしているのだろう? 
 手紙を読んでいるというのがもっともありふれたシチュエ―ションだが、フェルメールの女性たちと違い、明るい窓辺を向いて立っているわけでもないし、両腕の曲げ方、うなじの垂れ方からして、結婚指輪を外そうとしている可能性もなくはない。
 ハンマースホイが使う絵具は、白と黒と土色ばかり。ライティング・デスクに置かれた鉢植えの花さえ色がなく、おかげでカーテンとテーブルクロスの白が美しく響く(シベリウスのヴァイオリン曲が、北欧の凍てつく空気に澄み渡るように)。
 色数同様、この部屋には家具も最小限だ。食卓に必要な複数の椅子や、足元を冷やさぬための絨毯もない。壁紙も模様はなく、絵や写真も飾られていない。ただ楕円型の大きな鏡が掛かっているだけ。しかも鏡面には見事に何も映っていない。室内でこれほど何も映さない鏡というのは、いったい何を象徴するのか。無か。死か。
 顔の見えない女性に対しては、誰もが想像力を刺激される。だが部屋の壁のすぐ前に後ろ向きで、しかも長いことそのまま立ち続けていたような感じの女性は、いったいどんな顔で振り向くものなのか。
 さあ、彼女は今しも振り返るところです。ほんとうに見たいですか?

物語のなさが物語を生む

 アメリカ人画家エドワード・ホッパー(1882~1967)は、大恐慌時代の都会の孤独を描いた。彼の画面に黒人は登場せず、ほとんどが中年の白人男女というのが特徴だ。風景画も多いが、これまた急速な工業化や時代の変化に置き去りにされ、忘れられようとしている建造物の姿が印象に残る。『線路脇の家』がその代表だ。

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(エドワード・ホッパー『線路脇の家』、1925年、ニューヨーク近代美術館蔵)

 手前に、土手の高い線路。その向こうに、線路とは平行せずぽつんと建つ大きな家。屋根付きポーチ、高い塔、側面の広いベランダ、赤い屋根。一昔前の古い様式の、今はもう誰も住んでいない孤独な家だ。まだ鉄道が敷かれる前に建てられたのだろう。今や周囲に他の建物も樹木もなく、ゴーストタウンに残された一軒なのかもしれない。
 ホッパーの作品に物語はない。だが観る者に物語を想起させる力がある(彼の作品十七点をもとに、十七人の英米作家が物語を編んだ『短編画廊』が出版されたほど)。
 だがこの『線路脇の家』がインスピレーションを与えたのは、小説家ではなく映画監督アルフレッド・ヒッチコックだった。そう、映画ファンなら知らぬ者のいない傑作サスペンス『サイコ』(一九六〇年公開アメリカ映画)で、主人公のサイコパス、ノーマンが、老母といっしょに暮らしていた高台の家のモデルが、これである。
 母との関係があまりに濃密すぎ、若い女性に関心を寄せることに罪悪感を覚えるようになった男。彼は二つの思いに引き裂かれ、いつしか狂気に囚われてゆくわけだが、彼と母を閉じ込める容器としてヒッチコックが選んだのがホッパー作品だったわけだ。芸術家のセンサーは実に鋭い。

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プロフィール
中野京子(なかの・きょうこ)

作家、独文学者。著書に『「怖い絵」で人間を読む』『印象派で「近代」を読む』『「絶筆」で人間を読む』『美術品でたどる マリー・アントワネットの生涯』、「怖い絵」シリーズ、「名画の謎」シリーズ、『ヴァレンヌ逃亡』、『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』『(同)ハプスブルク家12の物語』『(同)ブルボン王朝12の物語』、最新刊に『画家とモデル――宿命の出会い』など多数。2017年に特別監修を務めた「怖い絵」展は、全国で約68万人を動員した。 ※著者ブログ「花つむひとの部屋」はこちら

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