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「日記の練習」7月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの7月の「日記の練習」です。


7月1日
北上川の近くを泣きながら歩いた。北上川もそんなに泣かれたら困るだろうなと思うくらい泣いた。

7月2日
山がきれいに見えて吉日だった。この日のことを何度も思い返したりするのだろう。歩道橋に登ると開運橋がいつも通り見えた。

7月3日
すべての労働は「連絡を返し続ける」ですよねという話をした。喫茶店のママから軽井沢のお土産とのことでクッキーをいただく。貰うとき「おいしいかどうかわかんないのごめんね」と言われたのですかさず「ママから貰ったらそれだけでおいしいですよ」と返す。本当にそうなんだからねっていう目で。

7月4日
ロケ。浴衣を着つけてもらうとやっぱり自分で着るよりずっときれいだ。撮影用に使ったビールもったいなくてできるだけ飲んだら馬鹿みたいに酔っぱらってしまって、もうこうなったらとそのまま夜も飲む予定を入れた。お店の人に「浴衣ですね、なにかあったんですか、短歌会ですか?」と言われたことにびっくりして動揺しすぎて「へえ、そういうのもあるんですね」と答えてしまう。「いま短歌がブームらしくて。ほら、くどうれいんっていう人も歌人で盛岡に居るんですよ、お客さんと同世代くらいじゃないかなあ、結構有名人ですよ」と言われていまさらそれはわたしですと言い出せず「へ、へえ~」と言う。会計を終えてわたしが暖簾を潜って外に出たあとで、いっしょに飲んでいた人が「あ、そういえばおれ会ったことあるんですけどくどうれいんってすごいいい人でしたよ!」とでかい声で言い残して店を出てきたので、扉が閉まるなり(なに余計なことしてるんですか!)と背中を強く叩いた。帰宅してから考えるととてもお洒落ないたずらだったような気がして、いやしかし、次どんな顔であのお店に行こう。

7月5日
昨夜は本当に久しぶりに遅くまでたくさんお酒を飲んだから調子が狂っちゃうな、と思ったが、今日の仕事は本当にさくさくみるみると進んだ。狂った調子が本調子。買えないと思っていたコンタクトレンズは買えて、買うつもりだったクッキーは買わなかった。京都は暑いと脅されまくっているがだからと言っていまのわたしが盛岡でできることは荷物に麦わら帽子を入れることくらいしかない。

麦わら帽子、持ってはいるが帽子をかぶる習慣がなさすぎて鏡の前で何度も被ってから荷物に入れるのをやめた。わたしが帽子を被ると「保護者」っぽさがすごい。わたしはまだ保護者になりたくない。(それは「まだ」なのか?)

7月6日
「まさかわたしが泥みたいな恋愛してるようには見えないでしょ」「いいねいいね、何色の泥?」

7月7日
ミシマ社の三島さんがつくる味噌汁がおいしい。夜になってきょうが七夕だと気が付いたので「七夕だ!七夕の夜だ!」と騒いだ。夜は雨。買わなくていいのに春雨スープを買い、買わなくてよかったなと思いながら食べた。

7月8日
高いボックスティッシュみたいな電車に乗って大阪へ行きサイン会、のち、京都のお寺でイベント。きょうのこと、何年も思い出すんだと思う。ここからはしばらく静かにしていられる、と思った。そろそろ無理してでもこの気さくさを減らさなければ体力がもたない。何年かに一度前触れなく動く岩のような、そういう感じでこれからはやっていきたいと思っているが、どうせまたチョロQみたいな人生が続くのだろう。

7月9日
「あなたの作るものを読んでいると、わたしの中で音叉が揺れる。わたしの中にこんな音で響くところがあるんだって、読んではじめてわかる。それは共感とはちがうんですよ」と言った。ミックスジュースには缶詰の真っ赤なさくらんぼが乗っていた。夜に食べた中華の杏仁豆腐にも真っ赤なさくらんぼが入っていたから、きょうはさくらんぼをふたつ食べた日だ。
山田くんが「この自転車うるさいんです」と言いながらまたがった自転車が本当にうるさかったので「あたらしいの買いなよ」と言うと「壊れたら買おうと思ってるのに壊れないんです」と言うので、そういうことってあるよねと思う。

7月10日
野﨑さんと山﨑くんと京都タワーに登る。こころの中で(ザキザキ!)と思う。望遠鏡が無料!よろこんで覗いていたらとなりで覗いていた山﨑くんが「うちって屋上あったんだ」と言う。京都タワーから山﨑くんの家が見えるらしい。覗かせてもらうとばっちり見えて、野﨑さんと代わりばんこに覗いては爆笑した。そのあとも山﨑くんはライオンズマンションのライオンや遠くの観音様を上手に望遠鏡の視野に入れては見せてくれた。スナイパーのようだった。野﨑さんはシゲキックス、山﨑くんはゆず七味をくれて、ぶんぶん手を振って別れる。
腰、と思いながら、新幹線の座席でこざとへんのようなかたちで眠りつつ盛岡へ帰ると、駅で待ってくれていた友人に早速お土産を渡してそのまま車で送ってもらう。
京都タワーのマスコットキャラクター「たわわちゃん」にやたらハマってしまいキーホルダーまで買ってしまったが帰宅して冷静になるとそんなにかわいくない。旅先の罠。

7月11日
貰う際に「茹でながら不安になるだろうけど大丈夫だから信じて茹で続けてね!」とキコに言われた盛岡冷麺を茹でた。最初はなにも気に留めることはなかったが茹で続けるとみるみる鍋の中がスライムのように粘度高く白くなったので(不安!!!)と思った。麺が全部くっついてひとかたまりになって膨張しだしているように見える。不安になると事前に言われていなかったら、パニックになってウワーッと叫んで鍋を持ったまま廊下を走っていたかもしれない。不安なままザルに上げて氷水で締めるとさっきの鍋の中はなんだったのかと思うくらいうつくしい盛岡冷麺になった。しかもとびきり美味しい。なんだったんだ。

7月11日夜
1日に大泣きしたの、一体何だったのだろうと思ってものすごく後悔した。

7月12日
横断歩道を待っているのがFさんだったので「ヨ!」と言うと「オ!」と言われる。「あなたこれでいてかなり繊細なんだから、もっとガサツにしなさい」と言われる。確かにそうかもと思う。わたしはこれでいてかなり繊細。

夜、仕事終わりのミドリを車で拾ってそのままイオンで買い物。ラジオから「現役バリバリの84歳!」と流れてきて「バリバリって聞くと(お煎餅食べてるなあ)と思っちゃうんだよね」と言われひとしきり笑う。現役バリバリの人はたしかにお煎餅を躊躇なく噛めそうなかんじがする。

7月13日
旅行前夜。ミドリが熱中症予防のために買った帽子を何度も被って「どう?」と見せてきたが、何度見ても(副審っぽい)と思ってしまい申し訳なかった。主審ではなく副審っぽいのだ。どのへんがと言われても困るけれど。わたしが被るとたいへん似合って、なおのこと申し訳なかった。

7月14日
京都。祇園祭に行きたくてこの日程にしたわけではなかったがせっかくなので見る。長い鉾を見上げて長いなあ、と思い、よくわからないまま粽を買って、羊羹を買って、よくわからないまま読み方のわからない鉾に登って、よくわからないままめでたいきもちになった。

7月15日
人力車に乗ったことがない。嵐山ではこんがり日に焼けたお兄さんたちがいろんな場所で乗りませんかとはにかんでいてちょっと乗りたくなる。ミドリに「このへんからだと人力車でどこまで行けるのかな」と言うと「奈良。高速使うんだよ」としれっと大嘘をつかれてゲラゲラ笑う。わたしは真顔で大嘘を即答されるのが好き。時速100キロで走りながらはにかむ人力車のお兄さんを想像してしばらく愉快だった。人力車には乗らなかった。暑すぎる。

7月16日
京セラ美術館でルーブル展。「ヒュメナイオスの勝利」(あるいは「アモルに導かれる無知」)の、愛にのめり込むときの(あーこれもうだめだ)みたいな白目の顔。もう自分の力では止められず、かと言って引き止められたとしても立ち止まることのできない愛の引力に、(あ〜)と白目になるのはとても身に覚えがある。その絵のポストカードが欲しかったのになかった。

7月17日朝
「おきばりやす」「わっ!すごっ、うれしい、本当にそう言うんですね」「ごめんいま人生で初めて言った」

7月17日昼
カルネ。ポカリ。きゅうり。きすの天ぷら。焼きいか。鯖寿司。鱧寿司。コーラのグミ(かたい)。

7月18日
スーパーで買ったすじこ巻きを、スーパーの駐車場で食べているところを見られた。

7月19日
きのう日傘を忘れた場所に明日取りに行きますと連絡。整骨。財布を忘れる。

7月20日
起きたら眼鏡がぐんにゃり。気持ちもぐんにゃり。やることをやっているはずなのにいちばんやるべきことが終わっていないのでなにも終わっていない気持ち。賞の候補に入る。また不安定な日々になると思う。
君たちはどう生きるか見る。伝統と継承のことをずっと考えていたので痛快だった。

7月21日
ピスタチオについて十五分ほど語る。

7月22日
ラムの水餃子を食べる。花束を貰う。

7月23日
おにぎりを食べる。花束を貰う。

7月24日
ミント水を飲む。花瓶に水を足す。

7月25日
独身最後の日じゃん、と言われて「たしかに!」と思ったときには既に22時で、だからってどうしようもない。最後の日を過ぎたってさんざんはしゃいで暮らすつもりなのできょうと明日になにか明確な線があるとどうしても思えない。なるべく思い詰めたくない。17歳から18歳になるときも、19歳から20歳になるときも、時間がくれば歳をとるのにそれがどうしようもなく悔しくて、1秒も逃さないように書きまくっていた。独身でしか書けないことをわたしは果たして十分書ききっただろうか。書き切れるわけがない。だからあんまり最後の日とか最初の日とか思いすぎないほうがいい。肩書や名前がどうなろうと、わたしはいつでもわたしのしたいことをしていい。
あした賞味期限の納豆が2パックもあるんだよなあと思いながら、32%の充電のiPhoneを握って眠る。

7月26日 
手続き、手続き、手続き、ソフトクリーム、手続き、トムヤムクンフォー、手続き、帰宅。新しい苗字で呼ばれてもすぐに「はーい」と立ち上がることができない。花をいただきすぎてテレフォンショッキングのようなリビング。たくさんのメッセージ。
結婚した実感がなく「へ~」「ふ~ん」とまだ思っている。今井さんから「しあわせ者!」と言われてうれしかった。へへ、あっしがしあわせ者でごぜえやすと思う。結婚した人に「おめでとう」と言うことにざらっとした違和感を覚えていたので(結婚していないわたしがおめでたくないわけじゃないんだよなあ、とずっと思っていた)、これからはしあわせ者!と言おうと思う。

7月27日
賞味期限が一日過ぎた納豆をミドリがパスタにしてくれた。

7月28日
たまらない短歌がたくさん入っている歌集を読み始め、えんぴつで良い歌に丸をしておこうと思ったのだけれど、えんぴつが見当たらない。そうだ前に断捨離した時に文房具も随分減らしてしまった。えんぴつとシャープペンシルを探しながら(取り返しのつくペン……)と思った。わたしはえんぴつとシャープペンシルを取り返しのつくペンと思っているのか。家の中をうろうろ二周したけれど我が家には取り返しのつかないペンしかなかった。

結婚祝いに、と南部煎餅で出来た首飾りを貰った。しばらくウケて首に下げたままうろうろした。

7月28日夕方
ワーッとなり担当編集さんから電話来る。「れいんさん、もっとめちゃくちゃやっていいですよ」と言われる。ワーッとなる。

7月29日
夏祭りへ。友人がラベルを描いている日本酒が7種あったのでぜんぶ飲んだ。声を掛けてきてくれた工藤さんがわたしとおなじエリアのルーツの工藤さんだったのでひとしきりはしゃぎ、親戚だということにした。あの、墓地にやたら工藤の墓しかないエリアの工藤である。数多ある似たような工藤の墓から、祖母はいつも間違いなく己の工藤一族の墓石を探すことができる。改めて他人の名刺で見ると工藤っていい苗字だよなと思う。逆から読むと雨読だし。

7月30日
ワーッとしたかったのだが上手くいかず、昼過ぎ散歩をしようと思ったら夏祭りが開催されており、あっさり歩くことをやめてフランクフルトと大きなしゅうまいを食べた。食べている間知り合いが2組も通り過ぎて、主人公がそこにいるだけでいろんな人が訪れてくる絵本ってあるなと思う。観念して帰宅し、ワーッとし、書けた。担当編集さんから電話が来て「さすがです!」というので、大変いい気になってがぼがぼ日本酒を飲んだ。餅まきでは餅をひとつも取れなかったが、わたし自身がありがたくおおきな餅のようなものなので全く構いません。

7月31日
起きたら軽い熱中症のような症状があり、立ち上がると非常にだるく一日中寝ていた。そうめんのつけ汁はめんつゆだけで飽きたことがないというのに、変わり種のそうめんつけ汁の動画ばかり眺めて、サバ缶入れたつゆにするような日はそもそもそうめん食べたくねえだろ、など悪態をついていて一日が終わった。本当に意味のない一日。


7月の「日記の本番」は8月上旬に公開予定です。

タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。2作目の食エッセイ集『桃を煮るひと』が発売中

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