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演劇は言葉と身体と光と美術と音楽と踊りが織りなす総合芸術である――「マイナーノートで」#29〔芝居極道〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
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芝居極道

 自分以外の何ものにもなりたくないと思っていた若い頃、板の上で他人の人生を生きようとする演劇青年たちが理解できなかった。他人の書いた脚本通りに声を出し、アドリブは許されず、自分の肉体を人前に晒す。恥ずかしげもなく、よくあんなことができるものだと思った。

 梅雨明け宣言は出たが、コロナ明け宣言はまだ出ない。なのに、このところ芝居づいている。ニューノーマルどころか、オールドノーマルの生活に返ったような気分で、三密の劇場に足を運んでいる。芝居はりたくはないが、観るのは好きだ。いや、食わず嫌いだったのが、好きになった。

 長い間関西にいたので、70年代に起きていた小劇場第三世代への世代交替には縁がなかった。デモをするために夜行列車で京都から東京へは行ったが、芝居を見に行く気分も余裕もなかった。60年代のアングラ演劇、唐十郎の「状況劇場」や寺山修司の「天井桟敷」の噂は耳にしていたが、遠い世界のできごとだった。ちなみに同世代の社会学者に演劇青年たちは何人もいる。橋爪大三郎さんも演劇青年だし、それより若い吉見俊哉さんもそうだった。吉見さんが後に「ドラマトゥルギーとしての都市」論を展開するのはもともとその素地があったからだし、学者人生の終幕を飾る彼の最終講義が、ドラマ仕立てだったのは圧巻だった。

 80年代、東京へ仕事でひんぱんに往復するようになってから、まめに劇場へ通うようになった。小劇場運動からは、「遅れてきた、しかもすでに若くない観客」だった。「第三舞台」の鴻上尚史さんの知遇を得てかれの舞台を見たとき、衝撃を受けた。演劇の文法が変わった!と。それまでのリアリズム演劇とは、まったくちがう舞台空間がそこにあった。

 聞き取れないほどの早口で話す役者、ナンセンスなギャグと地口の連発、空間と時間の自在な転換、現実と異界の往還、脈絡もなく突然始まる歌と踊り、息もつかせぬ展開の速さ……笑わせたのしませながら最後にジーンとくるメッセージ性。鴻上さんの舞台が「ボクたちの学園祭」と異名をとっていたように、しろうとっぽい役者たちが舞台を縦横に駆け回り、跳んだりはねたりする姿は、祝祭的な喜びに溢れていた。すでに学園からは離れたけれど、あの学園祭の楽しさが忘れられない、かのように。プロの役者の目から見れば、発声もなっていないし、せりふは叫ぶだけの棒読み、見るに堪えないものだっただろう。

 それから「第三舞台」のオリジナルの舞台は、ほぼすべて見てきた。しだいに歳をとっていくかれが、どんなふうに変化していくかが気にかかったからだし、戯曲家・演出家としてのかれとしだいに年齢差の開いていく役者との関係がどんなものになっていくのかにも興味があったからだ。

「第三舞台」だけでなく、女性だけの演劇集団「青い鳥」とのおつきあいも長くなった。フェミニスト心理学者の小倉千加子さんが若い頃入り浸ったというこの劇団には、元から興味があった。スター役者だった木野花さんが脱けたあとのことだ。出演者のあいだでわいわい話しあいながらひとつの舞台をつくりあげていくというやり方から、脚本家の名前が「市堂令(いちどうれい)」となったユニークな劇団だ。メンバーは入れ替わらず、毎年1歳ずつ歳をとっていくのに、演じられる空間は「永遠の少女性」ともいうべき清冽さに満ちていた。

 女性演劇人といえば永井愛さんの舞台も、ほぼ毎回見逃さずに観ている。この才女は、時事ネタをとり込んでウィットに富んだ脚本を書き、しかも男性の役者を使うのがうまい。劇団を率い、演出をする立場ともなれば、男女ともに劇団員を束ねなければならない。女性がリーダーになるのはむずかしい世界だと、さんざん聞かされた。劇団「3○○(さんじゅうまる)」の主宰者、渡辺えりさんの苦労話を聞いたが、想像を絶する世界のようだ。

 伝説の女性演劇人、44歳で夭折した如月きさらぎはるさんの舞台はついに見そびれた。同じ頃、テクノ系の演劇に挑戦していた京都の「ダムタイプ」は、何度か見にいった。「ダムタイプ」を率いていた古橋悌二さんも35歳の若さで亡くなった。彼らが生きていれば、どんな演劇の革新をやってのけたことだろうか。幸いに演劇好きの友人がいたので、前衛的な芝居をやる「ポツドール」や「ブス会*」の芝居にも行った。平田オリザさんの「青年団」も見た。
 学生演劇集団出身の小劇場世代にもっとも大きな影響を与えた野田秀樹さんの舞台は、当時からチケットが手にはいりにくい高嶺の花だったが、こちらもご本人の知遇を得て、ご招待いただく幸運に恵まれた。若手の演劇人、瀬戸山美咲さんの舞台も観に行った。原発事故を題材にした作品で、主人公が「私が原発を止める!」と叫んだ場面では、オイオイと思ったが、若い世代にそう言わせた責任を感じた。

 観劇はぜいたくな経験だ。舞台という空間と、役者の生身の身体、そして劇場を埋めた観客のため息や笑いや息を呑むような反応がスパークする体感。こればかりはTV中継やDVDを通しての観劇に替えられない。そして演劇は言葉と身体と光と美術と音楽と踊りが織りなす総合芸術である。しかもひとりでは決してできない。集団のなかで、時間をかけてつくりあげられていく。ひとりひとりが、役柄だけでなく、音響や照明や衣装や舞台装置や小道具などに創意工夫を凝らし、それらのパーツが集まって交響曲のような時間の流れを創造する。そりゃ楽しいだろう。そりゃはまるだろう。

 上演はその時その場かぎり、再演も記録もない。再演すれば別のものになる。その時その場にいなければ味わえない臨場感だ。しかも客席は300席余り。同時にこの経験を味わえるのはせいぜいその人数まで。小劇場とはよくも言ったものだ。東京には小劇団と小劇場が集中しているので、東京にいてよかったと思うのはこんなときだ。

 芝居を見る度に、鳴りやまない聴衆の拍手に頰を紅潮させて舞台に登場する、上演が終わったばかりの役者たちに、あたしたちも満足したけど、いちばん楽しんだのはあんたたちじゃない?と言いたくなる。極道もンもここに極まれり、という感じがする。そんなもの、何の役に立つ?という問いをふっとばす。演劇もアートも、人類史の初めから、なくてはならないものだった。学問だって極道の一種には違いないが、しょせんはひきこもっての「ひとり遊び」、道楽にしてはささやかなものだ。

 劇場に足を運ぶ。観る方にだってエネルギーがいる。車椅子になったら、あの急傾斜の階段席にたどりつけるだろうか?

(了)

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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