【連載】南沢奈央「女優そっくり」第6回
胸が、ぎゅううう
私は根に持つタイプのようである。
言われてうれしかったことよりも、言われて悔しかったことをよく覚えている。言った人の顔も鮮明に思い出せるし、その当時の感情も蘇ってくる。そのときに“いやだわぁ”と一度思ってしまうと、完全に心のシャッターをおろす。そういった人たちと二度と交わることはない。
中学のときにこんなことがあった。
私は国語の係だった。教科ごとにつく教科係は、授業前にその教科担当の先生のところへ行き、プリントなど授業で必要なものを用意したり、教室まで運ぶのを手伝ったりする。他にも授業内で、プリント配布を手伝うこともあるし、提出物を集めることも役割の一つ。
国語では、毎回授業の始めに3分間スピーチというものを実施していた。生徒が一人ずつ前に出て、その名の通り、3分間のスピーチを行うのだ。各授業で登壇するのは二人だったか。そして終えた後、聴いていた生徒が質問や感想を述べる。国語係はその進行も担っていた。
その日は、発表用に配布してほしい資料があるということで、前に出て私は印刷された紙を配っていた。一の川(埼玉では縦の列を数えるとき“川”を使っていたが、全国共通なのか?)から順番に最前列の人にその川の人数分のプリントを渡していく。
後ろへ回してください、後ろへ回してくださ、後ろへ回してくだ、後ろへ回して……。
真ん中の川の最前列に座っていた男子のところへやってきた。クラスで一番やんちゃで明るいタイプだ。先生からもよく注意されるような、良い意味でも悪い意味でも目立つ子だ。その男子が話しかけてきた。
「みなみさわさんって、暗いよね」
直後、周りの何人かがクスクスと笑うのがわかった。なぜ突然そんなことを言ってきたのかわからない。声が小さかったからだろうか。プリントを渡すときに目を合わせなかったからだろうか。いや、違う。その瞬間の話ではない。きっと普段の生活を含めてのことを、その子は軽い気持ちでいじってきたのだ。でも当時、私にとってはとても重い言葉だった。一番言われたくない言葉だった。人見知りで、誰とでもうまくコミュニケーションを取れるようなタイプでもない。私は深く傷つき、泣き出しそうだった。
なるべく平静を装って、何も言い返さずに仕事を遂行した。だけどその言葉が頭の中を支配して逃れることができなくなってしまった。
それからその一言が呪いとなり、私は中学生活を通して、どんどん暗くなっていった。その男子にもなるべく近づかないように心がけた。
なのに卒業式の日に、その男子から「第二ボタンをもらってください」と言われたときには、たまげた。でもようやく対峙して、(あの言葉、絶対忘れないから)と心の中で怒りながらも、青春の証を受け取ったのだった。
20年経った今でも、「暗いよね」と言われたときの、胸のぎゅうううと締め付けられる感覚を思い出す。未来の私が過去へ戻って、代わりに言ってやりたいと思う。
なんでそんなこと言うの? 無神経だよ!
そう言えたらよかったのになぁ、と思うことは仕事を始めてからも多々ある。嫌なことを言われたならば言い返すとか、受け流してしまえばいいのに、すべてを受け止めてしまっていた10代、20代の頃。本当に悔しい思いをたくさんしてきた。
「もっとバカになりなさい」と事務所の人から言われた時には、自分が否定されたような気がした。その言葉に対して疑問を呈したり、自分の考えを述べたりすればいいものを、瞬時にシャッターをおろしてしまったので、真意を訊くことはできなかったけれど(もしかしたら深いメッセージがあったのかもしれない)、あれやこれやと勝手にマイナス方向に思考を巡らせて、最終的には、この世界には向いていないのかもしれないな、やめようかなと思った。
それでも少しは努力してみた。芸能界の先生である事務所に言われたのだから、バカになれるように。たしかに、「バカだなぁ~」と微笑まれて、愛される人はいた。だから、そういった人のことを観察してみたけれど、私にとっては苛立ちの対象でしかなかった。なんでもっとスマートにできないのだろう。どうしてそんなことするのだろう。周りの目を気にして、空気を読んでしまう私には、絶対にたどり着けない領域だと気づいた。
でも、感覚をもっとバカにしたいなと思うことはあった。こういった一言一言を全力で受け止めて、胸がぎゅうううとして、嫌われることを恐れて、何も身動きが取れなくなってしまうことがあるからだ。だからこそ敏感に察知していた人の目や空気を一旦、鈍感にしたい。それは未だに思うことがある。
可愛げがない。きっと、私はそういうことなのだろう。あまり人に助けを求めないし、弱い部分を見せない。だからといって、女優という仕事に対するモチベーションの持ち方がわからなかったから、仕事に対してストイックにもなりきれない。「ハングリー精神を持ちなさい」とも言われた。「何かを犠牲にしないと女優はやっていけない」とも。胸が、ぎゅううう。自分を犠牲にして、ハングリー精神を持ったバカになる……だいぶ壁は高かった。大御所の先輩から、デブとか雑魚とかの言葉をかけられたこともある。冗談なのだから、ちょっと! 酷いですよ~と笑えればよかったのだろうか。女優ってなんだろう。
事務所から暗示のように「あなたは女優なんだから」と言われる一方で、20代前半頃までは、ドラマの演出で「アイドルみたいに!」とか、共演した人からも「アイドルですか?」とか、「アイドル」と言われることがけっこうあった。きっとその境界線なんて曖昧で、言った人たちも深い意味はないのだろうけれど、ちょっと引っかかるものがあった。
そもそも「アイドルみたいに!」って言われても、アイドルでも様々なタイプの人たちがいる。どの人に倣(なら)えばいいのか。しかも大勢いる個性豊かなアイドルのみなさんを「アイドル」という一言で総括する感じが失礼な気もしたし、私はアイドルのみなさんに象徴されるようなプロ意識も持ち合わせていない。なんか、いろいろ無理です、と思ってしまった。
「アイドルですか?」と訊かれたときにも、胸がぎゅうううとした。なんだろう、違うなと。肩書を問うというのは、どういう意味があるのだろう。それで何かを判断しようとしているのではないか。「女優だからこう」「アイドルだからこう」と色眼鏡の材料になる。この確認は本当に必要なのか。
きっと、問うた人も他意はないだろう。だから普通に「いえ、女優です」と言えばよかっただけのことだ。でも悔しかった。女優になろうなろうと努力しているときに、「アイドルですか?」と訊かれたのが。自分が胸を張って「私は女優です」と言い切れないことが。
悔しい。だからこういった言葉たちを、私は根として大切にしている。
プロフィール
南沢奈央
俳優。1990年埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。2008年、連続ドラマ/映画『赤い糸』で主演。以降、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』など、現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。著書に『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)のほか、数々の書評を手がける。
タイトルデザイン:尾崎行欧デザイン事務所