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「日記の本番」8月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。くどうさんの8月の「日記の練習」をもとにしたエッセイ、「日記の本番」です。


小学生のとき、ゲームボーイカラーを持っていた。ねだって買って貰った記憶はあるのだが、欲しかったのは「みんなが持っているから」という理由であり、むかしから、ゲーム自体はぜんぜんハマらない性格だった。(ゲームって、でも、現実じゃないしなあ)と、やけに俯瞰して、その時間を有意義に思えないのだった。みんながポケモンをやっているなかで、わたしは「ハムスターパラダイス」というハムスターの育成ゲームをしていた。主人公が謎の組織からハムスターを預けられ、立派に育てる。育つと、その組織がまたやってきて、わたしの育てたハムスターを、「ありがとう、立派に育てられるようになりましたね」と言って魔法少女のような見た目のお姉さんが連れて帰っていく。そうしてまた新しいハムスターを預けられる。その繰り返し。という、今思えばかなり途方に暮れる、暴力的なストーリーだった。しかし、わたしはそのゲームの中でハムスターを死なせてしまったことは一度もないような気がする。育ったあたりで引き取りに来るという設定は、死を体験させないための仕組みだったのではないか。わたしはすぐにそのゲームに飽きたので、本当のストーリーの楽しさはまだ経験していないのかもしれないけれど、いくつかあったゲームソフトの中で、唯一覚えているゲームがそれだ。

わたしが育てることになったハムスターは、ミニゲームやえさやりや掃除をしていない間は、ケージの中をうろうろして、滑車を回し、水を飲んだ。えさやりよりも、その、ランダムな動作でケージの中にいるハムスターをぼーっと眺めているときの画面のほうをよく覚えている。ハムスターは、舐めると水が出るボトルのようなところへ行くと、しつこく水を飲む。するとハムスターの頭上に「+1」「+1」「+1」「+1」と表示され続ける。この「+1」のことを、水を飲むたびにわたしはよく思い出す。

お盆明けに夏風邪を引いて、それが長引いている。最初に咳をしすぎたときに喉を傷つけてしまったらしく、その違和感にまた咳が出て、それが繰り返される。八月後半はどうも常に不機嫌で、さらに仕事の不調が続いていた。仕事が不調だから不機嫌なのか、不機嫌だから仕事が不調なのか。わからないけれど、とにかくいまいちな日々ばかりでとても落ち込んでいた。咳が出るので、とキャンセルした用事の相手に「咳って全身使うからつかれますよね」と言われてはじめて、そうか、咳が出ているから全身がつかれているのか! いまわたし、つかれやすい状態なのか! と、体調と仕事をようやく紐づけて考えることができた。原因がわかると体調を治すことを先にしようと思えてちょっと安心する。エホ。と咳が出るたびに「-1」と思う。エホ「-1」。エッホエッホエッホ「-1」「-1」「-1」。わたしはいつのまにか作業室に居る自分のことを俯瞰してみている。あのときケージの中にいたハムスターのように。何度もえさをやり、こまめにケージを掃除して、滑車で運動させて、つやつやの毛並みにして明日を迎える。その繰り返しが、いまのわたしにも求められている。(ゲームって、でも、現実じゃないしなあ)と思っていたが、ゲームでそういう繰り返しを根気よくやる心をもっと養っておくべきだったのではないか。わたしがわたしを育てているとして、いまの、仕事のいまいち捗らないわたしのことをあの魔法少女のようなお姉さんは引き取りに来ないと思う。作家として独立して一年が経つが、いまだに自分にフィットした労働環境がわからない。一週間ごとにとても捗る日と捗らない日のむらがあって、月に数回はとても落ち込んだり怒ったりしている。吟味しているつもりでも、適切な仕事の量がわからない。三か月先のことを考えて仕事を引き受けることが、一年先のわたしにとっても適切だとは限らないからだ。いま自分がなにを引き受け、なにを断るべきなのかわからない。目の前のことだけに必死になって、忙しい、つらい、と思うけれど、わたしの周りの人や仕事相手たちにわたしが忙しいことは関係ない。わたしの勝手で、わたしの好きで忙しいのだということを忘れたくないと思う。そしてそのきもちは、残業を繰り返していた会社員時代のわたしの抱いていたきもちとちっとも変わらない。

わたしはもっとわたしのことを育てなければいけない。あのゲーム画面のようにもっと自分を俯瞰したほうがいい。滑車を回しすぎると、ハムスターはへとへとになって毛並みが悪くなる。ひまわりの種をあげすぎると、あっという間にぽっちゃりする。生活はすべて習慣によって成り立っているのだから、習慣をなんとかするしかない。
もうすこしわたしはわたしのことを育てようとするべきだと思う。根気よく。毛並みよくなったあたりで「ありがとう、立派に育てられるようになりましたね」と言って、あのへんちくりんな髪の毛の謎の組織のお姉さんが、次のどこかへわたしを連れて行ってくれるのかもしれないのだから。


9月の「日記の練習」は10月はじめに公開予定です。

タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。2作目の食エッセイ集『桃を煮るひと』が発売中

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