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「日記の練習」3月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの3月の「日記の練習」です。


3月1日
JR東日本の怪しいくらい安い乗り放題パスで母と日帰り東京旅行。行きの新幹線で朝握ってきたまだほんのりあたたかいおにぎりとおやつを出して来たので(あまりにも母親すぎる)と感動した。海苔の湿ったおにぎりを食べると学生時代のことをぎゅいんと思いだす味で泣きそうになる。魔女の文学館とリッツカールトンカフェと新国立美術館。また来ようね、と言い合って盛岡駅で別れる。

3月2日
混乱して滾るわたしの早口を止めようとした夫が「待って、待って一回待って、え、止まんない、すごいこれ、れいちゃん待って、止まって!止まって止まっておねがい!」と慌てた。自分が壊れた水道にでもなったようでおかしくて止まった。

3月3日
雪だ、雪だ雪だ、雪だ!ようやく雪らしい雪。真っ白な窓の外を見つめながらたくさんにんじんを細切りにしてサラダにした。郵便局に行くために長靴を履き、わざと雪のふかふかなところを歩く。冬はこうじゃなくちゃ。灰色の空が分厚くて、暗い気持ちがしてうれしい一日。

3月4日25時
たくさん書いて、わたしが書きたいことってこれかもしれないと思った。

3月5日朝
東京へ。ものすごい音量の音漏れをしている人に遭遇すると、その音楽にわたしがノリノリになって踊り出したらびびるかなあ、と毎回想像してしまう。

10:00
岩瀬と東京タワーへ。小学校ぶりだ。特に見るものはなく、おーと言いながら東京タワーを見上げた。東京タワーのぬいぐるみがあまりにもTENGAだったのでそう言おうとしたら岩瀬の「TE」と被ったので、にこやかに頷き合った。

15:00
モリユと水族館。何年も水族館に行っていないというモリユはすべての生き物に「いきてる!」と感動していた。いちばんかっこいいのは大きなピラルクで、ふたりでうっとりしていたらさいごの売店でモリユが超巨大なピラルクのぬいぐるみを購入したのでたいへんおめでたい気持ちになった。「ピラルクと改札通るのはじめて!」と興奮した後、モリユはそのピラルクを抱えたままひとりで帰宅しなければならないことをようやく自覚して恥ずかしがっていた。

19:00
仕事終わりのトッシーと合流してハヤシライスを食べた。グリーンピースがちゃんと茹でたてでぷりっとしている。トッシーが「わたしが書きたいのは結局ラブなのかもしれない」と言い、「わたしが書きたいのはラブ直前なのかもしれない」と言い、そのラブの内訳を話していたらあっという間に新幹線の時間になった。

23:00
パンとソーセージをお土産に買って帰宅。歩きすぎたからか昼間にお酒を飲んだからか、珍しく脚がしくしく痛かった。しくしく就寝。

3月6日
淡々と暮らすことの健康さと清々しさをわかりはじめているわたしと、そんなのつまらないと思っているわたしとが戦っていて、夕方には落ち込みきってじゃがりことすじこおにぎりと辛いチキンを食べ、梅味の炭酸水を飲んだ。これがすっかり残業をしているときの自分の食事に重なって、あのときよりがんばってないわたしが食べていいものじゃないな、と余計に落ち込んだ。

3月6日夜
大きなソーセージをぱりぱりに焼き、夫と白ワインを飲みながらお笑いを見ていたらぜんぶ解決したような気持ちになった。

3月7日
キコと390円になっている銀だこへ行くとハハッと笑ってしまうほど行列ができていて、若い男の子たちがうつろな目でひたすらたこ焼きを作っていた。

3月8日
打合せの30分前に担当編集から電話が来た。前倒しになったのかと思ったら「いま、盛岡駅なんです」と担当編集は言う。「えぇ?!」と言いながら眉毛を描き、合流して冷麺と焼き肉を食べた。(来ちゃった♡)が自分の人生に起こるものと思っていなかったのでたいへん興奮した。「突然来て驚かせてしまうのも申し訳ないので、盛岡駅からZOOMしようかどうか悩んだんですけど」と言われて、そんなこわいことないだろと笑った。担当編集は「デヴィ夫人の好物はビーフジャーキー」という本当かウソかわからない豆知識をわたしに授けて東京へ帰った。ぐんとげんきが出た。

3月9日
だからと言ってうまく書けるものでもなく、しかし書かなければうまくもならない。書きながらこうじゃないなあこうじゃないなあ~となって47枚書き、出し、でもぜんぜんダメだと思うと大泣きし、なんとか泣き止むといそいでワンピースを着てホテルでフレンチを食べた。フォトウエディングの際に貰った宿泊券とディナー券をもっと忙しくなる前に使っておこうと決めていたのだ。雑穀のパンがおいしくて、猛烈に昔食べたサンマルクのレストランのことを思い出していたら「昔サンマルクのレストランで食べたパンの味がする」と夫が言い出したので本当に驚いた。わたしたちは違う街で育ち、それぞれの記念日にそれぞれのサンマルクのレストランでナイフとフォークを使って鶏のソテーを食べていたのだ。引っ越して二年になりますなあと言いながら、夜景を見ようとカーテンを開けると中途半端な夜景で、なんかそれも良かった。

3月10日
わたしは本当にビュッフェをきれいに盛るのが得意。

3月11日
おろおろしていたら一日が終わりそうになり、なんとか立ち上がって夜まで原稿を書いた。

3月12日
どうして盛岡からいなくなっちゃうんだろう、と思う人に「どうして盛岡からいなくなっちゃうんですか」と言ったらとてもうれしそうに困ってくれて、わたしの役割はこれなんだろうと思った。チーズに酒粕をのせて食べるのがおいしいんだと教わったのに、そのときには酔って床に寝転んでいたので食べずに帰った。ぜんぜんまだ会えるような気がして、それなのにピアノ弾いちゃったり感謝を伝えちゃったりしてそれなりに最後っぽい空気で、なんだよって思う。最後だから集合写真撮りましょうと言い出したその人はタイマーを押すと「向こうから隕石が来た!みたいな顔してください!」と言って右上を指差して、残り4秒で、わたしたちは(なんだよそれ)という暇もなく、右上から落ちて来る隕石に怯える顔をした。

3月13日
送られてきたきのうの写真の中で隕石の写真がいちばんいい写真で、「なんだよそれ」とちっちゃく言って笑った。

3月13日午後
別に蒸篭持ってなくてもじゅうぶん蒸せるよねって話で盛り上がってよかった。

3月14日18時
居酒屋が思ったよりも遠いので慌ててタクシーに乗ると、扉が閉まった途端に「ラッキーガール!」と言われた。きょうはタクシーが少ないのに雨だから、捕まえようとしたって捕まらない日なんだ、とのこと。それじゃ帰りに乗りたいなら配車の予約をしておいたほうがいいんですね、と言うと「いいや、運がいい人は帰りも運がいいから、お客さんはラッキーガールだから大丈夫」と言われた。

3月14日夜
わたしは「割りばしが思ったより堅くてなかなか開けられずにいる人」に弱いということがわかった。

3月15日
人気すぎてもうGW先まで予約が埋まっている楓さんにキャンセルが出たというのでそれきたと美容院へ。パーマをかけ、染めてもらった。オリーブグレーになったうえ、おすすめのオイルを買ったらバジルの入っているものだったので、楓さんはわたしをカルパッチョにしようとしているのかもしれない。

3月16日
サイン書きのため実家へ行く途中、引越しのトラックが停まっていたので追い越した。荷台からどんどん運び出される物の中にバランスボールがあったので「バランスボールも一緒に引越ししたんだねえ」と言ったら「バランスとりたいもんねえ」と運転席の夫は言った。

両親と夫と4人がかりで6時間かかってサインが終わる。へとへとなので焼き肉を奢り「サインをたくさん書いた後に飲むビールがいっちばんうまい!」と大きな笑顔になった。

3月17日
「来週地球が終わるなら作家辞めますか、仕事辞めますかって言われてわたし仕事辞めるって言ったんですよ」「え、わたしなら両方辞めます、地球終わるんでしょ」「……たしかに!」

3月17日26時
なんとか書き直した。今度はどうだ。63枚。

3月18日
「入浴済」と書き、絶対違う、絶対なんか違う……と思って検索したらわたしが書きたかったのは「入浴剤」だった。

3月18日夜
もうだめだ。なにがってぜんぶが。逆にこれはもう鯛めしなのかもしれん、とモリユに貰っていた鯛めしの素でごはんを炊こうとしてスイッチを入れた数分後、「入稿しました」との知らせ。一気にからだの力が抜ける。大事にしまっておいた、みさきに貰った白ワインをあけて「入稿したあとのワインがいっちばんうまい!」と言って、ちょっと泣けた。

3月19日
レモンイエローのワンピースを買った。出来るだけ毎日黒い服を来てゴールドのアクセサリーを付けたいと思っているが、本当にわたしに似合うのはレモンイエローだと知っていて、悔しいが似合ったので買った。

3月20日
東京へ。千と千尋の神隠しの舞台を見て、大泣きしたらほっぺと眼鏡の間にちっちゃい水たまりが出来た。はじめての帝国劇場がうれしくて、「帝国劇場」と書かれたスプーンとフォークを買った。

ともだちとお茶。桃色だったがあれは桜茶だったのか梅茶だったのか。よく見る悪夢の話になり、「大謝罪のために土下座をしようとしたらでんぐり返ししてしまう夢を見る」と言われて笑った。悪夢にでんぐり返しが出てくることの明るさが無償に愛らしく、しかし土下座をしようとしてでんぐり返しをするのはちゃんと悪夢で、とても好きな話だと思った。カレーを食べてぐったりして、本とパンをたくさん買って帰宅。

3月21日
夫もわたしもまだこころが帝国劇場にあり、ぼーっとしながら家を出てぼーっとしながら帰ってきた。

3月22日
きょうはモリユがいないのでひとりで仕事をはじめる必要があった。いつもモリユと朝から夕方まで通話を繋いでいるから気が付かずにいることができたが、4月に本が二冊出るということへの喜びと共にプレッシャーがひたひたと胸を掴んでいる。新しい作品や新しい本が出るときはいつもこうだ。もう印刷所で大暴れする以外、世に出ることを止められないときによくこうなる。漠然とした不安と緊張。コーヒー飲んでもそわそわするので久々にフリースペースへ。久々なせいかフリーWi-Fiが繋がらない。
〔接続済み。インターネットなし。〕じゃあ何が接続されているのだ……。
仕事がたくさんあり、片っ端からメールを返し、憂鬱と不安と戦い、あまりにだめになりそうだったので熱いドリアを食べ、午後はなんでここまでしなきゃいけないんだろうって相手になんでここまでしなきゃいけないんだろうと怒りながら資料を作り、怒っているうちに不安だったきもちがすっかりなくなり、それはそれで助かったのかもな、と言っていたら「あなたのPCがウイルスに感染しました」という偽ウィルス検知サイトからのポップアップが画面に広がって止まらなくなり、あっという間に18時になる猛烈な一日。原稿を一本も書いていないのに、たぶん2万字くらいのテキストを打ったからタイピングの速度がどんどん上がってゆく。脳みそがぷりぷりに回転している。この勢いで小説のゲラを直して眠る。

3月23日
「だってれいんさんいつも3月が鬼門じゃないですか、去年わたしが花を渡したのも3月ですよ」と言って、あゆさんはまた花束をくれた。げんき出た、と御礼のLINEをするとお子さんふたりが廊下に手と足を突っ張って壁を登っている写真が送られてきた。小学生ってどうして細い廊下があると壁をよじ登ろうとするんだろう。

帰省しているモリユと居酒屋へ。ばくらいはホヤの塩からです、と言うと、酔っぱらってごきげんなモリユは「ほやってなんでしたっけ、こんな、こんな……?」とかめはめ波のポーズをして「な、なんか技出ちゃった~」と頭を抱えたので爆笑した。

3月24日
数年ぶりのボーリング。わたしはなぜか1ゲーム目の序盤からストライクが頻発した。「いいなあ!」と言われてはじめてモリユが大の負けず嫌いだということを思い出してひやひやしたが、2ゲーム目では夫がすこぶる調子を落としてビリになったので(セーフ!)と思った。1ゲーム目は人生いちのハイスコアとなった。151。これからはボウリングを趣味にしようかしら、などと調子に乗った。

3月25日
筋肉痛でおしりが痛い。調子に乗った罰だ、と思う。

3月25日夜
「うっとりって便利な言葉ですね」

3月26日
盛岡からいなくなる人を見送ることができた。岩山の展望台には日の出からやっている喫茶店があって、日の出の時間にそこへ行って、ピアノを弾かせて貰うのが夢だったのに行けなかった、と悔しそうだったので「また来ればいいじゃないですか」と言った。見送るとき、これはさようならではいけないような気がして「いってらっしゃい」と言ったけれど、ちっちゃい声になった。

3月27日
ヒデ子さんから、ヒデ子さんのお孫さんが廊下の壁をよじ登っている写真が送られてきた。本当に、どうして小学生って壁をよじ登るんだろう。

夜七時まで仕事をしたら猛烈に料理がしたくなり、夫がやるよと言ってくれていたのに夫が帰ってくるまでに料理を作り始めてしまった。買い物を終えて帰宅した夫は「れいちゃんが、厨に、立ってる~!もう、サラダ、できてる~!」とへなへな座り込んだ。ごめんごめん。夫はポークライスを食べながら「おいしすぎる、泣きそ」と言って本当に泣きそうな目をした。そんなにうまいか。よかったねえ。

3月28日
「マシュマロが好きなんですよ」「暴言吐いていい?」「え」「マシュマロって好きで食べてる人いるんだ」「ひどい!」

3月29日
とても緊張し、気合いの入る打合せだったので「ポッポー!」と走る機関車のことを何度か想像した。

3月30日
とりかえしのつくペンがほしい。ローソンの中の無印良品で2Bの鉛筆と鉛筆削りを買った。大きな窓のある部屋のソファで歌集をゆっくり読んで、途中ちょっと眠くなって寝て、起きてまた読み進めた。仕事なのにとても休日のようだった。

3月31日
ぼんやりと頭痛と寒気。面倒な書類を夫に手伝ってもらって完成させ、昼には納豆パスタを作ってもらって食べ、3キロ走り、シャワーを浴びて買い物へ行った。平日だって毎日いろんなことをやり遂げているはずなのに、休日のほうが「やってやったぞ!」感がある。夜はお土産で貰った横手焼きそばを食べた。わたしはたまにこのくらい完璧な目玉焼きを作ることが出来る。


3月の「日記の本番」は4月中旬に公開予定です。

タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。4月11日に最新エッセイ『コーヒーにミルクを入れるような愛』が発売

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