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「地球に住めなくなる日」が来ないために

 気候変動(地球温暖化)によって、いま世界に何が起きているのか? 我々の生活は、そして現代文明はどう変わるのか? 気候変動によるリアルな未来図を提示する『地球に住めなくなる日』をもとに、温暖化の専門家である江守正多氏がわかりやすく解説。
 *本記事は、書籍『地球に住めなくなる日 「気候崩壊」の避けられない真実』(デイビッド・ウォレス・ウェルズ、藤井留美訳)収録の解説をもとに加筆・抜粋したものです。

※そのほかの『地球に住めなくなる日 「気候崩壊」の避けられない真実』関連の記事はこちらです

江守正多(国立環境研究所地球環境研究センター副センター長)

早くて2030年に1.5℃上昇

 2015年、気候変動問題をめぐる国連の交渉会議COP21において採択されたパリ協定は、平均気温の上昇を、産業革命前を基準に2℃より十分低く抑え、さらに1.5℃目標を追求するとしました。その後、2018年10月に発表されたIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)特別報告書「1.5℃の地球温暖化」では、平均気温の上昇を1.5℃に抑制するのは不可能ではないものの、二酸化炭素排出量が2030年までにいまの半分に削減され、2050年頃には正味ゼロに達する必要があること、社会のあらゆる側面における大転換が急務であることなどが明らかになりました。

 1.5℃の上昇は、現状の排出ペースであれば2040年前後、早ければ2030年には到達してしまうとされています。将来の気温上昇の予測には科学的な不確かさがあり、現時点の科学ではかなりの幅を持ってしか予測ができません。そのため、「中央の予測より、実際に起こることは低いかもしれないじゃないか」と主張する人たちもいます。一方で、中央の予測よりも、実際には高く上がるおそれも当然あり、低い可能性を当てにして十分な対策をとらなくてもいいという考えに納得する人は少ないでしょう。

 もうひとつ注意が必要な点は、世界平均気温の上昇という場合は、国や地域に関係なく、海も陸も全部を含めて地球表面全体で平均していることです。陸のほうが海より温度が上がりやすいので、世界平均で1.5℃の上昇なら陸上はより上昇し、かつ北半球の陸上の高緯度域は、北極圏で氷や雪が減少することなどにより温度上昇が増幅される効果を受けます。さらに内陸に近いほうが温度上昇が大きい傾向があります。このような違いから、世界平均で1.5℃でも、多くの地域では2℃や2.5℃の見込みとなります。

 日本は海に囲まれているので、陸上の中では、比較的、温度上昇は穏やかでしょう。ただし、都市においては、さらにヒートアイランド現象が重なります。たとえば、東京都心ではヒートアイランドだけでも、すでに2℃くらい温度が上昇しています。2010年や2018年の猛暑で日本も年間1500人を超える熱中症の死者がすでに出ていますが、温暖化が進めば2050年ごろの日本では年間5000人を超える熱関連死亡が起きうると予測されています。

海面水位1メートル上昇で東京・大阪も浸水

 本書(『地球に住めなくなる日』)にも、平均気温が0.5℃上昇することで気候変動に関連する死者数が急増するなど、0.5℃の影響の大きさについて書かれています。0.5℃しか平均が変わらないならば、それほど影響に違いはないのではないかという予想もありました。しかし、前述したIPCCの「1.5℃の地球温暖化」特別報告書のなかで、膨大な数の論文を評価した結果、1.5℃と2℃では相当、影響に違いがあるということが報告されました。それがいまの主流の認識になっています。たとえば、1.5℃に抑えることで、2℃と比べて、深刻な影響を受ける人口を数億人減らすことができます。

 ドイツの環境NGOが、「日本は2018年に異常気象の深刻な被害を世界一受けた」との調査を発表しました。人口当たりの被害者数やGDP当たりの被害額といった指標で見て、日本が一番だったとの報告でした。西日本豪雨、猛暑、台風による災害の影響が大きかったからでしょう。本書中に、平均気温が4℃上昇した場合、上海、香港、マカオなど100都市以上が浸水するとあります。4℃上昇すると約1メートル、世界平均の海面水位が上昇すると予測されます。1メートルの海面上昇があると、護岸の状況にもよりますが、日本でも、東京や大阪などの大都市をはじめ、沿岸部の多くの都市が高潮などの水害に見舞われます。特に低い平地で人口と資産が集中している地域が問題になるでしょう。

「気候正義」を考える

 本書にも取りあげられていますが、「気候正義」という考えかたがあります。気候正義にはふたつの側面があります。ひとつは、先進国が排出した二酸化炭素によって、発展途上国の人たちや先住民族が深刻な被害を受けること。もうひとつは、これまでの世代が排出した二酸化炭素によって、将来の世代が深刻な被害を受けることです。気候正義は、それらの不公平・不正義を正そうという考えかたです。

「でも、エネルギーをつくると二酸化炭素が排出されるのは仕方がない」と、多くの人は言うでしょう。それを聞いて想像するのは、かつての奴隷制についてです。奴隷制が当然であった文化圏において、たとえばその当時の子どもが大人に対して、「奴隷は、あんな目にあって、かわいそうじゃないの?」と聞いたとします。すると大人は、「奴隷がいないと経済が成り立たないんだから、しょうがないじゃないか」と答えたでしょう。しかし、現代のわれわれの常識から見ると、これはとても許されないことです。

 二酸化炭素の排出について同じように考えると、現在行っている、被害をこうむる人たちを顧みない排出が、「あのころはとんでもないことをしていたね」と振り返られる時代が将来的に来るべきです。そういう時代が来てはじめて、気候正義の問題が乗り越えられたと言えるのでしょう。

 もうひとつ想像してみていただきたいのは、「日本がもし沈むことになったら」どう思うかです。すぐではないとしても、たとえば「あと100年ぐらいで日本の国土は消滅すると、科学的に予測されました。しかも日本人にはほとんど原因がなく、外国の人たちのせいです」と言われたらどうでしょう。日本人はみなその理不尽さに憤るのではないでしょうか。

 日本で増加する異常気象は、ある意味では「相応な報い」かもしれません。しかし、自分たちでは二酸化炭素を排出していないのに、いちばん深刻な被害を受ける人たちは、とても理不尽に感じるだろうと思います。その状況に置かれている人たちが実際に今いると知れば、「気候正義」という問題が理解しやすくなるのではないでしょうか。

個人と人類の両方の視点

 本書は、気候変動により自分自身に何が起こるかという生活の視点と同時に、人類の文明にとってどういう問題なのかという大きな視点の両方を用いた書き方が特徴的です。

「温暖化の話をされても、自分の生活がどうなるのかわからないと興味を持てない」とよく言われますが、その視点だけからの情報を並べると、今度は自分の生活だけに気をつけてほかのことは関心を持たなくなるおそれがあります。この本では個人の生活と人類全体という対極的なふたつのスケールの両方を行き来しながら、気候変動の影響を論じているところが、非常に優れていると感じます。

 気候変動に関する本の多くは、対策ありきの結論でそれに導くように書かれているか、あるいは、「気候変動の影響は脅威ではない」「対策をしても温暖化が止まるかわからない」といった懐疑的な調子で書かれているか、どちらかです。けれども、本書の著者デイビッド・ウォレス・ウェルズは、冒頭で「自分は環境保護論者ではない」と断わり、「気候変動について調べてみたら、こんなことになってたんだけど、みんな、どうする?」といった調子で、非常にフラットなジャーナリズムの視点から書かれていることが、多くの読者を獲得した理由と思われます。

 第3部「気候変動の見えない脅威」では、「これだけ大変な問題だと多くの人はわかっていながら、なぜ本格的に取り組まないのか」ということに関して、政治、経済、技術等に各1章を割き、多角的に語られます。

 たとえば第20章「テクノロジーは解決策となるのか?」では、「技術で解決しようという考え方があるが、その考え方にはこんな落とし穴があり、どうやら技術に頼りきるのは難しそうだ」という感じに述べられ、それぞれの観点を独自の手法で掘りさげています。それにより、読者がいままでひとつの結論に飛びついていたとしたら、その考えは相対化されていくでしょう。社会は複雑で非常に不確実だけれど、不確実な中で、この問題にどう向き合っていくべきか、という調子で終始語られていくのは気候問題の本質をついており、巧みな書き方だと思います。

プロフィール

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江守正多(えもり・せいた)
国立環境研究所地球環境研究センター副センター長。東京大学大学院総合文化研究科博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。2018年より現職。専門は地球温暖化の将来予測とリスク論。IPCC第5次および第6次評価報告書主執筆者。2012年、日本気象学会堀内賞受賞。著書に『異常気象と人類の選択』(KADOKAWA)、編著に『地球温暖化はどれくらい「怖い」か』(技術評論社)など。

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