「よい関係」を作ろうとする、一番おだやかな道――「愛がありふれている #4」向坂くじら
いま、文芸の世界で最も注目を集める詩人・向坂くじらさん。「本がひらく」連載で好評を得た、言葉の定義をめぐるエッセイ「ことぱの観察」の次なる連載テーマは「愛」。稀有なもの、手に入りにくいものだと思われがちな「愛」はどのようにありふれているのでしょうか。向坂さんの観察眼でさまざまに活写するエッセイです。
新しい年が来て、年越しを過ごした実家から自宅へ戻ると、赤や黄色のあざやかな葉書がポストの中に重なっていた。手に取ると思ったよりも枚数がある。年賀状が、たくさん来ているのだった。
わたし自身はというと、子どものころ以来年賀状を出していない。中学生か高校生くらいで習慣がなくなってしまって、そのまま年賀状と縁のない大人になった。ここ十年くらいは基本的に数枚しか届かず、親戚やわずかな古い知りあい、あとは広告というぐあいだった。だからといって特に気にすることもなかったけれど、それが今年になって急に増えた。
なんだなんだと思いながら差出人を見て納得する。仕事で知りあった編集者たちからだった。編集という仕事を身近で見るようになって、つくづく感心するのはその細やかさだ。すばやい返信に細やかなスケジュール管理、みんなフットワークも軽く、さらにはこちらの体調や気持ちの状態まで気遣ってくれる。端的に言って、わたしの苦手なことのすべてができる人たちである。完全なる偏見によって、本が好きな人というのはみんなわたしに似た物忘れぐうたら人間ばかりだと思っていたから、そのギャップにもおどろく。本が好きなのに? と思う。だからしみじみと納得した。確かにそうだ、年賀状を出すことのできそうな人たちである。
けれど中に一枚、「また小説書いたら読んでください」とメッセージが添えてあるものがある。運営している国語教室に通う高校生からだった。小説を書いていて、ときどき読ませてくれる。そういえば年末に「くじらさん。年賀状出してもいいですか?」と言われていたのを思い出す。
わたしが「えっ」とうろたえたのは、予想していなかったから、という以上に、そのていねいさにだった。先生と呼ばれる仕事をしていると、しばしば生徒の礼儀正しさにおののく。そこに日ごろの自分の振る舞い、とくに悪しき振る舞いが映っている気がするからだ。その高校生はわたしのことを「くじらさん」と呼ぶけれど、「先生」と呼ぶ子どもも、「くじら先生」と呼ぶ子どももいる。まちまちだ。先生によっては最近、あえて「先生」と呼ばせない人もあるらしい。「先生」という呼びかけによって、ある記号化された上下関係が、現実の関係の中へ呼びこまれてしまう気がするからだろう。その気持ちも分からないではないけれど、わたしの教室ではべつになんでもいいことにしている。それでもやっぱり、無意識のうちに子どもたちを萎縮させてしまうのはいやだ。
そんなふうに思っているせいか、「いや、全然いいですし、うれしいんですが、そんな気を遣わなくても平気です。べつに許可をとらずに勝手に出してくれていいし、出すって言ったけどやっぱりやめちゃったでもいいし、なんでも、なんでもいいです……」と、答えるうちにどんどん歯切れが悪くなる。高校生はおお、おお、みたいな顔でうなずいてから、「いや、だって、喪中とかかもしれないんで」と答えた。本当にそうである。確かに……と思って、「確かに……」と言った。かくして無事、年賀状はポストへ届いた。
だから呼び方には無頓着な方だと自認していたのに、メールボックスを前にして、かれこれ三十分は悩んでいる。相手は講座の依頼をくれた企業の担当者で、メールのやりとりをはじめて数日、まだ直接会ったことはない。その人からの三通目のメールには、冒頭に「私も『様』でなくて問題ないです」と書かれてあった。
「無理なくフランクにやりとりできると嬉しいです」
そのあとにはていねいに、「ただ、そうしてくださいというものでもないですので、向坂さんにとって心地よい感じですと嬉しいです」とも書き添えてある。
言われてみれば確かに、わたしの方は宛名に「様」をつけている一方、その人からのメールには最初の問い合わせの段階からずっと「向坂さん」と書いてあった。言われるまでまったく気がついていなかった。叙述トリックに引っかかるときぐらい気がついていなかったので、わざわざ最初から見返してしまった。パソコンの画面には返信を記入するボックスが開き、入力位置を示す縦線が空白の上で点滅を続けている。なにしろ大人であるからには、メールというものは、宛名から書きはじめないといけないのだ。
「◯◯さん」と打ってみて消す。続けて、「◯◯様」と打ってそれも消す。まいった。たった二行の但し書きで、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
なにをそんなに困っているのか、と思われる方もあるかもしれない。しかしこの時点で、わたしはもうその二択のどちらを採用することも、自分に対して許せなくなっていた。すなおに「さん」とすればよいのかもしれない。型を踏まえているにすぎない空虚な関係、そこから生まれる空虚なコミュニケーションをおそれるようなその手つきには覚えがあるし、そこに込められた気づかいもわかる。「先生」と呼ばせない先生や、また「先生」と呼ばれてはいても、年賀状ぐらいであえなくおののくわたしと同じだ。
けれど「さん」と呼びあうことにしてしまえば、まるで記号的な上下関係がそれで解消され、無事に「フランク」な関係が形成された、というような同意ができてしまいそうだ。そう思うと警戒せずにはいられない。対等でフランクな関係の中であろうと、権力の勾配は当たり前に生まれる。そしてそれはときに、目に見えてある上下関係よりもやっかいな様相を呈すことだろう。体面上はないことにされているぶん、権力をふるう側にとっては自覚しづらく、ふるわれる側にとっては拒みがたい。まして、相手はわたしにとってはいわばクライアントで、それでいて詩の講座という仕事ではわたしのほうに専門性がある。関係の不均衡さがどちらへ傾いてもおかしくない。
しかしだからといって、ただ「様」を使うわけにもいかない。そこまで提案を退けるからには、なにかしら理由を書く必要がある。だからといって「言われた通り、わたしにとって心地よい感じで、『様』でいかせていただきます!」などとしてしまうと、結局相手の言うことを受け入れている点では「さん」と呼ぶのと変わらず、同じ警戒をしなくてはいけないだろう。てらいのない心づかいであろう、「心地よい感じで」という指示が、かえってわたしの首を絞めている。となればもう、提案されたうちのどちらかを選ぶ、ではなく、提案自体を丁重にお断りしなくてはいけないのだ。しかし、べつに気むずかしいとか、意地悪な人だと思われたいわけでも、当然、ない。ここまで書いているともう手遅れな気もしてくるけれど、少なくとも意図してやりたいわけではないのだ。第三の選択肢は、と一瞬考えるけれど、おふざけの域を出ない。「殿」、あるいはもうまさかの呼び捨て、いやどう考えてもばかだ。
さらに言えば相手はおそらく年上の男性であり、「『様』でなくて問題ないです」と向こうから言い出すことはできても、わたしの方から提案することはできない。だからこそ互いに「さん」としようと提案してくれたのだ、というその厚意はわかる、けれどそれを正面から受け取ろうと思ってもなお、現状すでにあるその非対称性に目をつむったままなんとなく対等“ふう”に振る舞うことは、わたしにはどうしてもできなかった。
かなり悩んで、やっと返事をした。悩んだところでやっぱりことはいかんともしがたいまま動かず、結局いま書いたようなことを、気持ち程度丁重に、ひとつひとつ説明した。その上で最終的な回答は、「そのため、少なくともまずは一般的な礼儀を持って関わらせていただく方が、より適切だと判断しています」という文面になった。宛名には「様」とつけたのだった。悩んだ末、そこに「礼儀」という言葉が出てきたことが、自分自身で意外だった。
末尾に「ご容赦ください。自分の行動に気を払っていたいというだけですので、呼んでいただく分には、なんと呼んでいただいてもかまいません」と書き添えたときには、はちまきをしめるような気持ちだった。依頼された講座の内容は、まさにわたしのやりたいような、楽しみでたまらないものだった。だから覚悟は痛かった。これで、怒られたり、仕事がなくなったりするかもしれない、と、うっすら思っていた。「様」で呼んで怒られるというのはおかしい気もするけれど、本気だった。
返信はやさしかった。意気込んでいたぶん拍子抜けしたけれど、言うまでもなく、はなから悪意を感じていたわけではない。客観的に見て、その人は「フランク」な気づかいをしただけで、悪意らしいのはどちらかというとわたしのほうだろう。けれど、もう一度同じことが起こったとしても、似たような返事をするだろう。ただ、それぞれが架空の「よい関係」のようなものを作ろうとし、それがすれちがっていったあとの、色のない空気が漂っていた。
「『さん』付けなのはどうしてですか?」とたずねたことがあった。はじめて新聞の取材を受けたときだ。わたしの名前についてではない。ついこのあいだ亡くなった、谷川俊太郎さんについてだった。
まだ誰にも存在を知られていないような小さな教室に取材に来てくれたのは、自分も詩が好きだという記者だった。教室は自宅の一室で、壁一面に本棚が置いてある。教材はもちろんあるし、子どものために買った本もあるけれど、しかし多くはわたしの個人的な蔵書だ。だから、詩集の棚の前でその人が立ち止まり、「子ども向けの塾に、マヤコフスキーが置いてあるんですか!?」とどこかうれしそうに驚いてくれたときは、わたしもうれしかった。するとなんと、できあがった記事にも、日本ではあまり知られていないマヤコフスキーの名前が載っていた。
この、「さん」が気になった。たずねてみた答えはずばり、「存命だから」だった。なるほど。亡くなった人であれば歴史上の人物として呼び捨てできるけれど、生きている人はあくまで人間関係の範疇にある呼び方をしないといけないのだ。
だから谷川俊太郎さんの訃報をニュースで見たときわたしが一番に思ったのは、ああ、これでもう「さん」が取れたのだ、ということだった。草野心平、ギンズバーグにマヤコフスキー、それから谷川俊太郎。
ほんの何回かだが、谷川さんにお会いしたことがある。はじめてお会いしたとき、紹介してくれたのはわたしが師とあおぐ詩人、上田假奈代さんだった。假奈代さんはわたしを紹介するとき、いつも「わたしの弟子を名乗っている人です」という。だからわたしも厚かましく、「こんにちは。假奈代さんの弟子を名乗っているものです」と自己紹介した。すると谷川さんは、なにかめんどうくさそうに苦笑いし、「弟子だったら、この人にとってもらうほうがいいよ」と言って、假奈代さんを指さした。
一瞬、そのわずかな誤解を見過ごしそうになった。わたしは假奈代さんの弟子を名乗っているのだから、最終的なところでは合っている。しかしすぐに気づいた。谷川さんはおそらくそのとき、わたしが谷川さんに弟子入りを申し込んだと勘違いして、假奈代さんに水を向けるようにしてやんわりと断ったのだ。
冷たいまでのそのすばやさ、そして手慣れたやわらかさから、谷川さんがこれまで弟子入りの申し込みをかずかず受けてはかずかず断ってきたことが、なんとなくうかがい知れるような気がした。もちろん、それはわたしの想像にすぎない。けれどみょうにしっくりきたのは、その冷たさ、そしてやわらかさが、谷川さんの作品によく似合うからだろうか。
そして「さん」が取れることもまた、うまく仕立てた服みたいに、谷川さんによく似合うような気がした。谷川さんがついにすべての人から呼び捨てにされるのだとしたら、なんてかっこいいのだろう、と思う。しかしそう言いながら、わたしはやっぱり「さん」をつけて呼んでしまう。それが、礼儀を重んじることである気も、礼儀に反することである気もする。
だから例の、ややふしぎにも思う新聞の慣例のことを、ふたたび考えたくなる。ひょっとしたら、亡くなってやっと、人は人間関係や、ともすれば形骸化して空虚になるコミュニケーションや、その周辺につきまとう礼儀や気づかいから解放されるのかもしれない。敬称というくびきを、重たい地へ置き去りにするようにして。反対に言えば、亡くなりでもしないと、人間関係からは逃れられないのだ。そう思えばおおごとである。
新しい年が来て、年賀状が並んでいる。年賀状ほど純粋に型を重んじ、礼儀を重んじているものも、日常ではめずらしい。だから、というべきか、葉書の宛名はみなよそよそしい。仕事相手はいいとしても、古い知りあいも親戚も、そして生徒や卒業生も、みんなわたしの名前に「様」と添える。礼儀だ。呼んでもらう分には、やっぱりなんと呼んでもらってもいいと思っている。様でもさんでも先生でも、殿でも呼び捨てでも、どうでもいい。けれど同時に、いい関係であってほしいと思っている。より詳しく言えば、関係性の上で起こる暴力が、どうかわたしによって起こらないでいてほしい、と思っている。
だから生きているうちは、せいぜい人間関係にからまって、それが悪い関係にならないよう、おそるおそる型を踏まえるしかあるまい。その上で、それが型を踏まえただけにすぎない空虚な関係にならないようにする努力なら、たかが生者であってもなんとか試みられるものかもしれない。それが「よい関係」を作ろうとする、一番おだやかな道ではないか。
年賀状の中身はだいたい決まっている。プリントされた「あけましておめでとう」とか「謹賀新年」とかの祝詞、近況を知らせる写真、それから縁起のよさそうな図柄。そこに、ほとんどきまって、手書きの文字が添えてある。スペースが小さいこともあって大したことは書かれていないのだが、例外なく添えてあるのだ。一斉送信の祝辞だけではつまらない。けれど礼儀をそこねたくない。なんにせよ相手に心づかいを示そうとする、その板挟みの逡巡が、小さな紙の小さな文字の上にあるように思えて、いじましい。
来年は出してみようか。
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プロフィール
向坂くじら(さきさか・くじら)
1994年、愛知県名古屋市生まれ。2016年、Gt.クマガイユウヤとのポエトリーリーディング×エレキギターユニツト「Anti-Trench」を結成、ライブを中心に活動をおこなう。主な著書に詩集『とても小さな理解のための』、エッセイ『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』(百万年書房)、『ことぱの観察』(NHK出版)など。2024年、初小説『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)が第171 回芥川龍之介賞候補となる。執筆活動に加え、小学生から高校生までを対象とした私塾「国語教室ことぱ舎」の運営をおこなう。