家庭のチャーハンは「ケ」の料理。小さな変化を楽しむ(フリーランサー・稲垣えみ子) 【前編】
家電なし、ガス契約なしで、一食200円の「一汁一菜」生活を送る、元新聞記者の稲垣えみ子さん(59)。3日に一度小鍋でご飯を炊き、2日目はチャーハンだとか。それならば、とインタビューを申し込んだところ一度断られてしまった。そこには、「おいしい」を取り巻く状況への違和感があった。
■原発事故をきっかけに、ミニマルな「一汁一菜」生活へ
──チャーハンのインタビューをお願いしたところ一度断られてしまいました(笑)。
これまでの記事を拝見したら、リードに「チャーハンのことになると、人はときに饒舌になる」とあって、考えてみたら私は「ときに饒舌になる」どころか、饒舌になるほどのこだわりをチャーハンに持っているわけでは全くないので、お話できることが思い浮かばなかったんです。
というか、そもそもチャーハンに限らず、食べることについて「おいしい」「おいしくない」という観点で考えなくなっているんですよね。以前は全くそうじゃなくて、おいしいもののことばかり考えていたんですけど、2011年の東日本大震災の原発事故をきっかけに冷蔵庫をやめて「飯・汁・漬物」の一汁一菜生活を送るようになって、ふと気づけば「食」に対する考え方がすっかり変わってしまったんです。あんなにおいしさを求めていたのが、今では「おいしい」ということばかりが語られすぎていることに違和感を感じるようになってしまって。
────このインタビューはチャーハン普及とかおいしさPRのためのものではないので大丈夫です。「なんてことのない日常」に寄り添ったこの料理について、さまざまな方々から気楽にお話をしていただいています。
稲垣さんは冷蔵庫や洗濯機、電子レンジなどの家電を持たず、いまや月々の電気代は200円程度と聞きます。
そう言われるとなんかすごいことしてるみたいですけど、別に大変でもなんでもなくて、案外普通にやってます。正確には家電を全部やめたわけではなくて、灯りとラジオ、パソコン、携帯電話の四つは使っているんですが、それだとこのくらいの電気代で十分なんです。
──さらに、2016年に50歳で朝日新聞社を退社されました。
電気に依存する暮らしをやめたことで、会社に依存する人生を辞める勇気が出たのかもしれません。
もちろん会社への依存をやめれば給料がもらえなくなるので、家賃を圧縮するため古い小さなワンルームマンションに引っ越しました。それも結果的に良かったんです。とにかく家が狭くて収納もないので、服も本も食器もとにかくあらゆるものを処分しまくらなければならなかったんですが、おかげで家事がラクになって生活にすごく余裕ができました。
──台所もコンパクトですよね。
引っ越しを機にガス契約もやめて、カセットコンロ一つで料理するようになったんですが、そうなるとそもそも火元が一個だから鍋がたくさんあっても仕方がない。STAUBのホーロー小鍋と南部鉄のミニダッチオーブンだけを残して、その他の調理道具もほとんど処分しました。
──家電の中でも、「冷蔵庫」を手放したインパクトは大きかったようですね。
節電を始めた当初は、まさか冷蔵庫まで手放すことになるとは思ってなかったんですけど、いろいろあって最終的にそこにまで手をつけることになったんです。もちろん、冷蔵庫なしでどうやって食べていけるのか不安しかなかったし、人に相談しても絶対無理と言われるので相当迷いはしたんですが、よくよく考えたら冷蔵庫のない時代って、そんなに大昔じゃないってことに気づいて、じゃあその時代の人の食生活を真似すればやっていけるはずだと。
──江戸時代の長屋の生活をヒントにされたということですね。
時代劇が好きだったので、「遠山の金さん」とか見ながら、冷蔵庫のない江戸の庶民はどんな食生活を送っていたのか、目を凝らして観察したんです。
そうしたら、要するに毎日「飯・汁・漬物」なんです。いわゆる一汁一菜ですね。
なるほどと思いました。たしかにこれなら、残った野菜を味噌汁に入れたり漬物にしたりして使っていけばいいから、腐らせることもありません。ご飯はといえば朝にまとめて炊いておひつで保存すればいい。「これだ」と思いました。
──冷蔵庫なしで、生活はどう変わりましたか?
毎日同じものを食べる生活が、生まれて初めて始まりました。感想としては、まずはなんといってもラク! だって汁さえ作れば料理が完成するわけだから、調理時間は10分もかからないし、何より「今日のご飯、何にしよう」と考える時間が一切要らなくなったことが大きい。生きることってこんなに楽ちんだったのかと驚きました。もちろんお金もかからない。いろんな悩みから一気に解放された感じです。
■「おいしい」への違和感
──そして、この一汁一菜生活を送り続けるうちに、「おいしい」を巡る状況に違和感を覚えるようになったということですね。冒頭でお話になっていた。
そうですね。たしかに「食べる」って楽しみの一つであり、娯楽の側面もあるとは思うんです。
私もずっとおいしいものを食べることが好きだったし、料理も好きなので、かつては、おいしい店があると聞けば足を運び、おいしいレシピがのっている料理本があればせっせと買っていました。
でも、これってどんどんエスカレートするんですよね。おいしい店を探すこともキリがないし、家でおいしいものを作ることもキリがない。
――たしかに、テレビをつけると「おいしい!」の絶叫があふれかえっています。
「おいしい」って、どんな人でも共感できる幸せで、「私、おいしいものが大好きなんで」って言われると、何だかいい人みたいに思えてきたりするじゃないですか。でも逆に言えば、そのくらい否定しづらい「イイこと」だからこそ絶対正義になりがちで、その結果、外食だけじゃなくて家庭でも「毎日おいしいものを作らなきゃいけない圧」みたいなものが当たり前になってきて、気づけば多くの人が料理に苦しむようになってきているんじゃないでしょうか。
仕事から帰ってきて、時間がなくて疲れているのに、毎日毎日「世界のご馳走」を複数作ってテーブルに並べなきゃいけないって、どう考えてもめちゃくちゃ大変です。楽しいはずの食べることが、いつの間にか苦しみの元になっているというすごくおかしなことになっている。
でも本当は、家庭料理は日常の「ケの料理」なんだから、おいしいご馳走を毎日作る必要なんて全然ないんじゃないか。そのことに気づくだけで、生きることがラクになる人がたくさんいるんじゃないかなと。
──「料理がツライ」「苦しい」という声はよく耳にします。チャーハンでも、「家庭で店のようにうまくパラパラできない」という悩みの声も。
私が作っているのは、ただ冷えて硬くなったご飯を食べるための手段で、パラパラにしようなんていう発想は全くないし、それで十分満足して食べています。っていうか、もともと家庭料理って、ハレとケで言えば「ケ」の料理で、もともと家で作るチャーハンって、冷やご飯と残り物の一掃料理だったんじゃないですかね?
そんなチャーハンがいつの間にかハードルが高くなって、手に負えない料理になってしまっているとしたら、それってかなり危険なことのような気がします。
本格的なチャーハンが食べたければ、プロの料理を食べればいいし、家庭でプロと同じものを作ることを目指す必要は全然ないんじゃないですかね?
──「ケの料理」を食べ続けることで、見落とされているものが見えてきたわけですね。
生きていくためには食べなければならないし、食べるものを自分で作ることは、何があっても生きていける自信につながると思います。
でも「おいしい」が全肯定され、毎日違う、おいしいものを作ることが「豊かさ」と見なされている社会では、料理を作ることのハードルがどんどん高くなってしまって、料理が好きじゃないとか苦手という人を増やしてしまっている。一方的に自分を責め苦しんでいる人も少なくないのではと思います。
「いやいや、悪いのはあなたじゃないよ」と言いたいですね。「歴史的に見れば、いまが行き過ぎたちょっと特殊な時代なんだ」と。
■ワンパターンだからこそいい
──一方、「ご飯・味噌汁・漬物」のワンパターンの繰り返しに飽きることはないのですか?
よく聞かれるんですけど、これが不思議に飽きないんですよね。
で、どうしてかなと考えたら、それはたぶん「おいしすぎない」から。地味なものは毎日食べても飽きない。「ご飯に飽きた」とか、「味噌汁に飽きた」という話は聞いたことないですよね。
でも「おいしいもの」、ご馳走って、二日連続は食べたくないです。だから頑張ってご馳走を作り続けるほど、無限に毎日違うご馳走を作らなきゃいけなくなるという恐ろしい世界に取り込まれていってしまう。
だからワンパターンでいいし、むしろワンパターンだからこそいいんです。
──ワンパターンだからいい?
ワンパターンは「いつもの味」で、安心できる味なんです。生きていたらいろんなことがありますよね。その中で、家に帰ったらいつもの味のご飯を食べてホッと安心できるって、すごく貴重なことじゃないでしょうか。
体調の変化を知るバロメーターにもなります。
──とはいえ、旬の食材を使うことでワンパターンの中にも変化やバリエーションはありますものね。
そのくらいの変化で十分じゃないでしょうか。大根のおいしい季節に入ったとか、菜の花が出てきたなとか。そんな小さな変化を楽しみにできる力が身につくと、普通に生きているだけで幸せになれます。
──では、一汁一菜生活の中で、具体的にどのようにチャーハンを作り食べているのか。引き続き、後編で伺わせてください。
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◆プロフィール
フリーランサー 稲垣えみ子
1965年、愛知県生まれ。朝日新聞社で大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員を務め、2016年に50歳で退社。以来、都内で夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしのフリーランス生活を送る。『家事か地獄か』『アフロえみ子の四季の食卓』『もうレシピ本はいらない』(第5回料理レシピ本大賞料理部門エッセイ賞受賞)など著書多数。
取材・文:石田かおる
記者。2022年3月、週刊誌AERAを卒業しフリー。2018年、「きょうの料理」60年間のチャーハンの作り方の変遷を分析した記事執筆をきっかけに、チャーハンの摩訶不思議な世界にとらわれ、現在、チャーハンの歴史をリサーチ中。
題字・イラスト:植田まほ子