中野京子「異形のものたち――絵画のなかの怪を読む 《人はなぜヘビを嫌い、恐れるのか?(2)》」
画家のイマジネーションの飛翔から生まれ、鑑賞者に長く熱く支持されてきた、名画の中の「異形のものたち」。
大人気「怖い絵」シリーズの作家が、そこに秘められた真実を読む。
※当記事は連載第4回です。第1回から読む方はこちらです。
ペルセウスと蛇
前回は蛇に女性を重ねて恐怖と恍惚を覚えた事例を紹介したが、ここからは人外の存在、化け物としての蛇を取り上げる。
まずは再びペルセウス。彼は蛇に縁があるようで――。
蛇女メドゥーサを殺したペルセウスは、その首を自らの盾に付けた(死んでなお石化させる能力があったため)。そして天馬ペガサス(メドゥーサの流した血から生まれた)に跨り、帰国の途につく。エチオピア上空を飛んでいる時、海岸の岩に鎖でつながれた美女を見つける。たちまち彼女に恋したペルセウスは、わけを知るため下りていって町の人に訊いた。
話によれば、海の怪物が生贄を要求し、この度はエチオピアの王女アンドロメダが選ばれて、これから犠牲になるところだという。ペルセウスは王に会い、怪物を退治したら王女と結婚してもよいとの約束をとりつけてから(助けるのが先だろうに……)、やおら怪物に向かってゆく。メドゥーサ付きの盾で石化させた、あるいは斬り殺したとの二説ある。
いずれにせよ、めでたし、めでたしの大団円。後に関係者――英雄、美女、美女の父と母――四人は皆、星になっている。ペルセウス座、アンドロメダ座、ケフェウス座、カシオペア座がそれだ。もちろん海の怪物も星になった。ペルセウス座に追われる位置にある、くじら座。では海の怪物は鯨だったのか?
そうでもないらしい。なぜならこれは海の怪物ケートス(kētos=cetus)にちなんで、あとから付けられた星座名だからだ。ケートスとは鯨、イルカ、ジュゴン、アザラシなど海獣を意味する言葉で、ペルセウスが戦った架空の怪物とは必ずしも同じではないという。
ではどんな怪物かといえば、諸説ある。頭部は犬、胴体は鯨ないしイルカ、下半身は魚。他にはドラゴンの一種、または巨大な海蛇など。かように定まらないところへもってきて、多くの画家が自在に想像をめぐらせてきたため、この怪物の定型というものはないに等しい。
オランダの画家ヨアヒム・ウテワール(1566~1638)の『アンドロメダを救うペルセウス』を見てみよう。
(ヨアヒム・ウテワール『アンドロメダを救うペルセウス』、1611年、ルーヴル美術館)
画家が一番描きたかった(発注者が一番見たかった?)のが女性ヌードだということは明らかだが、その点は多くの神話画に共通して言えることだ。本作で面白いのは、アンドロメダの足元にある異国的な貝殻の数々。十七世紀黄金時代のオランダが夢中で収集した世界各地からの珍品の中に、必ず入っていたのがこうした美しい貝殻だった(それらと一緒に、アンドロメダ以前に怪物の犠牲になった人間の白骨も描き込まれていて不気味だ)。
ペルセウスは画面右上にいる。ペガサスはたいてい白馬として登場するが、ここではごく普通の馬という印象。翼もなぜか小さい。小さいと言えば、英雄が左手に持つ盾もずいぶん小さいが、メドゥーサの首(舌を出した横顔)を付けているので、これで十分身を守れる。しかしここでは敵を石化させるのではなく、振り上げた剣で怪物に挑む。
怪物はなかなかカラフルで、現実の動物に似て非なる幾種もの組み合わせになっている。顔は緑色、瞼は黄色、ピンクの鼻の孔から毒水(?)を噴き上げ、口中には牙が見える。飛ぶには用を為しそうにない模様付きの羽が首の後ろから生え、胸元から前脚までの形態は馬に似ているが、鱗はあるし、足先はニワトリの仲間風だ。尾は太い海蛇のようにうねるものの、ジュゴンに似た尾鰭もある。これほど凝った造りにもかかわらず、画面上では脇役扱いなのが可哀そうな気がしないでもない。
ウテワールから二世紀後、産業革命真只中のイギリスで活躍したエドワード・バーン=ジョーンズ(1833~1898)も海の怪物を描いている。『果たされた運命――大海蛇を退治するペルセウス』だ。他のペルセウス像にはなかった、都会的で洗練された、近代の息吹を思わせる作品。
(エドワード・バーン=ジョーンズ『果たされた運命――大海蛇を退治するペルセウス』、1882年頃、サウサンプトン市立美術館)
タイトルの「運命」というのは、一目惚れしたアンドロメダと結ばれることを指すのだろう(画面上ではまだ奮闘中で怪物を完全に倒したわけではないが)。怪物は巨大な海蛇と解釈されている。ヌードのアンドロメダは、完璧な後ろ姿。
ペルセウスは鎖帷子の上に金属板の甲冑を着込む。画家は構成上ペガサスをここに描き入れる愚は犯さず、翼付きサンダルを履かせて彼の飛翔能力を示す。盾は持っておらず、腰に袋をぶら下げて、そこにメドゥーサの首を入れている。袋の口から覗く黒い髪の毛は蛇ではないが、その代わりなのか、怪物の顎鬚(のようなもの)が蛇だ。
また怪物には鱗がなく、全体が青みを帯びて、無機質な印象を与える。つまり工場内の頑強なパイプのイメージなのだ。アンドロメダの白い柔肌との対比が著しい。このような機械のごとき非人間的怪物と戦うには、ペルセウス自身も青く固い甲冑、しかも鱗を重ねたような装飾的甲冑で身を守らねばならない。
巨大なパイプ群と蛇――まさしく新時代が喚起したイメージといえよう。
北欧神話の大海蛇
絶え間なくうねる海の波を、蛇の這う姿と重ねたのは古代ギリシャ人だけではない。滅びの美学に貫かれた北欧神話(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランドが共有)もまた、海には恐るべき大海蛇がいると語り継いできた。
北欧神話の世界観によれば――中心に宇宙樹が聳(そび)え立ち、天には神族が住まう。その下に四人の小人が支える大地があり、人間族と巨人族それぞれの国がある。海には巨大なヨルムンガンド(またの名ミッドガルド蛇)がいて、これがどれほど巨大かといえば、口で自分の尾を嚙むと世界をぐるりと取り囲めるほどというから、大変なスケール感だ。ギリシャ神話の大海蛇など、これに比べたらミミズのようなもの。
主神はオーディン。知識、戦、死をつかさどる。だが神族で最強の力を誇るのは、雷神にして農耕神のトール。エピソードが豊富で、人気も一番だ。トールはいかにも北国の神らしく、ブロンドの髪、赤ひげ、山のような体躯、雷鳴のごとき大声、稲妻のごとき眼光、大食漢、怒りっぽいがすぐ機嫌は直り、ユーモアもある。武器はミョルニルというハンマーだが、ただのハンマーではない。一撃で敵を(雷のように)粉砕し、投げたら相手を倒してまた戻ってくるという優れものだ。
そんなトールが巨人族のヒュミルと海釣りに行く。餌として牡牛の頭を釣り針に仕込み、引きを待つと、大物がかかった。ミッドガルド蛇である。そのシーンを、イギリスで活躍したスイス人画家ヨハン・ハインリヒ・フュースリ(1741~1825)が『ミッドガルド蛇と戦うトール』で描いている(この作品は「怖い絵」展に出品され、若者から「マイティ・ソーだ!」と人気を博した)。
(ヨハン・ハインリヒ・フュースリ『ミッドガルド蛇と戦うトール』、1788年)
ミケランジェロ作品の登場人物のように筋骨隆々のトールは、小さな変わった兜以外は何も身に着けていない。神話と違ってひげも生やしていない。髪もブロンドというより赤毛に近い。釣り糸(ここでは鉄鎖)を右手でたぐり寄せ、左手に(サウスポー?)握ったミョルニルを振り上げる。漆黒の闇のように黒く禍々しいミッドガルド蛇は、針で傷ついた口から血を吐きながらも、身をよじって抵抗する。首の後ろの白い翼も揺れる。
無敵のハンマーに痛撃され、巨大な毒蛇は退治されるのだろうか……そうはならなかった。
なぜなら画面右、船べりにしがみついて恐怖に震えるヒュミルが、このままでは船が沈むと、鎖を切ってしまったからだ。ミッドガルド蛇は海中へもぐって逃げ去った。もう少しのところをトールは仕留めそこねた。画面左上からはこの顚末を主神オーディンが暗い目で見降ろす。この先をすでに予見していたのであろう。どんな未来かというと――
やがて神族と巨人族の最終戦争ラグナログ(=神々の黄昏)が勃発し、大地は震え、大津波とともにミッドガルド蛇が毒を吐きながら上陸してくる(映画『シン・ゴジラ』の第二変態型を思い出す)。トールはその怪物の前に立ちふさがり、激戦をくりひろげた末ついに蛇の頭上にハンマーの一撃を加えるが、自分も毒を浴びて斃(たお)れるのだった。
大いなる災厄をもたらす蛇には、神でさえ相討ちがせいぜいで、完全勝利には至らない。邪悪な存在というのは、それほどにも手ごわいものなのか……。
多頭蛇と人蛇
蛇の薄気味悪い習性の一つに、群れて越冬し、春に目覚めるとそのままそこで繁殖行動に入り、団子のようにくんずほぐれつの有り様を呈することだ。そうした際に興奮したり威嚇したりで何匹もの蛇がいっせいに鎌首をもたげると、遠目からは多頭の蛇と錯覚することも(私見だが)あったのではないか。世界中に――日本のヤマタノオロチ、インドのナーガ、スラブのズメイ、ペルシャのアジ・ダハーカなど――多頭竜(蛇)の言い伝えが残っているのは、そうしたところからもきているかもしれない。
ギリシャ神話なら九頭を持つ毒蛇ヒュドラ(ギリシャ語のヒュドロスHydros=水蛇が由来)。この怪物と戦ったのが、半神半人の英雄ヘラクレスだ。彼は主神ゼウスが人間の女に産ませた子だが、ゼウスの妻ヘラの乳を飲んだことから半神となり、ヘラクレス(ヘラの栄光)と名付けられた。だがヘラに憎まれ、苦しめられる生涯だった。幼児の時にはベッドに二匹の毒蛇を放たれたこともある。子供ながら怪力だったので、やすやすと絞め殺しはしたが。
「ヘラクレス十二の功業」もヘラの憎悪からきている。功業の一番目だったライオン退治の次がヒュドラ退治。ルネサンス時代のイタリア人画家アントニオ・デル・ポライウォーロ(1429~1498)が『ヘラクレスとヒュドラ』を描いている。
(アントニオ・デル・ポライウォーロ『ヘラクレスとヒュドラ』、1475年頃、ウフィツィ美術館)
退治したライオンの皮を頭からかぶったヘラクレスが、凄まじい形相で次から次に蛇の頭部を棍棒で殴りつける図だ。すでに引きちぎられて地面にころがり、踏みつけられる蛇の頭もあるが、ヘラクレスも足から血を流す。蛇の顔がどことなく狼を彷彿させるのは、耳を立てているように見えるからか(これはまさか翼?)。しかも顎鬚のようなものまで生えているので、そうとう妙ちきりんな蛇だ。
首の数は九つの他に百という説もある。後者の場合、ヒュドラは首を切られてもすぐ後から、今度は二つ生えてきたからだろう。殺せば殺すほど倍になるのだから、さすがの英雄も疲れる。それでその後どうなったかというと、ヘラクレスも際限の無さに気づき、一つ引きちぎるごとに傷口を松明の火で焼き切って、ついにヒュドラを倒したのだった。
最後は蛇の良き面を示す絵画をあげよう。
フランドルの大画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)が描いた『ケクロプスの娘たちに発見されたエリクトニオス』。
(ピーテル・パウル・ルーベンス『ケクロプスの娘たちに発見されたエリクトニオス』、1616年ごろ、リヒテインシュタイン美術館)
ケクロプスはアテナイ(現アテネの古名)の初代王で、半人半蛇だった。蛇の賢さを受け継いだこの王は、国の守護神にポセイドン(海と地震を司る)ではなく女神アテナ(知恵、芸術、戦略を司る)を選んで国を繁栄させた。
本作はその王の死後の話――ケクロプスの三人の娘が、アテナから籠を渡され、中を見るなと言われた。実は中に幼児のエリクトニウスが入っていたのだ。エリクトニウスは父親が鍛冶の神へパイストス、母の方は諸説あるが、ルーベンスは大地の神ガイア説をとっている。その証拠に、画面右上の噴水彫刻はガイア。複数の乳房が大地の豊穣の証だ。
中を見るな、と言われた神話の登場人物に、見なかった者はいない。ケクロプスの三人娘(ここではなぜかヌード)もそうで、禁を犯して籠を開ける。すると足が蛇の赤子が眠っていた。この後、彼女たちが女神に罰せられたのは言うまでもない(とはいえ異説もあり)。
あまり可愛くないこの男児は、腕を白い布で巻かれているが、これは蛇ではなく、スワドリング(乳幼児が暴れないために古来長く続いた現実の風習)。蛇は赤子の膝下あたりから二本生え、ぬめぬめと蠢(うごめ)いている。いったいどうやって歩くのか?
もちろんエリクトニウスは成人しても普通には歩けなかった。足の不自由さを蛇で言い換えているのだ。さらにもう一つ、賢明さも蛇によって象徴されている。エリクトニウスはケクロプス同様、蛇の知恵を持っていた。工夫を凝らしてさまざまな物を発明したが、もっとも偉大な発明はチャリオット(二輪馬車の戦車)だという。自らもこれに乗り、戦場を駆け回って活躍。後にアテナイの王となって善政を敷いた。
頭部が蛇で、下半身が人間という姿でなくて良かった!
プロフィール
中野京子(なかの・きょうこ)
作家、独文学者。著書に『「怖い絵」で人間を読む』『印象派で「近代」を読む』『「絶筆」で人間を読む』『美術品でたどる マリー・アントワネットの生涯』、「怖い絵」シリーズ、「名画の謎」シリーズ、『ヴァレンヌ逃亡』、『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』『(同)ハプスブルク家12の物語』『(同)ブルボン王朝12の物語』、最新刊に『画家とモデル――宿命の出会い』など多数。2017年に特別監修を務めた「怖い絵」展は、全国で約68万人を動員した。 ※著者ブログ「花つむひとの部屋」はこちら
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