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自分を語る言葉を得る――#4ローレン・グロフ『優美な食用の鳥たち』(1)

早稲田大学教授で翻訳家・アメリカ文学研究者の都甲幸治さんによる連載の第4回で取り上げるのは、何度も全米図書賞や全米批評家協会賞の候補になるなどアメリカで非常に評価の高いローレン・グロフ。都甲さんが彼女の作品に出会うきっかけは、大学の授業の準備をしているときだったといいます。現代アメリカ短篇を読むその授業で取り上げる作品はどのように選ばれているのでしょうか。


文学を内側から体験する

 大学で教えるのがとても好きだ。特に好きなのが短篇小説を読む授業で、基本的には学生たちに輪になってもらって、作品を読んでどう思ったか、どこが面白かったかをひたすら話し合う。もちろん、作品の背景説明や、読んで難しかったところの解説もするのだが、そういう知識を伝えたり、英語力を上げたり、といったことは授業の中心ではない。

 むしろあくまで、作品を通して自分自身の心と向き合ってもらうことを大事にしている。そうすると思わぬ本音が出てくる。他の人から、自分とはあまりにも違う解釈が出てくる、といった話だけではない。自分の話を聞いて、その内容に自分自身で驚くといったことが起こってくる。そうやってだんだんと、自分の心と言葉がきちんと繫がるルートができる。

 その時に繰り返し教えているのが、作品は自分の外に物として存在するのではない、ということだ。むしろ書かれた文字と自分とのあいだに、ホログラフィーのように作品世界が立ち現れてくる。だからこそ、人によって作品の体験は変わるし、読む時期によっても変わってしまう。

 過去にはつまらなかった作品が、5年経ち、10年経つと、面白さをもって自分に迫ってくる。単に知識として文学を暗記するのではなく、文学作品を内側から体験してもらうお手伝いをする、ということを、授業をやりながら常に考えているのだ。

ローレン・グロフとの出会い

 さて、授業には準備がいる。一学期でどの作品を読むのか。僕が最近、気に入っているやり方はこうだ。資料を見ながら、直感的に気になる作品を12本選んでいく。ここで気をつけなければならないのは、自分の得意な作家の作品ばかりに偏らないようにすることだ。油断していると、フィッツジェラルドやサリンジャー、あるいはカーヴァーといった作家の作品ばかりになってしまう。

 確かに、こうした作品はすでにたくさん読んでいるし、背景知識もわかっている。しかも自分にとって共感しやすい。したがって授業もしやすい。けれども、それは学生たちにとって読みやすいことを意味しない。学生はだいたいの場合僕よりはるかに若く、何に共感しやすいかはかなり違う。

 そして、現代アメリカ短篇を読むという授業の場合、自分の好みに偏らず、女性作家と男性作家が半々になるように選んでいる。なおかつ、女性作家と男性作家の作品を、毎週交互に配列していく。そのようにうまく組み合わせて、どの学生もだんだんと、自分と違う性別の作家が書いた作品に慣れるように、授業を作っていく。

 もう一つ気にしているのが、自分が読んだことがない、理想的には名前を聞いたこともない作家の作品を何本か選ぶことだ。もう20年ほどアメリカ文学を教えているから、教えられる作家のレパートリーはだいぶ増えている。けれどもそこにしがみつくと、知識の全体が少しずつ古びていく。

 だから少なくとも必ず数人は、自分にとって新しい作家の作品をカリキュラムに入れる。もちろん僕だって怖い。授業中にコメントが何一つ思い浮かばず、スベりたおすことになるかもしれない。それでも、と言うか、だからこそ、時には嬉しい出会いがある。ここ数年でもっとも驚いたのはローレン・グロフとの出会いだった。

ローリー・ムーアが編者をつとめた“100 Years Of The Best American Short Stories”は、1915年以降毎年刊行されている“The Best American Short Storie”の100周年を記念して、過去の版に収録された二千以上の短篇から40作を厳選し年代順に配列したアンソロジー(撮影:都甲幸治)

「丸い地球のどこかの曲がり角で」の新しさ

 ローリー・ムーアが選んだアンソロジーの中にグロフの “At the Round Earth’s Imagined Corners”(邦題「丸い地球のどこかの曲がり角で」)という短篇があり、なんとなく気になって授業で取り上げた。そして読んでみて、その新しさに圧倒された。寓話のようなフワッとした浮遊感が作品中を漂っているにもかかわらず、愛や死や環境破壊など、シリアスな内容がきちんと盛り込まれている。しかも読んでいて思わず世界に引き込まれてしまうほど魅力的だ。

 主人公である少年、ジュードが住んでいるのはフロリダの湿地帯だ。池ではワニが泳ぎ周り、そこら中、蛇がうようよしている。とにかく湿度が高くて暑く、植物がそこかしこに繁茂している。学者である父親はわざわざ蛇を捕獲してきて家で大量に飼い、妻や息子の反論を許さない。

 しかも南部出身の彼は根っからの人種差別主義者で、妻が黒人のメイドを雇うことを許さない。一方、北部出身の妻は、人種の違いを超えて分け隔てなく友人を作ろうとする。だが、その試みはことごとく夫に潰されてしまう。

 夫とあまりにそりが合わないことに耐えられなくなった妻は、ジュードを連れて北部に戻ろうとする。だが、すんでのところで夫にジュードを奪回され、ついに一人で北部に戻り、ボストンで書店を営むようになる。

2014年の作品「丸い地球のどこかの曲がり角で」は、“100 Years Of The Best American Short Stories”の最後に収録されている。直前に置かれているのはジョージ・ソーンダースの短篇(撮影:都甲幸治)

リアリティーと共存する幻想性

 一方、夫は成長したジュードに、蛇の捕獲などの技を仕込む。だが、暴力的な父親に反抗したジュードは北部の大学に進学し、とうとう母親との再会を果たす。一人で蛇の捕獲を続けていた父親だが、ついに毒蛇に嚙まれて命を落とす。

 結婚したジュードはフロリダの実家に戻り、自分の妻と新たな暮らしを始める。隣の大学に請われて広大な地所を小刻みに売ることで、彼は巨大な財産を手に入れる。だが、その時には、父親が愛した湿地は跡形もなく消え去っていた。

 良かれと思ってやったことではあるが、結局、自分は自然を徹底的に破壊することになってしまった。果たしてこれは正しいことだったのか。ジュードは苦しみ、やがて聴覚を失う。

 ほんの15ページほどしかない短篇の中で数十年の時が流れ、アメリカ南部と北部の対比的な歴史が、夫婦の物語として語られる。しかも自然破壊を続けてきた現代社会を描く、エコロジー的な作品でもある。

 さらに、両親が離婚した機能不全家族に育ちながらもジュードが安定した家庭を築き上げる、という点では、現代アメリカにおける家族論にもなっている。文体は簡潔で、内容はリアリティーがあるのに、作品全体はどことなく絵本のような幻想性がある。

明日に続きます。お楽しみに!

題字・イラスト:佐藤ジュンコ

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

関連書籍

都甲幸治先生といっしょにアメリカ文学を読むオンライン講座が、NHK文化センターで開催されています。

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