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追悼・ムラヨシマサユキさん――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。昨年末に逝去された「きょうの料理」でおなじみの菓子・料理研究家・ムラヨシマサユキさんの思い出についてです。
※当記事は連載の第46回です。最初から読む方はこちらです。

#46 光のようなお菓子を作る人

 この連載はもともとはNHKテキスト「きょうの料理ビギナーズ」で始まった。そんな私自身にも遠からぬ縁がある国民的お料理番組で人気だった、料理研究家のムラヨシマサユキさんが昨年末、亡くなった。
 私とムラヨシさんとのお付き合いが始まったのは、作家デビューしてすぐ、共通の友人である作家仲間が開いてくれたホームパーティーがきっかけだった。確かたこ焼きパーティーだったのだが、ムラヨシさんはパンやケーキをたくさん焼いてきてくれて、とうのバスケットに入れていた。そのどれもが目をみはるほど見事な焼き色がついていて、繊細な味がして、私は興奮した。
 普段のムラヨシさんは皆さんがテレビで知るままの、センスが良くて優しそうで、細やかで物静かな人である。私は食べるのが大好きなせいもあり、すぐに仲良くなった。ムラヨシさんも私も出会った当時はまだ業界では新人扱いで、「売れたいよねー」というような話をよくした。ムラヨシさんは仲良くなると、結構毒舌で、私と同じくらい意地悪なところもあり、おっとりした口調で繰り出されるビシバシした批判がものすごく面白かった。
 テレビや雑誌のイメージから、ムラヨシさんは個人店の丁寧に作られたお菓子しか好きじゃなさそうに見えるが、コンビニフードにとんでもなく詳しかった。仕事でもないのに、大手メーカーの有名な食パンやクッキーを定期的に買って味を確かめ、微妙に配合が変わったことにすぐ気づき、食のトレンドを定点観測していた。私は私で、製菓会社で商品開発の現場にいたせいもあり、「季節商品じゃないけど、すぐに消えるお菓子」というものが直感的にわかる。そんな徒花的なチョコやクッキーをスーパーで見つけるとすぐにムラヨシさんに報告した。案の定市場から消えると「だと思った!」と、二人でニヤニヤした。
 ムラヨシさんのレシピは、今主流の時短や簡単レシピとは全く違う。本格的で、どの工程も欠かせないもので、美意識が行き届いている。食への真剣さが宿っているレシピだ。もちろんスーパーで手に入るもので出来るのだが、缶詰の赤いさくらんぼとか、スキムミルクとか、あまり見ない食材を、アクセントとして少量差し込む。それが驚きになっていて、飽きない。出来上がる量も、平均よりも少ない気がする。確実にしっかり美味しく食べ切れる量だ。
 センスが良いのに、「丁寧で上質なワンランク上の暮らし」を読者に提案するというわけでもない。ムラヨシさんの自分のスタンスを変えない姿勢は一貫していた。ホットケーキミックスで簡単に作れるお菓子やパンの依頼が来た時も「なんかムラヨシさん、そういうの嫌いそうだね」と私は言ったりしたのだが、ムラヨシさんは「やったことないジャンルだからワクワクする」と面白がっていた。そして出来上がったレシピは、ホットケーキミックスレシピではこれまで見たことがない、繊細な色形いろかたちのパンやケーキだった。
 与えられたお題にきっちり答えながら、自分のやりたいことに最大限引き寄せる。私から見ると、それは離れ業に思えた。
 彼が初めて「きょうの料理」に出演した時のことを、今でもよく覚えている。私はお調子者なので、テレビに出るからには、何かしらのネタを仕込むというか、キャラ付けをしないといけないのではないか、と思い込んでいるタイプなのだが、その日のムラヨシさんは普段の彼そのままだった。カメラの前でもいっさい慌てず、いつものように丁寧に調理器具を扱って、穏やかなトーンで話している。何一つ自分を変えないまま、世の中に打って出たムラヨシさんをみて、改めて尊敬の念を覚えると同時に、勇気がある人なんだなと思った。
 一度、一緒にトークショーをやったことがあり、ムラヨシさんはサプライズとして、私の小説に登場したスコーンを焼いて、振る舞ってくれた。観覧した母は、あんなに美味しいスコーンは初めてだ、と今でもよく話している。それがとても楽しかったので、二人で今後もコラボというか一緒に仕事ができないか、とよく話し合っていた。
 しかし、コロナ禍がやってきた。肺に疾患があるせいで、私は自粛を余儀なくされ、あの時話した計画はどれも実現しなかった。自宅にいる間、私はよくムラヨシさんのレシピでお菓子やパンを焼いていた。しかし、先にも書いた通り、彼の工程は、本格的かつ集中力を要求されるものだ。意外な食材が差し込まれたりもする。作っているとこれでいいのかいつも心配になる。「これで合っているんですかね?」とメールすると、その度に、どうしてそういう工程なのか説明してくれた。ムラヨシさんのグレープフルーツのゼリーとレアチーズの二層のケーキをよく作っていたのだけれど、グレープフルーツの剥き方からして結構むずかしいし、軽やかに見えて実に複雑な作り方なのである。「ムースの酸味を抑えているのは、ゼリーの酸味を活かしたいからで、同じ粉ゼラチンでも、層によって柔らかさに変化もつけたい」と、ムラヨシさんは全部に意味があるという話をしてくれた。でも、普段よりちょっと緊張しながら仕上げたゼリーケーキは、光をそのまま食べているような味わいなのである。
 ムラヨシさんの貫いたスタイルは認められ、愛された。明らかにさらにここから活躍する時だったと思うし、多分、これまで誰も切り拓いたことがない道に立つ人だったような気もする。
 亡くなったと聞いてすぐには、ムラヨシさんのレシピを手に取れなかったが、今年は、彼のレシピを一つ一つ焼いていこうと思う。
 ご冥福を心よりお祈り申しあげます。

 次回の更新予定は2月20 日(木)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

ゆずき・あさこ 1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』『オール・ノット』『マリはすてきじゃない魔女』『あいにくあんたのためじゃない』など著書多数。雑誌でのドラマ批評連載をまとめた最新刊『柚木麻子のドラマななめ読み!』が好評発売中。

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